僕は松田直樹と誕生日が近い。

Yahoo!のトップページにある占いのコーナーでは、8月2日の魚座の運勢は98点だった。
本当に、占いなんてものは無責任で、嘘っぱちである。

2006年のワールドカップ後に中田英寿が引退を表明したとき、僕を襲ったのは何とも言えない「虚脱感」だった。

それは僕が中田とほぼ同世代であり、そして僕にとってこの世代は、「躍進する日本サッカーの象徴」でもあったからである。

’93年のJリーグ開幕とともにサッカー観戦に目覚めた僕は、その夏に行われた U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)で初めて中田たちの存在を知る。

そして ’95年のワールドユース、’96年のオリンピック、’98年のワールドカップと次々に世界への壁を突き破った日本サッカーは、2002年の日韓ワールドカップでひとつの頂点を迎えた。

まさに “激動の10年間” 。

その象徴だった中田ヒデの引退は、僕にとって「ひとつの時代の終わり」を告げる、非情な宣告でもあったのだ。

そして松田直樹もまた、ここに挙げた全ての大会に、同い年の中田とともに参戦していた選手だ。

中田と同じように、松田もまさに「時代の寵児」と言える、日本サッカー史を彩った名プレイヤーのひとりだったのである。

僕は横浜出身で昔からマリノスのファンだったので、松田直樹という選手のキャリアを傍らからずっと眺め続けてきた。

前橋育英高校時代、中田英寿や安永聡太郎と並んで「超高校級」と騒がれた松田は、高校卒業と同時にマリノスに入団。
ルーキーシーズンから開幕スタメンに名を連ねると、その年のJリーグチャンピオンシップでもレギュラーとしてプレーし、マリノスの初優勝に貢献した。
そしてその後も16年間をマリノス一筋で過ごし、通算3度のJリーグ制覇を成し遂げる。

しかしそんな “ミスター・マリノス” が昨年末、チームの大幅な選手入れ替えの対象となって、愛するチームから戦力外通告を受ける。
その失意の中、松田は今シーズンからは松本山雅の一員として、Jリーグ昇格を目指してJFLを戦っていた。

ルーキーの頃から、松田直樹はとにかく破天荒だった。

調整不足で試合中に足がつったり、オフ明けにオーバーウェイトで練習に合流して大目玉を食らったこともある。

また必要とあらば、立場が上の人間に噛み付くこともいとわなかった。

2002年ワールドカップではリスキーな「フラットスリー」の戦術に固執するフィリップ・トルシエ監督の考えに異を唱え、松田を中心にディフェンスラインの選手たちが協議した結果、よりラインを下げることで失点を抑える策をとる。
この「造反劇」が結果的には吉と出て、日本が自国開催のワールドカップでベスト16という好成績を残す大きなきっかけとなった。

その後は後任のジーコ監督とも衝突し、結果的に自身2度目となるはずだったワールドカップ・ドイツ大会を棒に振ってしまう。

そして昨シーズン、充分にJ1レベルのプレーを見せていた松田がマリノスを解雇され、その後もJ1のチームから声がかからずJFLに移籍したのも、その歯に衣着せぬ言動が問題視されたからだと噂されていた。

しかし反面、チームメイトたちと信頼関係を築くことに関しては、松田は「天賦の才」と言ってもいいほどの能力を持っていた。

中田英寿や安永聡太郎、佐藤由紀彦、吉田孝行など、同期の中だけでも松田の「親友」と呼べるような選手は数知れず。
人懐っこい性格で、多くの人から愛された人物だった。

そんな松田に関して僕が特に印象に残っているのは、中田英寿との関係である。

「孤高」のイメージがつきまとい、若い頃から気難しい性格で知られていた中田。

2006年ワールドカップでの惨敗はチーム内の不和が大きな敗因だと言われているけれども、特に中田とその他の選手たちとの間に根深い確執があったと囁かれている。

しかしその4年前、2002年のワールドカップでは、中田の活躍もあって日本は決勝トーナメント進出という目標を達成していたのだ。

この2002年ワールドカップの舞台裏を追ったドキュメンタリー映画に、『六月の勝利の歌を忘れない』という作品がある。

4時間弱の長編ながら非常に見応えのある名作なのだけれども、この中で僕が特に印象に残っているのが、合宿地のプールサイドで選手やスタッフたちがパーティーを開くシーン。

皆が子供のようにはしゃぐ中、堅物のイメージの強い中田英寿を笑いながらプールに突き落としたのが、他でもない松田直樹だった。
中田にとっても松田は、「気の置けない友」だったのだろう。

「俺はもうマツには伝えたから。わざわざ他の人に言うことじゃない。」
盟友の死についてのコメントを求められて、中田は周囲にこう答えたそうだ。

僕は2006年ワールドカップに松田直樹が参戦していたら、中田は孤立することもなく、日本はもっと好成績を残せていたのではないかと今でも思っている。

高校に入るまではフォワードで、ディフェンスに転向してプロに入ってからも、アグレッシブな守備と攻撃参加を持ち味にした松田直樹。

プレーも人柄も「熱い」彼のスタイルは、周囲の人々を魅了してやまなかった。

「ただ…、俺、マジでサッカー好きなんすよ!マジで、もっとサッカーやりたいんす!

本当サッカーって最高だし、まだサッカー知らない人もいると思うけど、俺みたいな存在っていうのも…アピールしたいし、本当サッカーって最高なところを…見せたいので、これからも…続けさせてください。

本当に…ありがとうございました!」

マリノスでの最後の試合となった昨年の最終戦のあと、サポーターに涙ながらに別れを告げ、移籍の許しを乞うた松田直樹。

これほどサッカーを愛した彼にとって、グラウンドの上で他界したことは、もしかしたら布団の上で逝くよりも本望なことだったのかもしれない。

それでも僕は、いちファンの身勝手な要求だとは分かっていても、やっぱりまだ諦められない。

どんな形であっても、松田直樹に、まだ生きていてほしかった。

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