Mario Balotelli in nazionale!

近年のヨーロッパは、移民の多い地域になりつつある。
ただし、すべての国がそうだというわけではない。

ヨーロッパの各国で、どれくらい移民が受け入れられているのか。
それは中世の大航海時代から近代に至るまで、その国がどんな植民地政策をとってきたか、と大きな関係がある。

フランス代表やイングランド代表に黒人選手が比較的多いのは、それらの国がアフリカ大陸などに多くの植民地を持っていたからである。
19世紀から20世紀にかけて植民地政策が終焉を迎えアフリカ諸国が独立を果たしてからも、ヨーロッパの旧宗主国との人的・経済的交流は続き、そこから多くのアフリカ系移民が(主に労働力として)ヨーロッパに渡ってきた。

ただし、ヨーロッパのフットボール界で黒人選手たちが市民権を得るようになったのは、ごく最近のことだった。

フランス代表で初めて黒人選手がプレーしたのは1931年まで遡るけれど、黒人選手が代表の主力となったのはその半世紀後、1980年に代表デビューしたジャン・ティガナが最初の例になる。
イングランドでも、代表で初めてプレーした黒人選手は1979年にデビューしたローリー・カニンガム。
その後、80年代から徐々に黒人の代表選手が増え始め、両国で今のように黒人選手たちが多数選出されるようになったのは1990年代も半ばになってからだった。
それでも1998年のワールドカップでは、フランス代表に黒人やアラブ系の移民選手が多すぎるとして、国内で論争を生む事態になっている。

また同じように黒人選手の多いオランダでも、代表で黒人選手が一般的になったのはルート・グーリットやフランク・ライカールト(ともに1981年に代表デビュー)が活躍した’80年代以降のことで、’70年代のヨハン・クライフやトータルフットボールの時代までは、黒人選手はほとんど見られなかった。
ちなみにオランダの黒人選手たちはアフリカ系ではなく旧植民地だった南米のスリナム系が多いのだけれど、スリナムの黒人も元々はアフリカから奴隷として連れられてきた人々の子孫にあたる。

このように、ヨーロッパでの黒人選手たちの歴史というのは、それほど長いものではない。

さらにアフリカに植民地をあまり持っていなかったドイツやイタリア、スペインなどの国では、黒人選手が代表でプレーすることは2012年の現在でも比較的レアなケースだと言える。
イタリアでもドイツでも、黒人選手(非白人選手)が初めて代表に選出されたのはおよそ10年前、21世紀に入ってからのことだった。

そんな中、青いユニフォームに身を包む今のイタリア代表の中で、ひときわ目立つ褐色のプレイヤーがいる。

ガーナ出身の両親を持つ、マリオ・バロテッリである。

イタリアの「悪童」、マリオ・バロテッリ

現在21歳のバロテッリがセリエAにデビューしたのは、弱冠17歳のときだった。
しかも、所属チームはかの名門インテル・ミラノ。

しかしそれだけ大きな才能を持ちながらも、バロテッリはそのプレーよりも、数々の「奇行」でゴシップ誌から注目される存在となってしまう。

遅刻や喫煙、チームメイトとのトラブルは日常茶飯事で、インテル時代にはマルコ・マテラッツィにロッカールームでシバかれた事もある。
さらにはミラノの広場でエアガンを空に向けて発砲したり、自宅内で花火をして消防車を出動させたり、インテルのライバルであるACミランのユニフォームを着てメディアに登場したりと、数々の問題行動を繰り返しては世間を騒がせた。

と言ってもバロテッリのように、フットボールの世界で “悪童” と呼ばれた選手は少なくない。
かつてはディエゴ・マラドーナがその代表的な例だったし、イタリア代表でバロテッリとコンビを組むアントニオ・カッサーノも、かつては悪童の代名詞的存在だった(それだけにカッサーノはバロテッリの良き理解者でもあり、兄貴分にもなっている)。

しかしバロテッリの「悪童エピソード」の数は、その若さと量産ペースを考えると、歴代のアニキたちと比べても群を抜いているように見える。
そんなバロテッリだけに、その知名度の割には、これまでフットボーラーとしての実力を評価される機会はあまり多いとは言えなかった。

ところがそんな “悪童” バロテッリが、開催中のユーロ2012で、これまでの評価を一変させようとしている。

ドイツ戦で挙げた2ゴールでファイナル進出の立役者となり、イタリアの救世主となろうとしているのだ。

イタリアに現れた「ニューヒーロー」

ポーランドの首都・ワルシャワのナショナルスタジアム。

ここで決勝進出を賭けて戦ったのは、ドイツとイタリア。
ヨーロッパで1・2を争う実績を持つチーム同士の “伝統の対決” が、ユーロ準決勝の舞台で実現した。

今大会のグループリーグを観た時点で、実力が抜けているな、と個人的に感じたのはスペイン、ドイツ、イタリアの3チームだった。
その3チームが順当にベスト4まで勝ち上がってきて、そのうちの2チームが準決勝で激突した、という事になる。

ただし、下馬評で「有利」とされていたのはドイツのほうだった。

グループリーグは3戦全勝。
決勝トーナメント1回戦でも粘り強いギリシャを一蹴していて、順風満帆の勝ち上がりを見せている。

対するイタリアは、グループリーグ初戦で優勝候補筆頭のスペインに引き分ける悪くないスタートを切ったけれども、続くクロアチア戦でも引き分けてしまい、苦戦の末に辛くも決勝トーナメント進出を果たしている。
そしてトーナメント1回戦でもイングランド相手にPK戦で辛勝するなど、ドイツに比べれば不安定な戦いぶりを見せていた。

そしてこの準決勝でも、まずペースを握ったのはドイツのほうだった。
中盤のプレスでイタリアの攻撃を寸断し、攻撃でもサミ・ケディラやトニ・クロースが切れのある動きでイタリアのゴールに迫っていく。

ただし反面、ドイツはひとつ大きなジンクスも抱えていた。

ドイツとイタリアは、それぞれワールドカップで3回と4回の優勝を誇り、ヨーロッパのフットボール界をリードする大国だ。
しかし、実績では互角に近いこの両チームも、直接対決では大きな差がついていた。

過去の両国の対戦成績は、イタリアの14勝7敗9引き分け。
しかもイタリアは、ワールドカップとユーロの2大大会で、一度もドイツに負けたことがない。
ドイツには「イタリア・コンプレックス」という言葉が存在すると言われるほど、イタリアは “天敵” と言える存在だったのだ。

そしてこのユーロ2012準決勝でも、ドイツはイタリア・コンプレックスの悪夢を体験することになってしまう。

序盤から押し込んでいたのはドイツ。
しかし、先制点を奪ったのはイタリアだった。

20分、左サイドでボールを受けたアントニオ・カッサーノが、背負っていたディフェンダーをターンでかわし、そこから流れるような動作でクロスを上げる。
このクロスに中央で合わせたのが褐色のストライカー、マリオ・バロテッリ。
バロテッリはマークに付いたディフェンダーに頭一つ分競り勝つと、強靭なバネを使ってヘディングからシュートを放つ。

そしてこの強烈な一撃が、ドイツのゴールに突き刺さった。

1-0。

イタリアがまさに「一瞬の隙を突く」ゴールで、先制点を奪うことに成功したのだ。

そしてこのあと、さらにゲームは動く。

その後も同点を狙って押し込むドイツ。
しかしGKジャンルイジ・ブッフォンを中心としたイタリアの守りは、水際でこれを食い止めていく。

そして迎えた36分、イタリアは「伝家の宝刀」を抜いた。

今大会のイタリアは、間違いなくレジスタのアンドレア・ピルロを中心としたチームだ。
しかしピルロに頼り切りというわけではなく、チーム全体でポゼッションができることが、2012年版アズーリの強みでもある。

今大会のイタリアは特に、ピルロの他にもダニエレ・デロッシ、アントニオ・カッサーノ、リカルド・モントリーヴォと、各ラインに決定的なパスを出せる選手を揃えている。
そして押し込まれていたこの時、決定機を生み出したのはモントリーヴォの右足だった。

カウンターからの1本のロングパスが、自陣の深い位置にいたモントリーヴォから放たれる。
その放物線がドイツのDFたちの頭上を超えた時、そこにいたのはマリオ・バロテッリただ一人。

バロテッリは追いすがるディフェンダーには脇目もふらずにドイツのゴールに迫ると、右足を一閃。
アウトに曲がったボールは豪快に空気を切り裂きながら、再びドイツのゴールネットを揺らした。

これで 2-0。
イタリアが大きく勝利へと前進した瞬間だった。

そして実際に、反撃を後半ロスタイムの1点に抑えたイタリアが、ライバルのドイツにまたしても勝利。

“悪童” のこの2ゴールで、イタリアがファイナルへの切符を手にしたのである。

マリオ・バロテッリの持つ「二面性」

ドイツとイタリア。

今大会の出来を考えると、より洗練されたチームだったのはドイツのほうだったろう。
ドイツはほぼ死角のない完成されたチームに見えたけれど、それでも勝ったのはイタリアだった。

イビチャ・オシムはこの試合でのドイツを「プランBが無かった」と評したそうだけれども、ドイツの敗因はまさにこれに尽きるだろう。
戦術マニアのヨアヒム・レーヴ監督のチームは確かに洗練されてはいたけれど、その反面、想定外の展開になった場合の柔軟性を欠いていた。

対するイタリアは、グループリーグでは相手をポゼッションで圧倒するようなプレーも見せつつも、この日の試合のように守勢に立たされた場面でも、一発のカウンターから得点する従来のスタイルを併用することができていた。

その狡猾さと勝負強さ。
それがドイツ人の「イタリア・コンプレックス」の正体だと言えるだろう。

そしてイタリアにはこの試合で、一人のヒーローが生まれている。

マリオ・バロテッリのエキセントリックな性格は、彼の肌の色や生い立ちと無関係ではないようだ。

ガーナから出稼ぎに来た移民の両親のもと、イタリアで生まれたマリオ・バロテッリ。
しかし経済的理由から、物心つく前に養子に出されたマリオ少年は、里親の「バロテッリ」の姓を名乗りイタリア人として育てられる。

しかしイタリアでは珍しい黒人であることから、度重なる人種差別のターゲットとなり、それはプロデビュー後も収まることはなかった。
この彼の数奇な境遇が、数々の奇行と “悪童” のイメージの原点になっている、とも言えるのではないだろうか。

しかし “悪童” と呼ばれる反面、バロテッリは時折イメージとは正反対の一面も覗かせる。

カジノで勝ったお金(の一部)をホームレスに恵んだり、頻繁にマンチェスター・シティの練習場に姿を見せていた少年が実は学校でいじめを受けていると知るや、その学校に乗り込んでいじめっ子を叱責して和解をさせたり、というようなエピソードも持っている。

人間としてもプレイヤーとしても、今のマリオ・バロテッリは「善」と「悪」の二面性を併せ持ったような存在だ。

所属するマンチェスター・シティでも、ユナイテッドとのマンチェスター・ダービーで2ゴールを挙げてヒーローになったかと思えば、素行不良でロベルト・マンチーニ監督をたびたび激怒させるなど、シーズンを通じてのパフォーマンスでは安定感を欠いている。

このユーロ2012でも多くの試合で先発出場のチャンスを与えられながら、キーパーと1対1のチャンスでミスをしたり、ほとんど「消えている」ような試合も目立った。
それでも、ドイツ戦の2ゴールを含む今大会の3得点はどれも「スーパー」と表現できるもので、ここまではその「潜在能力の高さ」と「安定感の無さ」の両面を披露するような格好になっている。

しかし、泣いても笑っても残るはあと一試合。

数時間後に迫った決勝戦で、マリオ・バロテッリが爆発するようなことがあれば、イタリアはタイトル獲得にグッと近づくことだろう。

ドイツ戦での大活躍を受けて、マンチェスター・シティのマンチーニ監督は、

『「良い選手」から「偉大な選手」へと昇華する瞬間がやってきた』と、愛弟子を賞賛したという。

しかしマリオ・バロテッリが「悪童」のレッテルを貼られ続けるか、それとも偉大な「レジェンド」たちの仲間入りを果たすのか。

その答えはまだ明らかになっていない。

それはすべて、バロテッリがファイナルでも活躍できるかどうか。

その一点にかかっているだろう。

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