フットボールは「生き物」なのだとよく言われる。
それはコンディションの良し悪しによってチーム力が変化するものだからでもあり、またフットボールというもの自体が、常に進化・成長をし続けるものでもあるからだ。
そしてその理由は、フットボールをプレーする人間そのものが「生き物」だからに他ならない。
僕は今でこそ、スポーツと言えばフットボール(=サッカー)にしか興味がない「サッカーオタク」だけれども、昔はそれなりに他の競技にのめり込んだ時期もある。
子供の頃は普通に野球が好きだったし、その後はF1やバスケのNBAとか、K-1やPRIDEなどの格闘技にハマった時期もあった。
ただしそのどれもが一過性のもので、その熱が3年以上続くことは無かった。
そんな僕がフットボールのファンになって、なんやかんやでもう 20年近い時が経っている。
僕にとってフットボールが他のスポーツと決定的に違ったのは、その「スケール」である。
日本国内はもちろん、ヨーロッパ、南北アメリカ、アジア、アフリカまで世界中で愛好されているという「X軸」の広さ。
そして既に競技が誕生して 100年以上の歴史を誇るという「Y軸」の歴史の深さ。
さらに、同じ土地の同じ時代だけで見たとしても、プロをはじめユース、アマチュア、女子からフットサルまで、色々なカテゴリーが存在する「Z軸」の奥行き。
僕の知る限り、これほど立体的な楽しみ方のできるスポーツは他に存在しない。
そしてそんなスケールを内包してしまうだけの、フットボールという競技の懐の深い性質が、僕をその虜にさせた。
そんな僕がフットボールに興味を持ち始めたのは、Jリーグ開幕前夜の 1992年末のことだった。
そして初めて自分の意志で観戦したフットボールの試合が、当時の世界ナンバーワンクラブ決定戦だった「トヨタカップ」、FCバルセロナとサンパウロFCの試合だったのである。
「ドリームチーム」の誕生
「ドリームチーム」。
名将ヨハン・クライフに率いられ、1991年から1994年にかけてリーガ・エスパニョーラで4連覇を果たしたバルセロナは、次第にこう呼ばれるようになる。
そしてそのドリームチームのハイライトが、クラブとして初めて手にしたヨーロッパ・チャンピオンのタイトルだろう。
その栄光を手土産に、バルセロナはトヨタカップの開催地・東京へと乗り込んできた。
ちなみに僕は今でこそ「(日本のチーム以外で)一番好きなチームは?」と聞かれれば「バルセロナ」と即答するバルサファンだけれども、じつはこの時は対戦相手のサンパウロを応援していた。
理由は簡単で、当時外国のチームの名前など全く知らなかった僕は、「ヨーロッパ=金満クラブ」「南米=健気な貧乏クラブ」という図式を単純に連想してしまい、判官びいきの血が騒いだからだ。
そしてこの試合は 2-1でサンパウロが勝利し、僕の初めてのサッカー観戦は、皮肉にもバルセロナの敗北に歓喜したところからスタートすることになる。
そして初優勝から 19年の時を経た今、バルセロナは4回目のヨーロッパチャンピオンの座をかけて、UEFAチャンピオンズリーグのファイナルの舞台にその姿を現した。
両雄、再び。
マンチェスター・ユナイテッド 対 FCバルセロナ。
このカードは2年前のファイナルの再現でもある。
ただし両チームの置かれている状況は、前回の対戦とは微妙に異なる。
当時ディフェンディング・チャンピオンの座にあったのはマンチェスター・ユナイテッドのほうだった。
バルセロナはその3シーズン前に2度目のチャンピオンズリーグ制覇を達成した後、ロナウジーニョの時代からメッシの時代への世代交代を図る過渡期にあり、その前年のチャンピオンズリーグでは準決勝でマンUに敗れていた。
さらに当時の両チームは、それぞれリオネル・メッシとクリスティアーノ・ロナウドという、「世界最高のプレイヤー」の称号を2分していた大エースを擁し、その点でも両者の力は拮抗していたと言えるだろう。
2年前のこのファイナルは、掛け値なしに当時の「世界最強の2チーム同士」の対戦だと見られていた。
そして結果的に、この時は 2-0のスコアでバルセロナが勝利し、3度目の欧州制覇を成し遂げる。
しかし今回は、同じカードとは言っても下馬評には大きな差があった。
バルセロナ有利。
そのスペクタクルなパスサッカーを完成の域にまで高め、もはや「別格」となったバルセロナに、マンUがどこまで対抗することができるのか。
勝負の焦点はそこに絞られていたと言っていい。
マンチェスター・ユナイテッドに与えれられた「10分間」
マンUに与えられたチャンスは、実質わずか 10分間だけだった。
この試合、マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督には、バルセロナ対策の「秘策」があると囁かれていた。
群雄割拠のイングランド・プレミアリーグで 19回目の優勝を達成したマンUですら、特別な対策を練らなければならない相手、それが現在世界最強と目される FCバルセロナである。
そしてファーガソンの秘策は、立ち上がりの 10分間に限っては完璧に機能する。
秘策とは、一言で言えば「ロングボール戦術」である。
ボールを奪ったら、バックラインから中盤を省略して長いボールを入れる。
それが前線のウェイン・ルーニーやハビエル・エルナンデス、または両翼のアントニオ・バレンシアやパク・チソンに繋がって、そこからシンプルにゴールを目指す。
秘策と言うにはあまりにも古典的な戦術。
それでも、この単純明快さが吉と出る。
キックオフから 10分の間、このロングボール戦術でマンUはバルセロナを圧倒した。
ルーニーがバックラインの裏に抜けだしては、この時間帯に何度かのビッグチャンスを掴む。
ここで1点でも奪っていれば、あるいはその後の試合展開は全く違ったものになっていたかもしれない。
しかしフットボールの神は、それを許さなかった。
イングランド王者が恥をかなぐり捨てて遂行した「アンチ・フットボール」スレスレの戦術は、バルセロナのゴールを脅かしはしたものの、ゴールマウスを割るには至らない。
そして試合開始から 10分が過ぎた頃、いよいよバルセロナが反撃の牙を剥く。
そこからの 80分間は、極論をすればフットボールではなかった。
いわば「バルセロナ・ショー」である。
タテ・ヨコ・ナナメ。
自在に角度を変えながら、中盤で面白いようにパスの糸を紡いでいくバルセロナ。
百戦錬磨のマンUのディフェンス陣ですら、バルサのパスワークの前には、自軍の守備網がじわじわと紐解かれていくさまを、ただ見つめることしかできない。
そして 27分、シャビ・エルナンデスのスルーパスを受けたペドロ・ロドリゲスが右からのミドルを決めて、まずはバルサが先制。
7分後の 34分にはライアン・ギグスとの縦のワンツーからマンUの絶対エース、ウェイン・ルーニーが決めて追いつくものの、結果的にはこれも試合を面白くするためのスパイスに過ぎなかった。
そして後半に入った 54分、試合を半ば決定づけた “運命の時” が訪れる。
勝負を決めた天才、リオネル・メッシ
この日、リオネル・メッシは不調だった。
いつもに比べればボールが脚に付いていなくて、トラップがぶれてはボールを奪われるシーンが目立つ。
ちなみにメッシはこの試合の舞台となったウェンブリー・スタジアムで、これまで1点もゴールを奪ったことがないというジンクスを抱えていた。
今回もそれが繰り返されるのか…?
しかしメッシは、自らの左足でそのジンクスを打ち破る。
パス交換から中盤右寄りでボールを受け、そこからワンドリブルを入れて中央へと斬り込むメッシ。
眼前には3人のディフェンダー。
しかしメッシは躊躇することなく、その左足を振り抜いた。
矢のような弾道。
逆を突かれたマンUの守護神、エドウィン・ファンデルサールが大地にひれ伏す。
次の瞬間、メッシのスーパミドルはマンチェスター・ユナイテッドのゴールネットを揺らしたのである。
「ウォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
大歓声の中、雄叫びをあげながらコーナーフラッグ付近まで失踪し、いつになく感情を爆発させるリオネル・メッシ。
対照的に、意気消沈するマンUの選手たち。
と言ってもスコアは 2-1、まだ逆転の芽は充分にある。
しかしここまで圧倒的とも言える内容の差を見せつけられていたマンUにとって、この1点は1点以上の重みのあるものだった。
そして 69分、トドメのゴールが生まれる。
立役者はまたもあの男、リオネル・メッシだった。
69分、右サイドでボールを持ったメッシ。
マークに付くのは、交代で入ったばかりのナニ。
一瞬の静寂の刹那、メッシがフェイント一発でナニをぶっちぎる。
そしてサイドを深々とえぐってからのラストパス。
いったんはマンUディフェンダーがクリアーしかけたこのボールをバルサのセルヒオ・ブスケッツが奪うと、パスの先に待っていたのはダビド・ビジャだった。
そしてビジャはワントラップの後、このボールをループシュート気味にゴール右隅へと流しこむ。
美しい放物線を描いた芸術的な一発。
バルセロナの3トップ揃い踏みとなる3点目が決まった時、この決勝にも事実上の決着が付いたのだった。
フットボールの迎える新時代
サー・アレックス・ファーガソンは今年の大晦日に 70歳になる。
マンチェスター・ユナイテッドを率いて実に 25年。
母国スコットランドで監督業をスタートさせてからは 37年。
もはやヨーロッパフットボール界の “生き字引” とも言えるような存在だ。
そのファーガソンが試合後の会見で、勝者のバルセロナをこう讃えた。
「私が監督になってから対戦したベストのチーム。こんなやられ方をしたら、認めないわけにはいかない。」
「最高のチームに打ちのめされた。それ以外に表現のしようがない。」
この試合でテレビ中継の解説を行っていた風間八宏さんは、普段は冷静かつ的確な分析力で、いかにも「専門家」という雰囲気を漂わせている一線級の解説者である。
その風間さんが、この日のバルセロナに関しては、松木安太郎氏も真っ青になるほどの「いちサッカーファン」になってしまっていたのが印象的だった。
世界最高ランクの名将を脱帽させてしまうチーム。
辛口の評論家を、ただのサッカー少年へと戻してしまうチーム。
バルセロナのフットボールは、もはや異次元の領域に達したと言っても過言ではない。
風間さんは試合の最中、バルセロナのフットボールをこう評した。
「サッカーはここまで来たのか」と。
この世にフットボールという競技が正式に誕生したのが 1863年。
今からおよそ 150年も昔にさかのぼる。
冒頭でフットボールは生き物だと言われると書いたけれども、フットボールが人間ならば、とうに天に召されているような年齢なわけだ。
しかし驚くべきことに、フットボールは誕生から 150年経った今でも、驚異的な進化を続けている。
そしてその進化を体現しているのが、FCバルセロナに他ならない。
フットボールの歴史はこれまでにも、驚異的に強いチームを輩出してきた。
1930年代のオーストリア代表「ヴンダーチーム」、 1950年代のハンガリー代表「マジック・マジャール」、1956年から60年にかけてヨーロッパチャンピオンズカップ5連覇を達成した「白い巨人」レアル・マドリード、キング・ペレとともに圧勝で 1970年のワールドカップを制した「カナリア軍団」ブラジル代表、「トータル・フットボール」で革命を起こした 1974年のオランダ代表、そしてオランダ・トリオとプレッシングフットボールでヨーロッパを席巻した 1990年前後の「ロッソ・ネロ」 ACミラン。
しかし時代によるフットボールの進化という要素も加味して考えたとき、史上最強チームは間違いなく現在の FCバルセロナになるはずだ。
しかもバルサはただ強いだけではない。
真に革新的で、スペクタクルなのである。
ファーガソンのマンチェスター・ユナイテッドもジョゼ・モウリーニョのレアル・マドリードも素晴らしいチームには違いない。
しかしバルセロナは、既に既存のチームの概念には収まらないだろう。
彼らはフットボール界に現れた “ニュータイプ” なのだ。
僕はひとつ確信していることがある。
それは今のバルセロナが、単に「その時代の良いチーム」では終わらないということだ。
おそらくバルセロナは今後、フットボール界の歴史を塗り替えることになるだろう。
これから数年間、バルセロナの黄金時代は続くはずだ。
そしてその後には、バルサのフォロアーたちが現れる。
バルサの哲学を模倣したチームが世界中に誕生し、パスサッカー全盛の時代が訪れると僕は予想する。
そしてその時、フットボールは再び新しいステージへと進化を遂げるのではないだろうか。
高度に組織化された「黄金の中盤」がゲームを創り、目下世界ナンバーワン、もしかしたら史上ナンバーワンの選手になるかもしれないリオネル・メッシという天才を擁するバルセロナは、まさに「ドリームチーム」に他ならない。
こんなチームと同じ時代に生きることは、決して誰にでもできる体験ではないと僕は感じる。
僕たちはいま、時代が動く大きな “うねり” の上にいる。
フットボール界はいま、新しい時代への扉を開こうとしている。
フットボールは「バルサ以前」の時代から、「バルサ以降」の時代へ。
2011年5月30日。
僕たちはもしかしたら、時代が移り変わるその瞬間を、目の当たりにしたのかもしれない。
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