鹿島が誇る「不滅の天才」、本山雅志/J1リーグ@鹿島アントラーズ 2-0 横浜マリノス


Photo by Chuck “Caveman” Coker

「黄金世代」の代表格と言えば、何と言っても小野伸二だろう。

1999年のワールドユースで世界大会準優勝という金字塔を打ち立てた小野伸二は、この大会のベストイレブンにも選ばれた。

しかし、実はこの大会で世界のベストイレブンに選ばれた日本人は、小野ともう一人存在した。

それが、本山雅志である。

高校サッカー界の寵児だった本山雅志

黄金世代は小野伸二の他にも、類まれな才能を持った選手たちの宝庫だった。

遠藤保仁、稲本潤一、小笠原満男、高原直泰、中田浩二など、その後に日本代表としてワールドカップに出場した名前がズラリと並ぶ。

しかしワールドユース当時、小野に次ぐ天才と見られていたのが、本山雅志だった。

その巧みなドリブル突破で世界の強豪たちのディフェンスラインを切り裂き、地元ナイジェリアの観客たちからも喝采を浴びたほどである。

本山雅志は福岡県は北九州市出身。

地元の二島中学校を経て、高校サッカーの強豪、東福岡高校に入学する。
ここで本山の才能は、大きく花開いた。

本山は高校サッカーの象徴のような選手である。

1年生で早くもレギュラーの座を手にすると、この年の高校選手権にも出場。
ちなみに当時のポジションはボランチだった。

そしてその後にポジションを攻撃的MFに上げると、チームの攻撃の核として君臨することになる。

3年生になった 1997年には、1年間でインターハイ、高円宮杯全日本ユース、高校選手権、の高校3大タイトルを全て制覇するという、高校サッカー史上初となる3冠を達成。

本山以外にも手島和希、古賀誠史、宮原裕司、金古聖司、千代反田充など、その後プロとなる優れた選手が揃った好チームだったけれども、本山雅志はその中で、絶対エースと言うべき存在感を放っていた。

この年の高校選手権決勝の相手は、現在アントラーズでチームメイトの中田浩二率いる帝京高校。
雪の中で行われた決勝戦は試合内容の濃さとともに、絵としての美しさも携えていて、高校サッカー史上に残る名勝負の一つとして今も語り草になっている。

当時に比べれば高校選手権のプライオリティが下がっていることを考えると、あれほど印象深い選手権の決勝は、あの試合が最後になるのかもしれない。

ちなみにこの当時の本山は高校サッカー界のプリンスとしてアイドル的存在で、ワールドユースでチームメイトだった播戸竜二いわく「キャピってた」とのこと。
僕もテレビ番組で安藤優子キャスターに「かわいいわね〜♡」と言われていたりする場面を見たことがあるけれども、確かに同性から見ると、微妙なキャラクターでもあった。

しかし本山はその天才的なサッカーセンスで、周囲の雑音を黙らせていく。

本山雅志の受難

本山雅志といえば、まず何より「ドリブラー」という印象が強い。

しかし驚いたのだけど、Wikipediaによると 50メートル走のベストタイムは7秒5だそうだ。
もしこれが本当だとしたら、運動部に入っている男子高校生の多くは、本山より足が速いということになるんではないだろうか。
まあサッカーで大事なのは 50メートルより5メートル、10メートルの速さだと言うけれど、にわかには信じがたい数字である。

僕自身、本山雅志のプレースタイルから、スピードのない選手だというイメージは全くなかった。

本山雅志が本当に鈍足なのだとしたら、逆にそれだけサッカーセンスがずば抜けているということになる。

本山はドリブラーだけれども、足元でボールをこねくり回すタイプの選手ではない。

どちらかと言うとタイミングで抜いていくタイプの選手だけれども、さらにスピードも無いのであれば、逆に言えばそれだけタイミングと間合いの取り方が絶妙なのだということになる。
まさに天才的なサッカーセンスの持ち主だと言えるだろう。

高校卒業後、鹿島アントラーズに入団した本山は、ルーキーイヤーから出場の機会に恵まれる。

入団3年目の 2000年にはシドニーオリンピックに出場した上に、A代表にも初選出。
ちなみにトルシエ時代の定位置は左のウイングバックだった。

日本代表の中心選手として育っていくかと思われた本山雅志だったけれども、その飄々とした性格が災いしたか、ついにワールドカップとは縁のないサッカー人生を送ることになってしまった。

その後本山は、先天性水腎症という病気を発症する。

放っておけば肝不全となり、命にも関わる重病。
排尿がうまく機能しないため、水分を自由に摂取できないという、スポーツ選手としては致命的な病気を抱えてしまうことになる。

さらに今シーズン前には椎間板ヘルニアの手術を受けるなど満身創痍の中、本山雅志は現在もプレーを続けている。

不滅の天才、本山雅志

今シーズン途中から戦列に復帰した本山はしかし、試合に出ればブランクを感じさせない天才っぷりを随所に披露していた。

そしてこの日のマリノス戦、本山雅志はついに今シーズン初めての先発出場を実現させる。
本山はここでも、その天才性を遺憾なく発揮した。

興梠慎三が挙げた2得点は、いずれも本山雅志のアシストによるものだった。

1点目は 36分、ジウトンの左サイドからのパスを受けた本山がヒールで流して、抜けだした興梠が DFの鼻先をかわすループシュートを決めてゴールゲット。

その3分後には、小笠原満男からの縦パスを受けた本山が再びヒールで後方に流し、興梠の2点目を演出する。

この5分後には、興梠が GKと1対1になり「あわやハットトリックか」という場面の起点となるスルーパスも、本山が出していた。

本山雅志はけっきょく 64分までプレー。

まさにそのパスセンス、独特の視野、天才的な感性が遺憾なく発揮された 64分間だったと言えるだろう。

マリノスの木村和司監督が「見ての通り完敗」と認めるほど、両チームのクオリティに差があったのは確かだ。

中盤で全くアントラーズを捕まえられなかったマリノスは、仮に本山が出ていなかったとしても、同じ結果に終わっていた可能性が高い。

しかし本山雅志のもたらした天才性が、このゲームに「艶(つや)」を与えたことは間違いないだろう。

彼のような選手のもたらす創造性が、サッカーをよりいっそう面白いものにしてくれるのだ。

本山雅志はもう 10年以上、サッカーファンに喜びを与え続けてくれている。

本山雅志は死なない。

その身体が動き続ける限り、僕たちにこれからも、美しいサッカーの創造力を魅せつけてくれるはずである。

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