なでしこジャパンが “歴史を変えた” 夜。/FIFA女子ワールドカップ@日本女子代表 2-2(PK 3-1) アメリカ女子代表

DianthusDianthus / aussiegall

ナデシコの花言葉は「純愛」、「大胆」、「勇敢」、そして「燃える愛」なんだそうである。

この可憐な花はしばしば女性に例えられ、そのイメージを投影させた「やまとなでしこ」という言葉は、日本女性の清らかで凛とした美しさを讃える言葉として用いられている。

そして強く美しい日本女性の姿を表現して、日本女子代表チームに “なでしこジャパン” というニックネームがつけられたのは、2004年のアテネ・オリンピックの直前のことだった。

あれから7年。

勇敢ななでしこたちはついに、ドイツの地で、その大輪の花を咲かせたのである。

日本の女子サッカー、その黎明期

“「当時の選手たちは、いい待遇を求めていたのではなく、ただ愛するサッカーの試合がしたい、大会に出たい、その一念です。
そのためなら自費で動くことも厭(いと)わない。

彼女たちのモチベーションを高めるなんて、とんでもない。逆です。
僕ら指導者が、彼女たちの情熱に引っ張られたんです。
選手たちの希望を何とか叶えようと奔走したんです。

厳しい環境の中でやっていたから、指導されたことを吸収するのはものすごく早かった。
だからこそ、あいつらを世界に連れていきたかった」”

ベストセラーとなった名著『オシムの言葉』の著者・木村元彦さんは僕の尊敬するライターのひとりだけれど、その木村さんの著書に『蹴る群れ』という本がある。

このフレーズはその中で女子サッカーについて触れた章『リンダ・メダレンとその時代』の中で紹介された、サッカー日本女子代表の初代監督・鈴木良平氏の言葉を引用したものだ。

日本女子代表チームが初めて結成されたのは 1981年、今からちょうど 30年前のことになる。
ただし当時は臨時に任命された監督が指揮をとる「選抜チーム」のような形で活動をしていたので、初の専任監督として鈴木良平が就任し、本格的な強化がスタートしたのは 1986年になってからのことだった。

それから四半世紀。

日本の女子サッカーが世界の頂点に立つことを、いったい当時、何人が予想していただろうか。

「第二の故郷」との決戦の日

澤穂希にとってアメリカは “第二の故郷” になる。

15歳で日本代表にデビューした天才少女は 1999年、不況のあおりで国内の女子サッカーチームが次々と解散する中、自身も所属するベレーザからプロ契約を打ち切られたことをきっかけに、女子サッカーの本場であるアメリカへと拠点を移した。

以来、いったん日本に復帰した時期を挟んで通算7シーズンをアメリカでプレー。
ここで澤はプレーの面だけでなく、人間としても大きく成長を果たす。
その後の女子サッカー界のカリスマの原型が、このアメリカでの生活の中で培われていった。

そしてその澤穂希がアメリカの代表チームと、ワールドカップで対戦することになった。
しかも舞台は、優勝をかけた決勝戦である。

日本はこれまでアメリカと 24回対戦して、0勝21敗3分けと一度も勝ったことがなかった。

アメリカの女子サッカーの競技人口は 160万人とも言われている。
対する日本の競技人口は4万人に満たない。
そしてアメリカは女子サッカーの世界では、世界ランキング1位に君臨する強豪国だ。

アメリカでこれほど女子サッカーが盛んになった背景としては、全米で最も人気のあるスポーツであるアメリカンフットボールの影響が大きい。
アメフトは女性にも大人気のスポーツだけれども、「やるスポーツ」としては女子にとっては危険すぎるため、アメフトの代わりに(比較的競技の性質が近い)サッカーが多くプレーされるようになった。

そうした経緯から、アメリカのサッカーはとにかくフィジカルを重視する。
そのパワーと走力のレベルの高さに、これまでも何度となく日本は圧倒され続けてきた。

しかしその世界最強のアメリカの実績に比べて、日本の澤穂希はこれまでオリンピックに3回、ワールドカップに4回出場していながら、優勝はおろかメダル獲得の経験もなかった。

自身として世界への通算8度目の挑戦となるこの大会のファイナルで、優勝をかけて「第二の故郷・アメリカ」と戦うことを、澤穂希はこう表現した。

これは「サッカーの神様がくれたチャンス」なのだ、と。

なでしこジャパンが立った「ファイナルの舞台」

ドイツ・フランクフルトのシュタディオン・フランクフルト。
52,300人収容のスタジアムが、女子サッカーワールドカップの決勝を迎え、ほぼ満員となる49,000人の大観衆で埋めつくされた。

そして会場には FIFAアンセムが流れ、日米両国の選手たちが栄光のワールドカップの両脇を通って入場する。

そこにあったのは、まさに「ワールドカップ・ファイナル」の空間である。

そしていよいよ迎えた運命のキックオフ。

しかしその序盤は、日本にとってはまさに “悪夢” とも言える時間になったのだった。

日本を圧倒した「圧力」

「キックオフ直後から面食らいました。そのワンプレーで、『ぬるいプレーをしていたらヤバいな』って思いましたよ。」

日本がアメリカに最初のシュートを食らったのは、日本の右サイドをローレン・チェイニーに突破されてのことだった。
この時、キックオフからはまだ1分と経っていない。
日本のディフェンスの要・岩清水梓は、このワンプレーですでにアメリカとの「次元の違い」を肌で感じていた。

そしてこのシュートを皮切りに、日本はアメリカの怒涛のようなシュートの雨を浴びることになる。

シャノン・ボックスとカルリ・ロイドの両ボランチの配球から、ミーガン・ラピノー、ヘザー・オライリーの両サイドを起点に、猛然と日本に襲いかかるアメリカ。
チェイニーが、ロイドが、ラピノーが、そしてアビー・ワンバックが、次々と日本のゴールを強襲する。

前半に日本がつくられた決定機はゆうに5回を超え、この時間帯に3〜4点を取られていてもおかしくはないはずだった。

アメリカと日本との最大の差は、間違いなく「フィジカル」にある。
ただ、アメリカが同じフィジカル系のチームであるドイツやスウェーデンと違っていたのは、パワーだけでなく「スピード」でも群を抜いていたことにあった。

出足の早いプレスは日本に猛烈な圧力をかけ、さらに攻撃時のスピードは日本にとっては今大会で初めて味わうレベルの、完全に「異次元」なものだったのである。

序盤はその圧力とスピードに完全に呑まれ、なかばパニックに陥ってしまう日本。
攻守において対応は後手に回り、いつ失点してもおかしくないような時間帯が続いた。

しかし圧倒的に押し込みながら、アメリカのシュートは最後の最後で精度を欠き、得点には結びつかない。

そして結果的に、この時間帯をゼロでしのいだことが、日本にとっては大きなターニングポイントとなったのである。

序盤はアメリカに翻弄された日本も、前半の後半に入る頃、つまり 20分を過ぎたあたりからは徐々にそのスピードに慣れ、少しずつ反撃に転じはじめる。

その中心となったのは大野忍と澤穂希。
大野はドリブルとスルーパスでたびたびチャンスの起点となり、澤は特にディフェンス面で鋭い読みから何度もピンチの芽を摘んでいく。

そして前半、日本は何とか 0-0のまま、45分間を乗り切ることに成功したのである。

アメリカの送り込んだ “刺客”

迎えた後半、アメリカは決定力不足の解消を狙い、ひとりの “刺客” を送り込んできた。

前半に何度も決定機を外したチェイニーに代わり、後半開始から投入されたのはアレックス・モーガン。
ハリウッド女優顔負けの美貌を誇るこの俊足アタッカーが、日本を再び苦悩の縁に陥れることになる。

後半開始からモーガンのスピードにかき回され、またしても何度かの決定機をつくられる日本。

ただし前半に比べれば日本も落ち着いた対応を見せ、そこから澤・大野を起点にチャンスもつくり出していく。

しかし 66分、試合の流れを大きく変える出来事が起きた。
前線で好プレーを見せていた大野忍と安藤梢に代えて、佐々木則夫監督は永里優季と丸山桂里奈を投入。

安藤はともかく、大野はこの試合では日本の攻撃の中心と言ってもいいほどの活躍を見せていただけに、かなり大胆、場合によってはリスキーともとれる交代だ。

そしてこの交代は、まずは裏目に出てしまう。

交代直後、ペナルティエリア外の中央でボールを受けた永里。
しかし複数の相手ディフェンダーに囲まれた永里はこのボールの処理を躊躇してしまい、アメリカにそれを奪われてしまう。

そしてこのボールをアメリカ随一のテクニシャン、ラピノーが一気に前線に放りこむ。
そこに走りこんでいたのが交代出場のスピードスター、モーガンだった。

モーガンはマークについた熊谷紗希と体を入れ替えるようにして抜けだすと、ボールに追いつき、ワントラップのあと左足を一閃。
このシュートは矢のように鋭い弾道を描き、日本のゴール対角に突き刺さったのである。

ここまで安定感のある守りを見せていた守護神・海堀あゆみもどうすることもできなかった見事な一発。
この 69分のファインゴールで日本は、それまで奇跡的に守り通してきたゴールをついに割られ、0-1とリードを許してしまう。

アメリカとの実力差を考えれば、まさに痛恨の先制点となった。

前半に見せつけられた圧倒的な力の差を考えれば、「終わった」と考える人が出ても何らおかしくはない場面。
観戦していた僕も、実際に半分は心が折れかけた。

しかしドイツ戦で「絶対に勝てない」と思われていた試合を勝利した記憶が、それ踏みとどまらせる。

「1点ならまだわからない」。

そして誇り高きなでしこたちは、再び僕たちの眼前で「ミラクル」を演出してみせたのである。

アメリカに見せた「意地」の一撃

アメリカは澤穂希にとって第二の故郷だと書いたけれど、アメリカに縁のある選手は澤だけではない。
現在のなでしこジャパンの選手のうち、澤穂希、宮間あや、阪口夢穂、丸山桂里奈、山郷のぞみの5選手にアメリカのクラブでのプレー経験がある。

彼女たちにとっても、この試合は「絶対に負けたくない」ゲームのはずだった。

リードを奪って以降は、バックラインで巧みなパスワークを見せて余裕のボール回しをするアメリカ。
対する日本は、同点を期して攻めに出る。

攻める日本。
受けるアメリカ。

ただしアメリカは、キャプテンのクリスティー・ランポーンを中心とした走力のあるバックラインが、日本の攻撃陣を巧みに封じ込めていた。

しかしその厚い壁に、一瞬のほころびが生じる。

失点から 12分後の 81分。

中盤の高い位置でパスカットに成功した川澄奈穂美から、右サイドの永里優季へとスルーパスが渡る。
失点のシーンではボールを奪われ、その起点となってしまっていた永里。
彼女もまた、「このままでは終われない」という重い決意を抱えていた。

そして永里はこのボールに追いつくと、体を張ったキープから執念のクロスを上げる。

このボールに中央で合わせたのは丸山桂里奈。
丸山のシュートはアメリカDFの身を投げ出したブロックに阻まれたものの、そのクリアボールがアメリカの右サイドバック、アレックス・クリーガーに当たり、しかもクリーガーがこれをクリアミス。

そしてそのボールが、ゴール前に顔を出していた宮間あやの方向へ飛んだのだ。

ここからが、日本最高のテクニシャン・宮間あやの真骨頂だった。

突然飛んできたボールにも戸惑いを見せず、膝で巧みなトラップを見せた宮間。
そしてそのボールがバウンドする際を、体を投げ出しながら左足アウトサイドでミートする。

次の瞬間、このボールはアメリカの守護神、ホープ・ソロの逆をついて、アメリカのゴールへと吸い込まれていったのである。

「ウワアアアアアアァァァァァァァァァーーーーーーー!!!!!」

まさかの同点劇に、大盛り上がりを見せるスタジアム。

アメリカでのプレー経験のある丸山、宮間が体で押し込んだ、まさに執念の同点弾だった。

このゴールによって、残り 10分で 1-1と追いついた日本。

その後は両チームとも 90分以内の決着を目指して攻めに出る。
しかしアメリカは明らかに疲労の色が濃く、自慢の走力に陰りが見え始めていた。
結果的に日本はアメリカにチャンスこそ作られたものの、前半ほど圧倒的に押し込まれることは少なくなっていく。

結局両チームともに決定打は生まれず、試合はこのまま延長戦へと突入することになった。

しかし世界ランキング1位の「女王」はこの延長戦で、再び日本に襲いかかったのである。

アビー・ワンバックのもたらした「絶望」

アビー・ワンバックは代表通算 120ゴール以上をマークしている、現在のアメリカ代表を象徴する選手である。

しかしこの決勝戦では何度かの決定機に絡んだものの、日本の厳しいマークにあってフィニッシュを決めることはできないでいた。

延長戦に入っても、アメリカが押し込む展開は変わらない。
それでも日本はディフェンス陣がよく体を張って、このアメリカの猛攻に耐えていた。

しかしワンバックにも、世界最高峰のストライカーとしての意地がある。

このままノーゴールでは終われない。

そしてワンバックはこの延長戦で、ついにそのタスクを実行するのである。

延長前半 14分。

1点目を決めたアレックス・モーガンが左サイドでボールを受ける。
マークにつくのは日本の右サイドバック、近賀ゆかり。

しかしモーガンはそのスピードとパワーで、強引に近賀を抜きにかかった。
その圧力に負け、突破を許してしまう近賀。

そしてサイドをえぐったモーガンが、ゴールライン際からマイナス方向へとライナー性のクロスを上げる。

中央を守っていた熊谷紗希はその直前のプレーでは見事にアメリカの攻撃をはね返していたのだけれども、この瞬間だけは自らのマークする選手を見失ってしまっていた。

「あれ?ワンバックがいない!!」。

ワンバックは熊谷の視界から逃げる動きで、ほんの一瞬、自らの周りにフリーの空間を生み出していた。

そしてそのワンバックの頭に、モーガンからレーザービームのようなクロスが上がる。

ジャンプすることなく、得意のヘッドでこれに合わせたワンバック。

この完璧なヘディングシュートの前には、GK海堀あゆみも成す術がなかった。

アメリカのエースの一撃で、日本は再びリードを許してしまったのである。

「やっぱり、アメリカには勝てないのか…」。

1点目で半分折れかかった僕の心は、この2点目では9割方壊れかけていた。

サッカーで、格上の相手に2度も追いつくことは容易ではない。
不可能ではないけれども、ほとんど奇跡に近いことであるのは間違いなかった。

しかし多くの人が諦めかけただろうこのシーンでも、なでしこの選手たちは、まだゲームを捨てていなかったのである。

澤穂希の起こした「奇跡」

延長も後半に入り、時間は無情にも刻一刻と過ぎていく。

点を取る以外の選択肢はなくなり、前がかりになって攻めこむ日本。
しかしアメリカも最後の力をふりしぼり、激しいディフェンスで日本の攻撃をはね返していく。

両チームのプライドとプライドが激突した、まさに死闘。

そして延長も残り5分あまりとなった時、澤穂希からゴール前に飛び込んだ近賀ゆかりへとスルーパスが通る。
これはゴールにはならなかったものの、このプレーがきっかけとなって、日本にコーナーキックが与えられることになった。

この時、近賀ゆかりと接触したことで、アメリカのGKホープ・ソロが数分間の治療を受けていた。

そしてこのわずかな時間を利用して、セットプレーのキッカーである宮間あやが澤穂希に声をかける。

「ニアに蹴るから。」

残り時間はあとわずか。
日本がつかんだ最後のチャンス。

この大会を含めて、3回のワールドカップと1回のオリンピックを一緒に戦ってきた日本の “ゴールデンコンビ” が最後に選択したのは、自分たちの最も得意とするプレーだったのである。

時計の針は延長後半 12分を指していた。

日本が得た左コーナーキック。

宮間あやの右足から、低い弾道の鋭いボールが放たれる。

予告通りにニアサイドに飛んだ弾道。

澤穂希はディフェンダーのマークを受けながら、このボールへと走りこんでいく。
わずかに後方に入ったボールに合わせた澤はしかし、ここで神業のようなシュートを披露した。

ゴールから遠ざかる動きをとりながら、澤はこのボールをジャンピングボレーの格好でミートする。
しかも当てた場所は、右足のアウトサイド。

このアクロバチックなゴールが決まる確率は、いったい何パーセントあったのだろうか。

しかし澤穂希はまるでゴールにパスを送るかのように軽やかに、このシュートをゴールマウスに飛ばした。
そしてその弾道は世界最高峰の GK、ソロの指先をかすめて、アメリカのゴールに突き刺さったのだった。

「ウア◯▲□×◇ア△◆■◯▲ア□×◇△◆■◯▲□ア×◇△◆■ーーーーーーーーーー!!!!!!」

おそらくこの瞬間、日本中で無数の “声にならない雄叫び” が上がったはずだ。

そのシュートの難易度もさることながら、残り3分というその時間帯、そして2度目の同点弾というドラマチックさ。
常識では考えられない、まさに奇跡の、まさに執念の一発。

この大会を「自分のキャリアの集大成」と宣言して臨んだ澤穂希が、まさにその 18年間の代表人生の全てをぶつけたようなゴールだった。

僕は基本的には無神論者なんだけれども、それでもこの場面ばかりは、感じずにはいられなかった。

そう、「サッカーの神様」というものの存在を。

勝利をもたらした “笑顔”

しかし世界最強のアメリカは、それでも最後まで日本に牙をむき続ける。
試合終了直前、このゲームで日本を最も苦しめたモーガンに、またもやロングボールが通った。

抜ければ1点という場面。

しかしここでディフェンスリーダーの岩清水梓が、最後の大仕事をやってのける。

岩清水は体を張ったブロックで、モーガンの突破を阻止したのだ。
このプレーにはレッドカードが提示されたものの、岩清水の捨て身のプレーが日本の首をつないだ。

そしてこの後のフリーキックをしのいだ時、ついに延長終了のホイッスルが鳴る。

120分間の死闘の末、このファイナルはとうとう PK戦での決着を迎えることになったのである。

とは言ってもこの PK戦に入ったとき、昨年の男子のワールドカップでパラグアイに PK戦の末に敗れた試合を思い出した人も多かったことだろう。
僕の場合はさらに、昨年の U-17女子ワールドカップ決勝で韓国に PK負けしたトラウマがここに重なる。

正直言って日本がこれまで重要な試合で PKで勝った記憶がほとんどなく、この試合でも僕は最初、不安の塊だった。

しかし今までの PK戦とは全く違っていた部分がひとつある。

土壇場で追いつかれたアメリカの選手たちが一様に厳しい表情を見せていたのに対して、日本の選手たちからは満面の笑みがこぼれていたのだ。

このとき佐々木則夫監督は、
「2度も追いついてPKなんて儲けもんだろ!楽しんでこい!」と言って選手たちを送り出したそうだ。

選手たちに愛された監督の明るいキャラクターが、この土壇場で日本の選手たちのプレッシャーを払いのけたのである。

そして迎えた運命の PK戦。

GK海堀あゆみが1人目のキッカーを止め、宮間あやが余裕しゃくしゃくのキックを決めたとき、監督を中心に笑顔の円陣をつくった日本の勝利を、僕は確信するようになっていた。

大会前、ゴールキーパーのポジションは日本の「穴」のひとつだと見られていた。

しかし試合をこなすごとに成長を見せた海堀は、ドイツ戦の頃からは完全に「覚醒」を果たす。
そしてこのファイナルを迎えるときには、海堀は押しも押されぬ日本の守護神になっていた。

PK戦で日本は、その海堀が何と3人を連続してストップ。

日本は1人が外したものの、それまで2人が成功。

そして4人目のキッカーとなる熊谷紗希が決めた瞬間、ついに日本が夢にまで見たワールドカップのトロフィーを、その手中に収めたのである。

なでしこジャパン、「歴史を変えた」勝利

“「私の願いは、本当に何もない時代に何の見返りも報酬もないのに、ただサッカーが好きだという情熱だけでがむしゃらに頑張って日本女子サッカーの土台を作ってくれた彼女たちに、もう少しスポットライトを当ててあげてほしいということです。

タラレバの話をしても仕方ないけど、もし木岡二葉、半田悦子、本田美登里、山口小百合、野田朱美、手塚貴子……彼女たちが今の時代にプレーしていたら、とんでもないスーパースターになっているだろうし、アテネでへたをすれば金メダルをとれたのではないかと、冗談ではなくマジで思います ーー」”

前述の『蹴る群れ』の中での鈴木良平の言葉である。

宮間あやはこのファイナルの前の記者会見で、

「今までになでしこジャパンを創り上げてきた選手たちのぶんも、ピッチで表現したいと思います」。

と語っていた。

そして日本女子サッカー界の偉人たちとともに 1996年のアトランタオリンピックを戦った唯一の生き残りである澤穂希を中心に、なでしこたちは、日本サッカー界初の「金メダル」という金字塔を打ち立てたのである。

ボランチながら5得点を挙げ得点王に輝き、決勝戦での同点ゴールを含む数々の貴重なゴールを決め、好守に大活躍した澤穂希は文句なしの MVPを受賞。

この大会はまさに「澤穂希の大会」として世界中で記憶されることになった。

そして女子サッカー史上で初めて、パワーではなく技術のサッカーで世界を制したなでしこジャパンによって、世界の女子サッカー界も新たな時代に突入することだろう。

日本を追って各国が技術の向上に取り組むことが予想され、女子サッカーのレベルは飛躍的に向上するはずだ。

そうして力をつけたライバルたちが日本の前に立ちはだかるのもまた現実だろうけれど、女子サッカーの全体的なレベルアップはその人気向上を後押しするだろう。

現在、女子で成り立っているプロリーグは唯一アメリカのWPSだけだけれども、そのWPSも毎年のように撤退するチームが出るなど経営は苦しい。

しかし世界的な女子サッカーのレベルアップが実現すれば、各国にプロリーグが生まれることも現実味を帯びてくる。

また当然国内でも、この優勝は大きな影響力を持つはずだ。

この決勝戦の視聴率は、午前5時台にもかかわらず地上波とBSを合わせて32.5パーセントを記録した。
ゴールデンタイムの連ドラの最終回でも、滅多にこんな数字が出ることはない。

まして国内の女子サッカーにこれほどの注目が集まったのは、間違いなく初めてのことだった。

これだけの注目度の中で優勝を果たしたなでしこジャパンの戦いは、日本の女子サッカー界にとって空前の起爆剤となるだろう。

なでしこリーグの観客動員にどれだけ反映されるのかは未知数だけれども、少なくとも僕はこの快挙によって、”なでしこジャパン” のブランド力が飛躍的に向上すると考えている。

これまで女子サッカーの試合は、代表の試合であっても地上波でテレビ中継されることはごく稀だった。

このワールドカップの予選を兼ねた AFC女子アジアカップでも、中継されたのは CS放送のみである。
ワールドカップ本大会ですら、準々決勝までは BSでしか放送されていない。
そしてようやく地上波で放送されたのは準決勝からだった。

しかしこの優勝によって、なでしこジャパンの試合は地上波、最悪でもBSでの中継が当たり前、という時代がやってくる可能性は大いにある。

そうしてコンスタントになでしこジャパンの試合が衆目に触れるようになれば、女子サッカーの人気向上と普及という点で大きな追い風になるだろう。

そういう意味でもこの勝利は、まさに女子サッカー界の「歴史を変えた勝利」だったのだ。

いま、女子サッカーのためにできること。

2度リードされてから、2度追いついてのPK勝利。
しかも2度目の同点弾は、延長後半の残り3分。
決めたのは日本の大エース、澤穂希。

まるで漫画のような劇的なフィナーレだ。

僕はこの試合を生放送で観た後、もう一度録画で見直してみたんだけれども、何度見ても鳥肌が立つゲームだった。

サッカーファンを始めて 20年近くになるけれど、これほどの名勝負は数えるほどしかお目にかかったことがない。
間違いなくドーハでの韓国戦、ジョホールバルでのイラン戦と並ぶ、日本サッカー史上のベストゲームのひとつだと断言できる。

女子ワールドカップの中で見ても、歴史に残るファイナルだったのではないだろうか。

そしてこの勝利から、同時に僕たちは大きな教訓を得た。

ドーハで後半ロスタイムに追いつかれてワールドカップ出場を逃したときは、日本中の視聴者に対して「最後まで絶対に気を緩めてはいけない」という教訓が与えられた。

それと同じように、今大会でのなでしこジャパンは僕たちに教えてくれたのだ。
「何があっても、最後まで絶対に諦めてはいけない」のだと。

そんななでしこジャパンのイレブンに、僕たちがお返しできることがあるとすれば何だろうか?
ここで僕は、昨年の男子ワールドカップの後に、長谷部キャプテンが語ったあのセリフを拝借したい。

「次は、なでしこリーグのほうにもぜひ、足を運んで盛り上げてもらいたいと思います!!」

震災の影響で開幕の遅れたなでしこリーグは、早くも今週末から再開される。

選手たちにとってはキツイ日程になるだろうけども、ワールドカップの熱気をリーグに引き込むには最高のタイミングとも言えるだろう。

阪口夢穂はこのワールドカップを振り返って、
「本当に夢のような時間。楽しかった。」
と語ったそうだけれど、それは僕にとっても同じである。

この3週間、本当に楽しかった。
心の底からワールドカップを楽しませてもらった。

そして歴史に残るあの決勝戦を、僕は一生忘れることはないだろう。

長々と書かせてもらったけれども、実際のところ僕の文章力程度では、この感動を言葉で表現することは不可能である。

だからこそ次は是非、本物のなでしこたちに会いに、なでしこリーグの会場に足を運んでもらいたい。

それが日本の女子サッカーを盛り上げ、未来へと希望を繋げる第一歩になるはずだ。

そしてそれこそが、僕たちから彼女たちにしてあげられる、たぶん最高の「恩返し」なのである。

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