進化を続けるキャプテン、長谷部誠/ブンデスリーガ@TSG1899ホッフェンハイム 1-3 VfLヴォルフスブルク

長谷部 誠 [2012年 カレンダー]

「キャプテンマークを渡したのは精神面、技術面で彼が最もふさわしいと考えたからだ。ワールドカップの時にキャプテンでなかったとしても、このチームでは彼がキャプテンだ。」

選手にとって日本代表に選ばれることは大変な名誉だろうけれども、「代表キャプテン」はその中でも選ばれし人間にしか許されない特別な肩書きだ。
加藤久、柱谷哲二、宮本恒靖など、歴代代表キャプテンの座にはまさに「キャプテン中のキャプテン」と呼べるような名前が並ぶ。

そして現在、アルベルト・ザッケローニ監督から絶大な信頼を集めるキャプテンが、長谷部誠だ。

「努力の人」、長谷部誠

長谷部誠はこの3月に、初めての著書を出した。
その売れ行きが絶好調で、現在までに発行部数 50万部を越えるベストセラーになっているらしい。

以前から長谷部選手に興味のあった僕も、先日この本を購入して読んでみたところだ。

読後の感想としては、正直なところ「笑ってしまった」。
と言っても決して悪い意味ではなくて、むしろ僕なりの最大級の賛辞に近い。
長谷部選手は僕よりもかなり年下になるけれども、その若さに似合わずあまりにも「人間が出来すぎている」のである。

代表キャプテンに抜擢されるような人物と自分との器の違いを目の当たりにして、思わず笑ってしまったという印象だった。

長谷部誠は多くの代表選手の例にもれず「努力の人」である。

出身は静岡の名門・藤枝東高校。
しかし高校時代は、全国的にはほぼ無名の存在だった。
大学への推薦入学が決まっていたところに思いがけず浦和レッズからの誘いを受けて、悩んだ末にプロ入りを決意する。

特にレッズのファンではなかった僕からすると、華やかな経歴と無縁だった長谷部誠は「気がついたら、いつの間にかいた」ような印象の選手だった。
プロ入り2年目からは強豪レッズでレギュラーポジションを獲得するものの、山瀬功治や田中達也、鈴木啓太などの影に隠れ、あくまでも彼らを含めた有望な若手選手のうちの一人、という位置づけだったように記憶している。

アンダー世代の代表で世界大会に出場した経験もない長谷部だけれども、2006年にはジーコジャパンに選出されて代表デビューを飾った。
ドイツワールドカップへの出場は叶わなかったけれども、続くオシム・ジャパンにも選出。
VfLヴォルフスブルクに移籍してドイツに主戦場を移すと、岡田武史監督が就任して以降は本格的に代表に定着した。

そして 2010年。
代表チームが不振にあえぐ中、中澤佑二から引き継いで日本代表のチームキャプテンに就任。
その後のワールドカップ、そして 2011年アジアカップでの活躍は、今でも記憶に新しいところだ。

ちなみにクラブチーム単位でも、浦和でレギュラーとして活躍した5シーズンでJリーグ、天皇杯、ナビスコカップ、そして AFCチャンピオンズリーグとあらゆるタイトルを獲得。
ヴォルフスブルクでもチームのブンデスリーガ初優勝に貢献し、中田英寿以来の欧州主要リーグでの優勝という金字塔を打ち立てた。

決してサッカーセンスに恵まれた選手ではないながら、不断の努力で能力を磨き、プロ入り、代表入り、海外移籍、ワールドカップ出場、そして代表キャプテン抜擢までを次々と実現させてきた選手。
それが、長谷部誠という人物だ。

このようにプロ入り後の長谷部誠の実績には文句のつけようがない。
それでも長谷部がどこか地味な選手という印象を与えてしまうのは、そのポジションとプレースタイル、そして実直で控えめな性格が影響しているのだと僕は思っている。

特に、ここ最近のブンデスリーガでのプレーぶりには、僕は多少の物足りなさを感じていた。

浦和レッズではトップ下、あるいは攻撃的なボランチとしてドリブルで攻め上がるプレーを得意としていた印象があるけれども、代表では攻守にバランスの取れたミッドフィルダーという位置づけ。
そして現在所属するヴォルフスブルクでは、「黒子」と言ってもいいほど地味なプレーに終始している。

しかし長谷部誠の著書を読んで、僕はそれがあくまでも「長谷部自身の意思」によるものなのだということを知った。
自著の中で長谷部誠は、目立ちたがり屋で個性の強い選手たちの多い海外のチームの中で、自分が生き残るための手段として「チームバランスをとる選手に徹する」ことを選択した胸中を語っている。

実際、新しく就任したチームのスポーツディレクターにも、はじめは「プレーが印象に残っていない」と思われていたものの、代理人の「彼のポジショニングをよく見てみて欲しい」との助言からスポーツディレクターの評価が変わり、晴れて契約延長に漕ぎ着けたというエピソードも語られていた。

そんなように地味だけれどもチームバランスを考えたプレースタイルで、生き馬の目を抜く海外リーグでの競争をサヴァイブしてきた長谷部誠。

しかしそんな彼が、プロ入り後初と言ってもいいほどの苦境に立たされていた。

最終節の激闘

VfLヴォルフスブルクは2シーズン前のブンデスリーガチャンピオンだ。

創設から 66年の歴史を数えるけれども、およそ 15年前までは下部リーグで戦ういちローカル・チームに過ぎない存在。
しかし地元ヴォルフスブルクに本社を構える世界的自動車メーカー、フォルクスワーゲンのスポンサードを受けるようになると一気に強化が進み、1997年には初のブンデスリーガ1部昇格を果たす。
その後も1部リーグに定着し続けて、昇格後 12シーズン目となる 08/09シーズンには初のブンデスリーガ1部優勝を達成。
名門クラブの仲間入りを果たした。

しかしそんなヴォルフスブルクが、今季は一転して残留争いの渦中に放り込まれる。
ブンデスリーガ最終節を迎える段階で、ヴォルフスブルクは 15位。
17位以下は自動降格、16位は入れ替え戦に回ることが決まっており、しかもヴォルフスブルクの勝ち点35は、16位のボルシア・メンヘングランドバッハと同ポイントとなる。

9位の TSG1899ホッフェンハイムとのアウェーゲームに乗り込んだヴォルフスブルクは、この最終節の結果次第では 15シーズンぶりの2部リーグ降格が決まってしまう、崖っぷちに立たされていた。

10/11シーズン最終節はまさに、ヴォルフスブルクの底力が試される一戦となったのである。

このシチュエーションを受けて、試合は立ち上がりからヴォルフスブルクペースで展開していく。
長谷部誠も右サイドバックで先発出場。
ディフェンスはもちろんのこと、攻撃面でも積極的なオーバーラップを見せて、ヴォルフスブルクのチャンスに絡んでいった。

しかし 49分、押し気味だったヴォルフスブルクに悪夢が訪れる。

ショートカウンターから中央を割られ、先制点を奪われてしまうヴォルフスブルク。
さらにこの時点で、前節まで自動降格圏内の 17位だったアイントラハト・フランクフルトが1点をリードしているとの情報が入った。
このままのスコアで試合が終われば、ヴォルフスブルクは一気に 17位にまで転落し、2部降格が決定してしまう窮地に立たされていた。

そんな中で前半は積極性を見せていた長谷部も、次第にトイメンでマッチアップしたライアン・バベルにやられるシーンが目立ってくる。
ヴォルフスブルクは今シーズン最後にして最大の正念場を迎えていたのである。

しかしこのピンチを救ったのが、今季から新加入したクロアチア人のストライカーだった。

60分、シセロ・サントスのスルーパスからマリオ・マンジュキッチが決めて、ヴォルフスブルクが 1-1の同点に追いつく。

さらに 74分、コーナーキックから再びマンジュキッチが決めて 2-1と逆転に成功。
ダメ押しは 78分、サシャ・リーターのミドルシュートがグラフィッチに当たってコースが変わり、これが決まって 3-1とホッフェンハイム突き放した。

そして試合はこのスコアのまま、タイムアップの時を迎える。
同時にこれは、最後の最後までもつれこんだ残留争いを制し、ヴォルフスブルクが1部残留を決めた瞬間となった。

進化を続けるキャプテン、長谷部誠

ワールドカップの頃、僕の会社の 30代後半の上司が「長谷部にだったら、うちの娘を嫁にやってもええなぁ。」と言っていた。
ちなみに娘さんはまだ5歳だったので笑ってしまったのだけれども、上司がそう言った気持ちはよく分かる。

真面目を絵に描いたような好青年の長谷部誠は(代表の若手からは誰かがクソ真面目な発言をしたときに「お前はハセベか!」と突っ込まれてネタにされているそうだけれども)、娘婿としても代表キャプテンとしても申し分ない存在だ。

僕は正直、長谷部のドイツでのプレースタイルにはまだ物足りなさを感じている。
チームのバランスを考えるという彼の主張は理解できるけれども、それでも真の一流選手は、単なる黒子で終わりはしない。
その役目をしっかり果たした上で、果敢なボール奪取や効果的な攻撃参加など、「誰にでも分かる好プレー」も見せられる選手が、本当にいい選手だと思っているからだ。

ただ僕は長谷部の著書を読んで、この選手であれば引退するまで進化を続けられるだろうと、改めて確信を持った。

彼はそれだけのインテリジェンスとメンタリティを持った選手だと感じたし、今後の彼のキャリアは、世界の一流に近づくために挑戦する戦いになるだろう。

長谷部誠の著書のタイトルは『心を整える。』

「心を鍛える」ではなく「整える」であるところが奥深い。

自分と向き合い続けて数々の成功を手にしてきた長谷部誠というフットボーラーが、「心を整える」ことで、いったいどこまで昇りつめることができるのか。

その挑戦の行く末を、僕は興味深く見守っていきたいと思っている。

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