求められる『ザック・ジャパンのゴール』とは/コンフェデレーションズカップ@日本代表 3-4 イタリア代表

※写真はイメージです photo by Nazionale Calcio

「賛否両論」という言葉、サッカー界ではよく使われる言葉だと思います。

「ザッケローニ監督の采配に賛否両論」、「日本代表の新ユニフォームに賛否両論」、「早野宏史さんのダジャレに賛否両論」、「中田英寿氏のアゴひげの量に賛否両論」、などなど枚挙にいとまがないですが、この日の試合も非常に「賛否両論」渦巻く、難しい試合になりました。

イタリア代表を相手に 3-4。
この試合は、いろいろな見方ができる試合だったと思います。

好意的に見れば、イタリアを相手に3点を奪って「いい戦い」をした試合。
厳しい見方をすれば、4点を失った「負け試合」。

どのどちらの見方も間違ってはいないと思いますし、いまの日本の実力を現していると思います。

それでもこの試合の評価が分かれてしまうのは、『ワールドカップ本大会での目標をどこに置くのか』、それによって、この試合を判断する「視点が変わる」ことが、大きな理由ではないでしょうか。

賛否両論を生んだ、イタリア戦の「二面性」

この試合、日本の攻撃はとても良いものでした。
少なくとも、開幕のブラジル戦よりは格段に良かった。これは試合を観た全ての人に共通する認識でしょう。
そして強豪のイタリアから3点を奪った。

このスコアは間違いなく称賛に値するもので、どのチームでもできることではありません。
ほんの数年前の日本なら、公式戦でイタリアから3点を奪うことなど考えられないことでした。
そう考えると、日本サッカーは飛躍的な進歩を見せていると言えると思います。

しかし同時に、「勝ち切れなかった」こともまた事実です。
そして当然ながらサッカーは、「勝利」を目指して戦う競技でもあります。

試合後、得点者の本田圭佑、香川真司、岡崎慎司たちは口々に「勝たなければ意味が無い」と語りました。

単純な「巧さ」以外にも「運・不運」や「好不調」など、複雑な要素が 90分間絡み合うサッカーというスポーツにおいて、選手たちや監督は詰まるところ「試合終了のホイッスルが吹かれた瞬間に、相手より1点でも多く点を獲っている」ことを目的に戦っています。
逆にそれが達成できなければ、どんなにいい内容でも意味は無い、と考えるのが一流の選手たちの感覚なのでしょう。
言い換えれば、「悪い内容でも最後には勝ってしまう」のが、真の強豪チームなのだとも言えると思います。

そしてイタリアは、日本を相手にそれを実践してみせました。
それが出来たのは 2-0でリードされている時でも、内容的に押されている時でも、イタリアにはまだ「余力」が残されていたからではないでしょうか。
つまり日本が押していた時間帯のイタリアは、まだ「フルパワー」ではなかったのだとも言えると思います。

実際に敵将のプランデッリ監督も認めた通り、イタリアは前の試合からの休養が日本より1日短く、コンディション面に問題を抱えていました。
そして「(ブラジルに 0-3で敗れた)日本を過小評価していた。」のも事実のようです。

そのプランデッリの言葉通り、前半のイタリアのプレーは酷いものでした。
プレスは緩く、ラインは下がり過ぎで、チーム全体の統制が取れていない。
メキシコの頑張りに苦戦したとは言え、北中米王者を相手にゲームを支配し続けた3日前とはまるで別のチームのようで、日本に自由にボールを回させていたのが前半のイタリアです。

それでも 41分から 52分にかけて、ハーフタイムをまたいでの 11分間で、イタリアは日本から3点を連取して形勢を逆転します。
おそらく、この時がイタリアの「本気」の時間帯だったのでしょう。

調子の悪い試合でも、「本気」になった時には全ての力を出して、キッチリとゴールを奪ってくる。
これが強豪の「勝負強さ」の正体なのだと僕は感じました。
そしてこの「本気の時間帯」にも互角に渡り合えるようになった時が、日本が本当にイタリアと肩を並べた時と言えるのではないでしょうか。

ただし、それでも忘れてはいけないのは、「不調の時のイタリアが相手であれば、日本はそれを圧倒できるだけの力を身につけていた」ことです。
さらに僕がこの試合で一番驚いたのは、日本がイタリアを相手に2点をリードしたことでも、イタリアがそこから3点を奪って逆転したことでもなく、日本がそこからさらに1点を奪って 3-3の同点に追いついたことでした。

もし本当に力の劣るチームが “まぐれ” で2点をリードしたのであれば、逆転を許した時点でもう反撃する力は残っていなかったことでしょう。
しかし、この日の日本はそこからさらに追いつくことに成功しました。
これは、日本とイタリアの力の差が、そう大きいものではなかったことを現していると思います。

結果的に負けはしましたが、この試合はイタリアの強さと同時に、日本のここ数年間での成長も十分に感じられる試合だった、と言えるのではないでしょうか。

求められる『ザック・ジャパンのゴール』とは

このように、日本がイタリアを相手に善戦したことは、評価に値すると僕は考えています。

それでもその反面、この試合を「いい試合だった」で終わらせてはいけないのではないか、とも思っています。
いや、もちろんいい試合ではあったのですが、「だからこのサッカーで良い、日本はこのスタイルでワールドカップを戦うんだ」と考えるのは、やや早計ではないかと思うのです。

より正確に言うと、「この方向性(ポゼッションサッカー)」そのものは間違ってはいないと思います。
これは日本の武器として、これからも磨きをかけていくべきでしょう。

ただし、おそらくそれだけでは、ワールドカップでは勝てない。

日本がワールドカップで上位進出をしようと思ったら、ポゼッションサッカーを主体としたスタイル「プランA」と同時に、「プランB」を持つ必要があるのではないか?
そしてその「プランB」とは、強豪チームの猛攻を耐えしのいでからの「堅守速攻」を軸にしたスタイルだ、というのが僕の考えです。

ブラジルやイタリアのような強豪国は、試合展開によっては激しいプレスをかけに行ったり、逆に無理に攻めに行かずにディフェンスを固めたりと、ある程度の戦術的柔軟性を持っています。
そして実力で一歩劣る日本が、それらの国に本気で勝とうと思ったら、そういった「戦術の使い分け」をより高度にできるようになる必要があるのではないかと僕は考えています。
この試合でも、2-0になった時点である程度ディフェンシブに戦ってリードを守るような戦いができていれば、その結果も違ったものになっていたかもしれません。

なお、ここで言う「ディフェンシブ」というのは、「自陣に引きこもって攻撃を放棄する」というような意味ではありません。
守備を固めて失点のリスクを抑えながらも、隙を見たカウンターで3点目を狙いに行くような戦い方をイメージしています。

かつてフィリップ・トルシエが『日本には守りの文化がない。』と語っていましたが、個人的には「守りながら攻める」ような戦いぶりができた時、それが『守りの文化』と呼べるのではないかと考えています。
そしてこのイタリア戦を観る限り、日本にはまだ『守りの文化』は根付いていないように感じました。

繰り返しになりますが、この試合を肯定的に観るか否定的に観るのかは、『来年のワールドカップでの目標をどこに置くのか』で変わってくるのだと思います。

『良いサッカーをして世界を驚かせる』のが目標ならば、現在の攻撃サッカーを押し進めていくのは正しい道だと言えると思います。
しかし本気で『優勝』『ベスト4以上』を目指すのであれば、日本は現在のスタイルの上に『守りの文化』を植え付けて行く必要があるのではないでしょうか。

さらにこの試合を観て気がついたのですが、このゲームが賛否両論で捉えられてしまうのは、詰まるところ『日本が来年のワールドカップでどこを目標(ゴール)にして戦うのか、明確な共通認識がチーム内に存在していない』からのように感じました。

試合後、本田圭佑や香川真司は憮然とした表情でピッチを後にしましたが、ザッケローニ監督は母国とのシーソーゲームを「いい試合だった」と評したそうです。

この試合が「いい試合」だったことは確かです。

しかし同時に、「いい試合をしたけど負けた」のも事実でしょう。

この試合を、どう評価するのか。

ザッケローニ監督がまずするべきは、チーム内でその結論を明確にすることではないかと、僕には感じられたのです。

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