「サッカーのある日常。」/チャリティーマッチ@ガンバ大阪 2-2 ヴィッセル神戸

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いつもと変わらない、平凡な金曜日のはずだった。

3月11日の午後、僕は普段どおりにノホホンと仕事をこなしていた。
何の変哲もない日常の風景である。

異変を感じたのは、揺れがいつもよりも大きいことに気がついた時だった。

天井から吊るされた照明器具がグラグラ震えて、ハンガーラックにかけられたコートたちが振り子のように揺れる。

大阪に越して丸7年になるけれども、こんなに大きな地震はこっちに来てからは初めてのことだった。

周辺に大きな被害は無かったけれども、軽い恐怖を感じた。

震源地が遠く離れた宮城県沖で、それが大地震であったことは、直後にインターネットを通じて知った。
大変な事が起こったというのは、すぐに理解できた。

悲劇が奪い去ったもの

16年前に関西で大震災が起こったとき、僕は関東に住んでいた。
今では逆に関西に住んでいる僕は、これまで震災というものを体験したことがない。
そんな僕が地震の恐怖や被災地の惨状についてあれこれ語るのは、いかにもお門違いである。

ただそんな僕ですら、今回の震災には少なからず心をかき乱された。
ニュースで観た津波の映像のショックもさることながら、それに続く原発事故の恐怖。
大阪と福島とはかなりの距離があるけれども、自分の場合は関東に親兄弟や友人知人がいる。
連絡をとった友人は、「放射能が本当に怖い」と心情を吐露していた。
まさか身近な人たちを、こんな形で失うことにでもなったら ーー 。
そう思うと、とても平静ではいられなかった。

実家は横浜の南部なので危険性は低いとは分かっていても、日々悪化の一途を辿っていた原発関連のニュースは、僕にとっては恐怖以外の何者でもなかった。
両親を説得して、数日間大阪に避難させたりもした。
事態に収束の兆しが見え始めたので両親は実家に戻ったけれども、それでも「もう大丈夫とは」とても言えない、深刻な状況は続いている。

平和だった日本で、まさかこんなことが起こるとは。

たぶん他の多くの日本人がそうだったように、僕も目の前の現実を正確に飲み込むことができないまま、時間が過ぎていった。

そして3月11日を境に、日本のサッカー界のカレンダーも止まってしまった。

2011シーズンのJリーグは開幕戦のただ1ページをめくっただけで、長い中断期間に入っている。
3月に予定されていた日本代表のキリンチャレンジカップはキャンセルとなり、JFLやなでしこリーグなど国内のサッカーリーグは軒並み開幕が延期されることになった。

ただ今回ばかりは、それも無理はないだろう。
多くの人にとって震災後の数日間は、とてもサッカーを楽しめるような心理状態ではなかったに違いない。
まして被災地の方々にとっては、今でもそういう状況が続いているのだろうと思う。

もうたぶん 10年以上も、サッカーについて考えない日はなかったサッカーバカの僕ですら、地震発生から10日間ほどは、正直サッカーは二の次だった。

改めて自然の猛威への畏敬の念を抱くとともに、人間の非力さを痛感させられる数日間だったとも言えるかもしれない。

サッカーを楽しめる平和だった日常を、地震と津波は一瞬にして流し去ってしまったのである。

感じられた温度差

僕が再びサッカーを観れるだけの余裕を取り戻した頃に、ちょうどガンバ大阪のチャリティーマッチが行われたことは、単なる偶然である。

しかし関西に住む人々の多くにとって、このタイミングでチャリティーマッチが行われることは、意義深いことだったと言えるかもしれない。

幸いにも関西では、目に見える震災のダメージと言えるようなものはほとんど感じられない。
震災から2週間が経って、発生直後に比べれば周囲もだいぶ落ち着きを取り戻してきている。
関西のサッカーファンにとっては、ぼちぼちサッカーの興奮を味わいたい気分が湧きでてきてもおかしくない頃だっただろう。

そして同時に、この未曽有の大災害の被災者となった東北地方・東日本の方々に対して、何か少しでも出来ることはないか、という個々人の葛藤を、ささやかながら解消できる手段でもあった。

個人的にはこの2週間は色々な事を考えるきっかけとなった。

津波の怖さや原発の危険性など、それまであまり知らなかった事を知ったし、自分や周囲の人たちが平和に暮らせることの幸せを痛感した日々でもあった。

そしてこの大災害に直面した時でも、人によって色々な捉え方があるのだということも分かった。

被災地から遠く離れた関西は、信じられないくらいに平和である。

地震や津波の直接の被害が皆無なのはもちろんだけれども、関東のような停電もなければ、目立った買い占め行為などもそれほど見かけられない。

もしテレビやネットを見なければ、同じ日本国内で大変な災害が起こったとは気がつかないほど平和な毎日が続いている。

だからだろうか。

今回の震災に対する受け止め方も、僕の周りでは人によってかなりの温度差が感じられる。

僕のように関東に直接の知り合いや親族がいる人たちは、比較的関心が高いというか、リアリティを持ってこの震災を受け止めているように感じられる。
もちろん東日本に深い接点がない人たちでも、我が事のように真剣にこの震災について考えている人たちもたくさんいる。

ただしそれ以外の人たち…東に特に知り合いがいないような人たちに関しては、拍子抜けするほどあっさりと受け流している場合も僕の周囲には存在していたのも事実なのだ。
彼らにとっては、たぶん外国で起こっている出来事のような感覚なのだろう。
遠い東で起こっている大災害よりも、目先の仕事のことで頭がいっぱい、という感じにも見えた。

そんなもんなのかな、と思った。

僕は正直なところ、そういう一部の人たちの関心の薄さに、少なからず違和感を覚えていた。

今回の震災のあと、巷では「不謹慎」という言葉がよく使われるようになったようだ。
これほどの大災害が起こっている時に、バラエティー番組を観たり、酒を飲みに行ったりする行為は不謹慎ではないのか?という考えがネット上などで盛んに論じられるようになった。

僕自身は震災の直後にとてもバラエティー番組を観たり飲みに行ったりする気分にはなれなかったけれども、そういう行為自体が悪いことだとは特に思わない。
不謹慎だからそういうことをするべきではない、という考えも持っていない。

むしろ「不謹慎だから」という考え方はどこか「世間体を気にして」というニュアンスが含まれているような気がして、個人的にはあまり好きになれない。
だから不謹慎だからやめておこう、と考えるくらいなら、気にせずやりたいことをやればいいと思う。

ただ僕が違和感を感じるのは、「不謹慎」なことにではなく「無関心」についてである。

同じ日本で 1000年に一度と言われる規模の大地震が起こり、津波や原発事故の被害で、東日本は大変な危機に直面している。
いまこうしている間も被災地の方々は過酷な避難生活を余儀なくされているし、原発事故が悪化すれば、被害の及ぶ範囲はさらに広がる可能性もある。

既に農作物や海産物への風評被害も出ているし、今後の経済的な影響なども考えれば、西日本に住む僕達にも大なり小なり何らかの影響が及ぶはずだ。

日本は間違いなくいま、戦後 66年間で最大の危機に面していると言っていい。

にも関わらず、まるで対岸の火事であるかのような一部の人々の無関心な振る舞いに、僕は軽くショックを抱いていたのだ。

ただそんな僕のモヤモヤした思いは、この日の万博に着いた瞬間に、あらかた払拭されることになったのである。

帰ってきた「日常」

観客数 1万4693人。

会場で集まった募金額は約 450万円。

「多い」と表現していいと思う。

これだけの「想い」が、この日の万博には集結した。

チャリティーマッチということで、会場スタッフなどはやや少な目だったこの日。

それでもサッカー好きな芸能人や元ガンバの選手などが集った前座試合も行われて、会場は本番前から華やかな雰囲気に包まれる。
このゲストたちも、もちろん無償で足を運んでくれたんだろう。

タムケンさんありがとう!
今度焼肉食べにいくよ!

そして会場の熱気も高まってきたところで、いよいよ本編の試合がキックオフ。

思えば3週間前にも僕は、この万博にJリーグの開幕戦を観に来ていた。
そのたった3週間の間に、どれだけのことがあっただろうか。
何だか途方もなく昔のことのように感じられる。

気の遠くなるようなこの3週間を経て、サッカーのある日常が、一時的にではあるけれども僕たちの前に帰ってきた瞬間だった。

この試合のガンバは、遠藤保仁が代表の合宿に呼ばれ、宇佐美貴史は U-22の遠征に参加していてともに不在。
新旧エースを欠いた「飛車角落ち」の布陣である。

しかし、3週間ぶりの試合に臨んだ選手たちは、そのあり余ったエネルギーをぶつけるかのように、立ち上がりからエンジン全開の攻防を披露する。

そして観客が試合に入り込む間も与えないスピードで、試合は動き始めた。

まず開始早々の2分、スルーパスを受けたガンバの佐々木勇人が先制ゴールをゲット。

しかしそのわずか2分後の4分、ヴィッセル神戸も右サイドを駆け上がった石櫃洋祐のクロスを小川慶治朗が決めて、はやばやと 1-1の同点に追いついた。

瞬きする間もなく決まった2ゴールのあと、試合は立ち上がりからヒートアップしていく。

この日の両チームは、これがフレンドリーマッチであることを忘れさせるほどのアグレッシブなプレーを見せてくれた。

ともに早いプレスから縦に速い攻めを見せ、好守が頻繁に切り替わる。
両者ともゴール前での決定機を次々と迎えるものの、守護神たちのスーパーセーブもあって追加点は簡単には決まらなかった。

この日に僕が印象に残ったのは、ヴィッセルでは三原雅俊と森岡亮太のボランチコンビ。

特に2年目の森岡のプレーからは、随所に高いサッカーセンスが伺えた。

森岡亮太は先日の高校選手権で旋風を巻き起こした久御山高校出身。
その高い技術は折り紙付きだけれども、本来は攻撃的なポジションの選手である。
しかしこの試合ではボランチのポジションで、攻撃に守備にと、まだ10代の選手とは思えないほどの技量を見せつけていた。

順調に育てば、小川慶治朗とともに今後ヴィッセルの顔になれるポテンシャルを持った選手ではないだろうか。

対するガンバは、ボランチの武井択也が光っていたように思う。

激しい当たりで中盤の攻撃の芽を摘んだかと思えば、攻撃面でも正確なパスでワイドな展開力を見せる。

30分にはその武井のミドルシュートのこぼれ球を川西翔太が押しこんで、ガンバが 2-1と再びリードに成功した。

試合は後半に入ってもペースが落ちず、両チームが攻め合う展開が続く。

76分には、都倉賢のゴールでとうとうヴィッセルが追いついて、再び 2-2の同点に。

そしてそこからは、公式戦でもなかなかお目にかかれないほどの怒涛の打ち合いが展開された。

終盤の 15分間、万博のピッチの上にはサッカーの醍醐味が凝縮されていた。

気迫のこもった攻防。
両チームの意地と意地のぶつかり合い。
次から次へと立て続けにゴール前のシーンが生まれる、チャンスの応酬。

ハッキリ言ってそれは、3週間前に観た眠たい開幕戦の 50倍は面白いゲームだった。

被災地への選手たちの想いが、いつも以上に彼らを奮い立たせたのだろうか。

そんな選手たちの熱気を受けて、会場も俄然盛り上がりを見せていく。

プレーの一つ一つに「ワー!!」「キャー!!」と悲鳴の上がるスタンド。
審判の曖昧なジャッジに飛ぶ「オーーーイ!!!」という怒号。
小学生くらいの子どもたちの「なんだオフサイドかよー、アーアー」という声が響き渡ると、周辺に笑い声が起こった。

そう、これだ。

これぞまさに、サッカーのある日常じゃないか。

あまりにも色々なことが起こりすぎて、日本中がサッカーのことを考えられなくなった2週間。

その「空白の2週間」を経て、それでも間違いなくサッカーは、僕達の前に帰ってきたのだ。

「王様」になった佐々木勇人

試合はけっきょくフレンドリーマッチにふさわしく、2-2の同点のまま幕を閉じた。

でもこの試合の中では、勝敗は大きな意味を持たない。
両チームの選手たちは自分たちの持てる力を存分に出し切ってくれたと思う。
それはダラけた雰囲気で行われる凡百の公式戦なんかより、よっぽど価値のあるものだった。

そしてこの日、この試合を通じて、両チームの中でもひときわ強く光り輝いた選手がいる。

ガンバ大阪の佐々木勇人。

ガンバファンなら知らない人がいない、スーパーサブのスピードスターである。

164センチの小兵ながら 50メートルを5秒台で走る瞬発力を持ち、かつては ACFチャンピオンズリーグなどの大舞台でも重要なゴールを挙げた勝負強さが持ち味。

中盤の層が分厚いガンバの中ではなかなか定位置は掴めないけれども、他チームであれば充分レギュラーとしてプレーできる力量を持っている選手だ。

その佐々木勇人が、スタメン出場したこの試合で獅子奮迅の大活躍を見せたのだ。

開始早々にゴールを決めたことは、ほんの序の口である。
この日の佐々木は 90分間を通じて、自慢の快速を活かしたドリブル突破や裏への抜け出しを見せたかと思えば、鋭いスルーパスから何度も味方の決定機を演出してみせた。

これまでももちろん佐々木勇人の好プレーを観た事はあったけれども、個人的にこれほど素晴らしい佐々木勇人を観たのは初めてと言って良かった。
この日のゲームに限って言えば、佐々木は完全にガンバの「王様」になっていたように思う。

そしてその理由を、僕はその試合後に知ることになる。

故郷へのメッセージ

この試合はチャリティーマッチということで、試合後には両チームが揃い踏んでのセレモニーが行われた。

記念撮影が終わり、選手たちが一列に並んだあと、司会者に促されて2人の選手が前に出る。

「ではここで、福島県出身のヴィッセル神戸、茂木弘人選手と、宮城県出身のガンバ大阪、佐々木勇人選手から、被災地の方々へのメッセージを…

瞬間、僕は理解した。

佐々木勇人は宮城県塩釜市の出身。
今回の災害でもとりわけ大きな被害を受けた海岸沿いの街である。

佐々木の実家は内陸にあるため家族は無事だったそうだけれども、生まれ育った街が大きな被害にあった心中は察するに余りある。

この試合に人一倍高いモチベーションで臨んでいたことは、容易に察しがついた。

佐々木はマイクの前に立つと、しっかりとした口調で、一語一語を噛み締めるように語り始めた。

「今日はたくさんの方に来ていただいてありがとうございました。今、僕たちにできることを1つずつ、いろんな活動を通してやっていきたいと思っています。この試合もその1つです。試合を通して元気や勇気、希望を与えられるようにこれからも頑張っていきたいです。

被災地の皆さん、日本を信じてください。未来を信じてください。必ず、必ず復興できると信じてください。僕らも1日もはやく、復興できるよう願っています。」

朴訥とした口調、しかし力強い意思が感じられるスピーチだったと思う。

今日の試合はおそらく、自身のプレーだけを見れば、佐々木本人としても快心のゲームだったことだろう。
しかし佐々木は被災地へのコメントを発する間もその前後も、一切笑顔を見せることはなかった。

サッカーの持つ力

茂木、佐々木に続いて、ピッチにはガンバ大阪の金森社長がスピーチに立つ。

今回このような事態になって、関西から、スポーツ界から、どんな支援ができるか考えていた、そしてヴィッセルとの協力の下、このチャリティーマッチの開催に至った、というような内容だった。

その後はガンバとヴィッセルの選手たちが、メッセージの書かれた横断幕を掲げながら、揃って場内を一周するウイニングランが行われた。

会場からは、両チームの選手たちに拍手が贈られる。

バックにジョン・レノンの「イマジン」が流れた。

想像してごらん 天国なんて無いんだと

ほら、簡単でしょう?

地面の下に地獄なんて無いし

僕たちの上には ただ空があるだけ

さあ想像してごらん みんなが

ただ今を生きているって…

スタンドからは、観客たちのすすり泣く声が聞こえる。

場内を回ってメーンスタンドに戻ってきた選手たちに、自然と「ニッポン!ニッポン!」のコールが投げかけられる。

思わず涙がこぼれた。

ヴィッセルのサポーターもガンバのサポーターも、その多くは 16年前に震災を経験していることだろう。

そう、関西のサッカーファンたちは、決して無関心ではなかった。
彼らは被災地を見捨ててはいない。

みんな、「サッカー」という共通言語で結びついた仲間たちなのだということを、僕はこの日改めて感じた。

もしそれが嘘なら、どうしてただの練習試合を観に、1万5千人もの人が集まったのか。

なぜ選手たちは、公式戦以上に気持ちのこもったプレーを見せてくれたのか。

佐々木勇人は先制ゴールを決めたあと、アンダーシャツに書いた被災地へのメッセージを披露した。

「1日でも早く、みなさまに笑顔が戻りますように」。

それは選手も観客も含めて、その日に会場に居た全ての人に共通する願いだろう。

そしてその願いを実現することに、サッカーは決して無力ではないのだ。

そう確信できるだけの光景を、僕は見たような気がした。

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