高校サッカーに残された “美学” の残り香/全国高校サッカー選手権大会@滝川第二高校 5-3 久御山高校

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僕が高校選手権を初めて観たのは、Jリーグの開幕を半年後に控えた 92年度大会の頃だった。

当時、サッカーファンではなかったけれどもキャプテン翼のゲームにハマっていた僕は、何となく高校サッカーというものに興味を持つようになり、「高校サッカー開幕直前特集」の組まれたサッカーマガジンを買ってみたのだ。

そして最初に目に入ってきたのが、各チームのユニフォームである。

例えば高校野球のユニフォームが、どのチームも白を基調とした地味めなカラーで統一されていて、イマイチ個性が無いのに対して、高校サッカーのユニフォームは違った。

南宇和の鮮やかな水色、桐蔭学園の抜けるようなブルー。

純粋に「カッコイイな」と思った。

思えばこれが、僕がサッカーにはっきりと興味を持った、最初の瞬間だったのかもしれない。

この大会で優勝したのは、当時の高校サッカー界で最強の一角を占めていた国見高校である。

その後に日本代表になるあの三浦淳宏と、モンテディオ山形やベガルタ仙台で活躍した永井篤志のコンビを擁し、他を寄せつけない強さで3度目の頂点に立った無敵軍団。

しかしこの大会で三浦アツや永井以上のインパクトを与えたのは、準優勝した京都代表・山城高校の石塚啓次だった。

卒業後は、当時Jリーグで最強を誇ったヴェルディ川崎に入団し、「悪童」として名を馳せた石塚が、最初に全国的な注目を集めたのがこの高校選手権の舞台である。

と言っても、石塚が大会でプレーをしたのは、わずか 20分程度のことだ。

怪我のために初戦から欠場が続いていた石塚は、優勝候補でも何でもなかった山城高校が奇跡的な快進撃を見せたことにより、決勝戦の舞台で初めてそのベールを脱ぐことになる。

184cmと大柄ながら柔軟な足技を持ち、「和製フリット」と呼ばれた大器は、金髪に近い茶髪というド派手な風貌と、そのドラマチックな登場の仕方によって、わずか 20分間で大会のスターとなった。

そして僕にとっても、初めて自分の中に誕生した「サッカー界のヒーロー」となったのである。

高校選手権に生まれた疑問

その後、サッカーに魅了されるようになった僕は、関東に住んでいたこともあって、毎年冬休みには欠かさず高校選手権に足を運ぶようになった。

自分がリアル高校生だった頃から見続けている高校選手権は、僕にとって、サッカーを語る上で欠かせない「青春の1ページ」だったわけである。

しかしそんな僕からしてみても、ここ数年の高校選手権は、何かと疑問を感じる大会になってしまった。

何に疑問を感じるのか?

それは高校選手権が、もやは「ユース年代最強のチーム」を決める大会では無くなってしまったからである。

Jリーグ開幕当時、高校選手権は間違いなくこの年代の最強チームを決める大会だった。

当時から読売クラブなどの一部のクラブユースは盛んな活動を見せていたけれども、全体から見れば局地的な少数勢力に過ぎなかった。

ユース年代の中心的存在は、質・量ともに、あくまでも高校のサッカー部だったのである。

しかし 2000年代に入るころになると、その勢力地図は大きく書き換えられていくことになる。

優秀な選手たちはまずJリーグ傘下のクラブチーム入りを目指すようになり、今ではご存知のとおり、有望な高校生の多くはクラブユースに所属するような時代となったのだ。

そして必然的に、ユースの大会にも構造改革の波が押し寄せる。

ユース年代最強を決める大会は、秋に行われる高円宮杯となり、高校選手権はあくまでも「高校日本一」を決める、ある意味ドメスティックな大会へと姿を変えつつあるのである。

これがもし 20年前であれば、この大会には宇佐美貴史や小野裕二、高木善朗や小川慶治朗といった選手たちが出場していただろう。

しかし彼らはクラブユースへと進み、高校選手権からは、そんな “怪物” たちが姿を消した。

にも関わらず、未だにユース年代で最大の注目を集めている大会が、高校選手権なのである。

この「名」と「実」とのギャップに、僕はいつしか大きな疑問を感じるようになっていた。

実現した「関西対決」

だから今年の高校選手権を見ながらも、僕はそれほど大きな期待を抱いていたわけではない。

ただし兵庫代表の滝川第二高校と、京都代表の久御山高校との「関西勢対決」となった決勝戦は、大阪在住の僕としては、ちょっと興味をそそられるカードではあった。

滝川二高はこれまで、波戸康広や加地亮、岡崎慎司、金崎夢生などの日本代表選手たちをはじめ、実に 30人以上のJリーガーを輩出してきた名門校である。

しかし意外にも、高校選手権ではこれまで優勝はおろか、決勝に進出したことすら無く、今回が初めてのファイナル登場だった。

対する久御山は、今大会が3年ぶり5回目の出場という新興チーム。

これまでもサンフレッチェ広島の山崎雅人をはじめ数名のJリーガーを育て上げてきたけれども、大会前までは知名度もあまり高くない、地方のいちチームに過ぎなかったという印象である。

しかしそんな久御山が、素晴らしいポゼッションサッカーを見せて、大会の台風の目となっていった。

久御山の特長は、最終ラインからでも、とにかくボールを繋いで繋いで繋ぎまくる、徹底したパスサッカーにある。

このスタイルは久御山の松本悟監督が、自身の高校時代に見た静岡学園のサッカーに感銘を受けて志したものであるらしい。

確かにそのテクニカルで超攻撃的なサッカーは、95年度大会で優勝した静岡学園、あるいは 2005年度大会で優勝した野洲高校と同じ香りを感じる。

それに対して滝川二高は、チームの完成度・組織力という意味では久御山に劣るものの、逆に「個」の能力では上回る。

特に「ダブルブルドーザー」と呼ばれ、最終的にはそれぞれ大会得点王と得点ランキング2位に輝いた、樋口寛規と浜口孝太の決定力は抜群だった。

そして堅い守りから突破力のある両サイドに展開し、そこから前線の決定力に賭ける、というシンプルなスタイルが、滝川二高の最大の持ち味である。

このようにサッカースタイルでも対照的な両チームだけれども、大会を勝ち上がる道のりもまた、両者は対照的なものだった。

久御山が緒戦で当たったのは、イングランドの超強豪・アーセナルとの5年契約を結んで話題になった、宮市亮が率いる中京大中京高校。

僕はこの試合で初めて、宮市亮のプレーをちゃんと観たのだけれども、そのプレーはまさに「圧巻」の一言だった。

183cm、70kgの堂々たる体躯を持ちながら、50mを 5秒7で走ると言われる爆発的なスピードを持ち、しかも柔軟な足技と正確なキックも合わせ持つ。

ポテンシャルは間違いなく今大会でもトップクラスだろうし、この世代全体でも宇佐美貴史と並ぶ筆頭株だと言えるだろう。

この宮市に前半は左サイドを突破されまくった久御山は、相手エースに1ゴール1アシストの大活躍を許してしまう。

しかし2度リードされながらも2度追いつき、後半は運動量の落ちた中京を逆転して、辛くも緒戦を突破。

その後は試合を追うごとに自信をつけていき、準々決勝では前回大会ベスト8の関西大学第一を、準決勝では高校サッカー界最強との誉れ高かった流通経済大学柏を相手に内容でも上回る試合を見せて、決勝まで勝ち上がってきたのだ。

それに対して滝川二高は、緒戦の駒場戦でいきなり 6-1と大爆発。

続いて2年前のベスト4チーム、鹿島学園を 4-1と玉砕し、さらに前回大会の準優勝チームで、高校トップクラスのスター、柴崎岳を擁する青森山田に 2-0と勝利。
そして日章学園を 3-0と一蹴して、準決勝の国立へと駒を進める。

しかし日章学園戦は点差ほどの内容差は無く、続く準決勝・立正大淞南戦でも大苦戦を強いられた。

内容で圧倒される時間帯も作られながら、PK戦で辛くも決勝まで勝ち上がってきた格好である。

度重なるマークを受けて満身創痍の「ダブルブルドーザー」が頼りの滝川二高と、尻上がりに調子を上げてきた「雑草テクニシャン集団」、久御山高校。

両チームの勢いから考えるに、戦前は久御山が有利ではないかと僕は考えていた。

しかしいざキックオフのホイッスルがなると、試合は僕の予期したものとは全く別の方向に流れていくことになるのである。

滝川二高、怒涛のゴールラッシュ

立ち上がり、試合は久御山ペースで幕を開ける。

ただしその勢いが続いたのもわずかな時間だけだった。

徐々に滝川二高のプレスの網にかかりペースを引き戻されていくと、24分、ついに試合は動く。

滝川二高の左サイドから、ファーサイドへ向けての長いクロスが入る。

これを本城信晴が頭で折り返したところに、待っていたのは「ダブルブルドーザー」の一角、浜口孝太。

浜口は DFを背負いながらこれをワントラップすると、その流れのまま身体を反転させる。

そして駒のように回転した浜口が左足を振り抜くと、ボールは見事にゴール左隅へと吸い込まれていった。

1-0。

これで勢いに乗った滝川二高は、ここから怒涛のゴールラッシュを見せる。

まずは 40分、カウンターからボールを受けた樋口寛規が、ゴール前中央から冷静に決めて 2-0。

さらに 54分、ゴール前の混戦から本城信晴がゴールゲットして 3-0。

ゲームは予想外のワンサイドゲームとなったのである。

2分後の 56分には、久御山のエース、坂本樹是のシュートのこぼれを1年生ゲームメーカー、林祥太が押しこんで 3-1とするも、直後の 59分、1本の縦パスで裏に抜けだした浜口がループシュートを決めて、滝川二高が 4-1と大量リードをキープ。

まさかの大量得点差の要因は、何と言っても「ダブルブルドーザー」の2人である。

樋口と浜口の2トップは、ともに身長は 170 cmチョイと、決して体格に恵まれているわけではない。

しかし2人ともガッチリとした体つきで体幹の強さを感じさせ、少々の当たりではビクともしないだけのパワーを持っている。

そしてゴール前での技術と決定力を備え、パンチの効いたミドルシュートという武器を持つところも、対戦相手にとっては脅威となっただろう。

この決勝でも見事にアベックゴールを決めたその得点力が、久御山との決定的な差を生み出していた。

対する久御山は非常にテクニカルな好チームながら、「個」の力で樋口・浜口に引けをとっていた。

前述したようにそのスタイルには、全国優勝した当時の静岡学園や野洲を彷彿とさせるものがあったけれども、この偉大な2チームと比べて物足りないのは「個」の力だったかもしれない。

静学は南雄太や森川拓己、石井俊也、野洲は青木孝太や乾貴士など、先人たちがその後プロで活躍する才能を擁していたのに対して、久御山にはすぐにプロで通用しそうな選手は見当たらない。

結果的にこの「個」の部分での差が、両チームの得点差として反映されてしまったような格好だった。

そして試合は 4-1のまま推移し、残り 10分と終盤の時間帯を迎える。

この時間帯で3点差。

ほぼ勝負あり。

おそらくほとんどの人が、そう感じたことだろう。

大会屈指の好チームだった久御山も、滝二の破壊力の前に砕け散るのか ーー 。

しかしこの名勝負には、まだ最後のドラマが待っていた。

「残り10分」に待っていたドラマ

時計の針は 84分を指していた。

滝川二高のキャプテン浜口は、この時「勝った」と思っていたらしい。

しかしサッカーの神様は油断を嫌う。

そして3年間ひたすら技術を磨き続けた雑草集団に、最後のプレゼントを用意していた。

残り時間6分となったところで、久御山がゴール前中央でのパス交換を試みる。

とにかく一点。
まず一点。

そんな気迫が久御山のエース、坂本の両脚に乗り移った。

坂本がゴール前で、粘りのドリブル突破を見せる。

DFに囲まれながらも泥臭くボールをキープした坂本から、中盤の要・足立拓眞にパスが出る。

その足立がシンプルに前にボールを送ると、最後は抜けだしたセンターフォワードの安川集治が、巧みなトラップからシュートを放ち、滝二ゴールを貫いた。

これでスコアは 4-2。

久御山の執念が、圧倒的劣勢の中で一矢報いる、貴重な1点を生んだのである。

ただし、ここで終わっていたならば、このゴールはただの「思い出のゴール」にしかなっていなかっただろう。

ところがこのドラマには、さらなる続きが待っていた。

それからわずか2分後の 86分。

ショートカウンターから、またも久御山が中央突破を仕掛ける。

直前の失点で動揺を隠せない滝二の DF陣。

その隙を突いて、ゴール前に抜けだしたのは久御山の 10番、坂本樹是。

坂本の右足から放たれた弾道は滝二ゴールを射抜き、なんと土壇場で久御山が1点差に詰め寄ったのである。

熱戦の終焉

3点差からの奇跡の2点連取。

そしてここからの5分間は、この大会で最も濃密な5分間となった。

次の一点がどちらに決まるのか。

滝二が取れば、その時点で事実上のゲームセット。

しかし久御山が取れば、スコアは 4-4となり振り出しに戻る。

勝利の女神が微笑みかけるのは神戸か、それとも京都なのか。

ほんの5分前までが嘘かのように、手に汗握る展開となった白熱の決勝戦。

しかしこの攻防に終止符を打ったのはやはり、大会得点王に輝いたあの男だった。

時間は後半ロスタイム。

1点を追って前がかりになった久御山 DFのクリアを、チェックに行った滝川二高の FWが奪いとる。

その選手の名前は樋口寛規。

宝塚ジュニアから宝塚ジュニアFC、滝川二高、そして清水エスパルスと、偉大な先輩・岡崎慎司と全く同じ道を歩む男。

誕生日までもが一緒で「岡崎2世」と呼ばれるこのストライカーが、この大舞台でついに勝負を決めた。

ゴールキーパーをかわして放った樋口のシュートは、鋭い弾道を描いて久御山のゴールマウスへ。

このボールがネットを揺らした瞬間、国立競技場を埋めた大観衆が固唾を飲んだ熱戦は、その幕を閉じたのである。

高校選手権の現在地

関西は長く「サッカー不毛の地」と呼ばれていた。

しかしガンバ大阪やセレッソ大阪の躍進、そして実に 64年ぶりの関西勢による決勝戦が実現したこの高校選手権など、関西はいまや新たな「サッカーどころ」となりつつある。

そして1世紀近くの歴史を誇る高校選手権の優勝旗は、長い長い時を経て、とうとう第一回大会の優勝チームを生んだ兵庫県へと返還されたのだ。

この歴史的偉業を成し遂げたチームのキャプテン、浜口孝太は、試合後のヒーローインタビューの場でこう呟いた。

「こんな大観衆の前でプレーできることは、もう一生無いと思うんで、この経験を今後の人生に活かしていきたいと思います。」

高校生にしては随分と達観した、美しくも切ない台詞だと僕は感じた。

浜口は卒業後、青山学院大学への進学が決まっているらしい。

しかし仮に大学卒業後にプロ入りをして、J1や天皇杯、日本代表でプレーすることができれば、この日の国立を埋めたのと同等かそれ以上の観衆の前でプレーすることは充分可能である。

つまりこの時点では、浜口はプロ入りを明確には視野に入れていなかったということになる。

かつてはプロへの登竜門だった高校選手権も、今では優勝チームで MVP級の活躍をした選手ですら、プロへの道を考えられないような大会になってしまったということか。

浜口は関西選抜で、同い年の宇佐美貴史や小川慶治朗とプレーする機会があり、そこで彼らとのレベルの差を痛感した経験があるらしい。

確かに今大会屈指の「個」の力を持った樋口・浜口であっても、宇佐美貴史や宮市亮のような「怪物」と比べてしまうと、現時点ではワンランク・ツーランク落ちる、というのが現実かもしれない。

そして久御山の「個」の力は、その樋口・浜口よりもさらに落ちるだろう。

それが今の高校選手権の現実だ。

セルジオ越後氏なども、「高校選手権はレベルが低下した」と盛んに語っている。

ただ、僕はこの言葉を額面通りに捉えた場合には、多少語弊があるとも感じている。

実際には 10年前・15年前と比べて、高校サッカー全体のレベルは驚くほど上がっていると僕は思う。

15年前に静学が優勝した時、そは紛れもなくセンセーショナルな出来事だったけれども、今では野洲や久御山など、当時の静学に匹敵するチームが次々と生まれている。

地方の無名チームの中にも、テクニックに優れた選手がゴロゴロしているような時代になった。

全国全ての地域でレベル差が無くなり、選手権のベスト4には毎年のように新顔が顔を連ねる。

そして今大会を含み、ここ6大会で連続して、初優勝チームが戴冠を手にしているのだ。

これはひと昔前では考えられなかったことである。

しかしその反面、真のトップクラスのエリート選手たちがクラブユースへと流れ、その頂点は低くなった。
それが「レベルが下がった」と言われる所以だろう。

決勝を戦った両チームからプロ入りするのが、滝二の樋口ひとりだけ、というのも象徴的だと言えるかもしれない。

そして「プロ養成機関」としての高校チームの立場は、年を追うごとに微妙なものへと変わってきているのも事実だ。

この流れは、今後さらに加速していくことだろう。

ところがそれにも関わらず、いまだにユース年代で最も盛大な注目を集める大会は、高校選手権なのである。

このいびつな状態はなるべく早く解消して、高円宮杯を高校選手権に取って変わる大会にするべきではないか。

僕はそういう考えを持っていた。

決勝戦に見えた「アマチュアの美学」

しかし今回のこの選手権決勝を観た時、僕はその自分の考えが揺らぎそうになったのを感じた。

正直言ってしまうと、僕はこの決勝でとてつもなく感動してしまったのである。

ドラマチックな展開も去ることながら、両チームの選手たちが見せたひたむきな姿勢。

最後まで諦めずに、自分たちのスタイルを貫きながらも同点を狙いに行った久御山。

それを受け止めながら、最後まで守りに入らずに追加点を奪いに攻め続けた滝川二高。

そして、劣勢の中でも常に笑顔を絶やさなかった久御山の選手たち。

こんな光景は今の時代、高校サッカーくらいでしかお目にかかれないのではないだろうか。

すっかりずる賢いオッサンになってしまった我が身を振り返りながら、僕は心が洗われたような気分になった。

そこにあったのは、正しく「アマチュア」の姿だ。

プロ予備軍のクラブユースは、プロになる選手たちを育成する機関である。

クラブのユースチームが同じ状況に置かれたとしたら、コーナーフラッグ付近で時間稼ぎをするようなプレーが「正しいプレー」だということになるのかもしれない。

しかし、滝二や久御山はそうはしなかった。

彼らのプレーは、ある意味では「甘ちゃん」とも言えるのだろう。

しかし、だからこそ味わえた感動が、確かにそこには存在したように僕には感じられたのである。

それはまさしく、サッカー界から失われつつあった「高校サッカーならではの醍醐味」だったように思う。

もし高校選手権が無くなったら、もうこんな光景にめぐり会えなくなるのだろうか。

そう考えると、一抹の寂しさも感じられた。

もちろんクラブユースの存在は、日本サッカーの強化という意味では絶対に必要だ。

しかしその陰に隠れた「アマチュアの美学」。

それを体現する高校サッカーの存在は、また全く違った意味で必要なものなのかもしれない。

高校サッカーに残された「美学」の残り香

ユース年代の競技力の向上のために、今後クラブと高校による大会の再編は必要になってくるだろう。

しかし仮にそうなったとしても、願わくば高校サッカーの美学は、これからも継承していってほしいと感じる。

試合が終わり、大会の翌日のネットニュースで、浜口孝太のコメントが掲載されている記事を目にした。

「人として学びながらプロを目指してみようかな、と少し自信がついた」。

同年代の子供たちと比べればだいぶ大人びて見える少年も、内心では不安を抱えていたのだろうか。

「マリーシア」を否定はしないけれども、それだけが正しいサッカーのあり方ではないと僕は思う。

愚直なまでの美学と、いい意味でのアマチュアリズム。

この日の決勝を戦った選手たちがプロになる時。

その暁には、そんなプロ選手になってくれれば最高だなと、僕は密かに願ったのである。

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