音楽用語で、その曲の中で一番盛り上がる場所を「サビ」と言うけれど、それ以外の部分は「Aメロ」や「Bメロ」「イントロ」などと呼ぶ。
ちなみにサビは最も印象に残るフレーズではあるけれど、もしサビだけで音楽を構成してしまったら、一本調子が過ぎて楽曲はつまらないものになってしまう。
サビをより印象づけるためには、サビ以外の部分で曲をいったん落ち着かせることが必要だというわけだ。
同じことは映画のシナリオや小説などにも当てはまる。
ストーリーの中で一番盛り上がるパートは「ヤマ」と言われるけれど、反対に物語が暗く落ち込む部分を「タニ」と呼んだりする。
シナリオライターは主人公に逆境を与えるなど、意図的に「タニ」の部分をつくることで、それを克服した時の「ヤマ」の盛り上がりを倍増させて、物語をいっそう印象的なものに仕立て上げていくそうだ。
これは言い換えれば、「ずっと良いことばかりが続くのが、最良であるとは限らない」とも言えるだろう。
同じような意味で「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり」なんて言葉もあるよね……と、ことわざなんかを例に出し始めると、さあいよいよ、このブログからも “加齢臭” が漂ってきましたよ!!
それはさておき、アルベルト・ザッケローニ監督就任からおよそ一年半。
いまザック・ジャパンが直面しているのも、そんな「谷間の時期」なのではないか、と僕は思うのだ。
「まさかの敗戦」の誤算
豊田スタジアムのスタンドは、ほぼ満員の大観衆で埋め尽くされていた。
日本は海外組を招集し、ケガ人を除けばベストのメンバー。
対するウズベキスタンはリザーブ中心の2軍チーム。
「勝って当然」
試合前、僕はそう考えていた。
おそらく日本の大半のサッカーファンも、同じように感じていたのではないだろうか。
その試合で負けたのだから、代表チームがバッシングを受けるのは当然のことである。
ただ個人的には、この敗戦をそれほど悲観的には捉えていないのだ。
後半に失点するまでは完全に日本のペースだったし、その間ウズベキスタンには、ほぼチャンスらしいチャンスは無かった。
失点した後に攻めに出てからは何度かカウンターを浴びたけれども、ここまではサッカーでは「よくあること」の範疇ではないだろうか。
逆に日本は岡崎慎司のミドルシュートがクロスバーを叩くなど、何度か惜しいチャンスをつくっている。
というように内容で完敗したわけではないのが、その理由である。
この試合の敗因としては海外組の長距離移動、そして国内組がオフシーズンであることからくる、選手たちのコンディション不足が指摘されている。
もちろんそれが大きな要因であるのは間違いないところだろう。
そしてそれと同時に、メンタルの準備が充分ではなかったのではないか、と僕は感じた。
簡単に言うと、どこかで「相手をナメていた」部分があったのではないか。
試合前にはメディアの関心も、試合そのものよりも宮市亮の代表デビューのほうに向いてしまっていて、「普通にやったら勝てる」というマッタリムードの中、チームもフワフワした状態で試合に臨んでしまった印象を受ける。
このことが、この敗戦を招く引き金となったのではないだろうか。
日本が露呈した課題
とは言ってももちろん、日本の出来が「良かった」とも言い難い。
個人的に気になったのは、本来なら日本の武器であるはずの長友佑都・内田篤人の両サイドバックの攻め上がりが、目立って少ないように感じられたことだ。
そしてそれによって、日本のサイドアタックは機能不全に陥ってしまった。
これは本人たちのコンディションの問題もあったのかもしれないけれど、それ以上に、チームが前線でボールをキープできないことが致命的だったように思う。
これに関しては、キープ力に長けた前田遼一を外してハーフナー・マイクを起用したザッケローニの采配ミスだと言っていいだろう。
そして改めて、本田圭佑不在の穴が浮き彫りになった格好だとも言える。
トップ下で攻撃のキーマンとなった香川真司も、ドルトムントで見せているプレーを考えれば、満足いくクオリティーではなかった。
ただしこれは、香川自身の問題と言うよりも、周囲とのコンビネーションに課題があったのではないだろうか。
ドルトムントでの香川も、この日と同じくトップ下のポジションを務めている。
しかしトップ下と言っても周囲を手足のように操る「王様」と言うよりは、攻撃陣の選手たちとうまく「使い・使われる」関係を築きながら、コンビネーションの中でその個人技を発揮しているという印象が強い。
これはドルトムントには、それができるだけの人材が揃っていることも大きいだろう。
マリオ・ゲッツェ、ケヴィン・グロスクロイツ、ロベルト・レヴァンドフスキ、あるいはルーカス・バリオスといった「使うプレー」も「使われるプレー」もハイレベルにこなす選手たちが周囲にいるからこそ、香川もさらにその輝きを増しているように思う。
それに対して、この日の日本代表の攻撃陣は、どちらかと言えば「使われるプレー」に持ち味のある岡崎慎司と、長身だが、敵を背負ってパスをさばくようなプレーはあまり得意ではないハーフナー・マイク、そして代表でのコンビネーションがまだ確立されていない藤本淳吾という面々。
香川がドルトムントで見せているほどのプレーを披露できなかったのは、これら周囲の選手たちとの関係性を、うまく構築できていないことが大きかったのではないだろうか。
逆に結果には繋がらなかったけれども、かつてはセレッソ大阪でも名コンビを組んだ乾貴士が入ってからは、何度かいいチャンスを作りかける場面も見られた。
ザック・ジャパンの置かれた「現在地」
と言うわけでこの試合の敗因を僕なりにまとめてみると、「コンディション不足」「メンタル面の準備不足」「本田圭佑の穴を埋められる選手の不在」「レギュラーとサブ(もしくは新顔)とのコンビネーション不足」が挙げられる。
それでも僕が「あまり悲観していない」と書いたのは、これらの敗因のほとんどが「修正可能なもの」もしくは逆に「以前からずっと課題として抱え続けているもの」であるからだ。
後者に関しては心配していないと言うと嘘になるけれど、少なくともこの試合で急に生まれた課題というわけでもない。
つまり日本代表の状態は以前より悪くなっているということではなく、今は少し足踏みしている「停滞期」を迎えているのではないか、と個人的には解釈している。
とは言ってももちろん、「だから負けてもOK」ということでは全くない。
日本はこの敗戦で、ワールドカップ3次予選を2位で通過することが決定。
6月からの最終予選ではシードから外れて、強豪国と同グループになる可能性も出てきてしまった。
そして現在抱える課題について、いま真摯に向き合っておかなければ、その綻びはより大きく広がっていってしまう危険性もはらんでいる。
それでも最終予選までは3ヶ月、ワールドカップ本大会までは2年とちょっと。
時間は多くはないが、まだ残されている。
願わくばいまザック・ジャパンの置かれている状況が、ハッピーエンドへと続く長い物語の中の、一時的な「タニ」の時期であってくれることを信じたい。
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