当たり前なんだけども、今年はまた1歳ぶんオッサンになる。
そして悲しいかな、歳をとるごとに1年が経つのが早くなってきた。
このまえ新年が開けたばっかりだと思っていたのに、気がつけばもう2週間が過ぎようとしてるじゃないか!
ちなみにこれをあと25回くらい繰り返したら、もう次の年末になっちゃったりするのだ。
そんな事を何10回かやっていたら一生が終わってしまうわけだから、人生って儚いもんですなぁ…とひとり黄昏る30代♂。
言い換えれば1日1日をどう過ごせるかで、その人の人生も大きく変わっていくことになるのだろう。
でもそんな「1年間」という短い時間の中でも、人生が180度変わってしまうこともあるのだ。
今から1年前、日本から世界ナンバーワンのサッカー選手が生まれることを予想していた人は、いったい何人いただろうか。
それでもいま、そんな “ジャパニーズ・ドリーム” が現実となってしまった。
日本サッカー界は2011年、 “澤穂希” の名前と共に、世界のサッカーシーンに栄光の歴史を刻みこんだのである。
世界最優秀選手となった澤穂希
女子ワールドカップでの優勝、そして得点王、MVP。
昨年の7月に行われたこの大会でタイトルを総ナメにした澤穂希は、その年の世界のベストプレーヤーを選ぶFIFA最優秀選手賞でも受賞を本命視されていた。
しかし男子では2010年のワールドカップでベスト8に終わったリオネル・メッシがその年の世界最優秀選手に選ばれた例があるように、賞レースというものはフタを開けてみなければ分からない。
それだけに、澤の朗報には「嬉しい」と言うよりも、とりあえず「ホッとした」という思いが個人的には強かった。
ワールドカップ優勝から始まった国内での「なでしこフィーバー」の中で国民栄誉賞も受賞。
なでしこジャパンの中心選手としてすっかり有名になった澤だけれども、今回の受賞でさらにその名を上げることになるだろう。
とは言っても本人は、授賞式で名前が呼ばれたときは「頭が真っ白」だったらしく、ポカーンとした表情を見せている。
澤曰く「実感がわかなかった」そうだけれども、正直、いちファンとしてここ数年の女子サッカーを見続けてきた自分的にも、何だか未だに実感がわかない。
なまじ「ワールドカップ以前」の女子サッカー界を見ていただけに、1年前には想像することすらできなかった「世界ナンバーワンの日本人選手」の誕生という事実を、どこか現実のものとして捉えきれないような感覚があるのだ。
それでも巷に目を向けると、むしろサッカーにどっぷり浸かったファンよりも、一般の人たちのほうがこの偉業を的確に評価しているようだった。
朝のワイドショーでどこかのコメンテーターが「これは日本のスポーツ界で史上最高の快挙と言ってもいい」というような言葉で澤の受賞を讃えていたけれども、確かにその難易度から言えば、本当にそれくらい凄い事なのかもしれない。
それをきっと、僕を含むサッカーファンたちも、これから少しずつ実感していくのではないだろうか。
澤穂希が築いた「歴史」と「未来」。
僕が子供だったころ、近所でサッカーをする女子は見かけたことが無かった。
大げさではなく「ゼロ」だったと言っていい。
それくらい本当に、女子サッカーはマイナーなスポーツだった。
僕は澤穂希ととそう歳が変わらないけれども、そんな時代に澤がサッカーを始めたことは、それなりに風当たりが強いことだったのではないかとも想像する。
しかし最近では町を歩いていると、公園でサッカーボールを蹴る女の子を見かけることも珍しくなくなってきた。
数年前からそういう傾向はあったけれども、ワールドカップ以降はさらにその数が増えているようにも思える。
女子サッカー不毛の時代からボールを蹴り始め、15歳で代表入りした澤穂希も、今では33歳。
この1年間で日本の女子サッカーを取り巻く環境も、そしておそらく澤自身の人生も、何から何までが大きく変わったはずだ。
しかしそれは、澤が初めてユニフォームに袖を通した頃から長い長い歳月をかけて、選手や関係者たちが少しずつ積み重ねてきたことの結果なのである。
時代の大きなうねりの中にいる時には、近すぎて見えないものがある。
しかし僕たちはきっと、数年後には実感するのだろう。
澤穂希という選手の偉大さと、2011年になでしこジャパンが成し遂げたことが、どれだけ価値のあるものだったのかという事を。
[ 関連エントリー ]