“歴史的勝利”、なでしこジャパンを変えたもの。/アルガルヴェ・カップ@日本女子代表 1-0 アメリカ女子代表

サッカー日本女子代表の、アメリカ女子代表との通算対戦成績は、これまで 0勝21敗4引き分けだった。
実に25試合、四半世紀以上に渡って、日本はアメリカに勝ったことがなかったのである。

サッカーは比較的「運」が勝敗に影響を与えることの多いスポーツだ。
なのにこれだけ勝てなかったという事実は、両者の実力差がいかに大きいものだったかを物語っている。

そしてその実力差は数字以上に、実際に試合を観たファン、そしてプレーをする選手たち自身が、肌身を持って感じていたことでもあるだろう。

ほんの10年前まで、日本は世界大会に「出場すること」が一番の目標の、世界的に見れば弱小国のひとつに過ぎなかった。

初出場した1996年のアトランタ・オリンピックでは3戦全敗。
続く2000年のシドニー・オリンピックは、アジア予選で敗退する屈辱を味わう。

ワールドカップでも、1995年大会で1勝2敗ながらグループ3位に滑りこんでベスト8に進出した以外は、2007年まで全ての大会でグループリーグ敗退。

それが以前までの、日本の実力だったのだ。

そんな日本とは対照的に、アメリカは女子サッカーの黎明期から華々しい戦績を誇り、常に世界をリードする存在だった。

オリンピックもワールドカップも、その初代チャンピオンとなった国はアメリカである。

そして今日に至るまで、オリンピックで優勝3回、準優勝が1回。
ワールドカップでも優勝2回、準優勝1回。
両大会を通じてこれまで10回あった世界大会の全てに出場し、全ての大会で3位以上の成績を残している。

日本からすれば比較するのも気がひけるほどの「雲の上の存在」。
それがアメリカだった。

しかし2000年代に入ってからは日本も着実に成長を見せ、2008年の北京オリンピックでは、ついに世界大会で初のベスト4にまで進出。

そしてこのとき日本は、メダル獲得を懸けてアメリカと対戦することになった。

結果は 2-4。
内容は、日本の完敗である。

日本はこの北京オリンピックで、初めて世界の頂きをその視野に捉えることができた。

しかしそこから頂点に至るまでの道のりは、まるでそこにもう一つの山がそびえ立っているのかと思うくらいに、高く険しいものに感じられたのである。

「この差は、あと10年は埋まらないのではないか ーーー。」

僕はその時そう感じてしまったのだけど、それくらい絶望的な差が、日本とアメリカの間にはあるように思えたのだ。

しかし、その途方もなく感じられた道のりを、日本はわずか3年で駆け上がってしまう。

2011年ワールドカップ優勝。

決勝では「あの」アメリカを、女子サッカー史上に残る名勝負の末に退け、誰も予想しなかったほどのスピードで、なでしこジャパンは世界の頂点に立った。

アメリカに競り勝って手に入れた、世界の王座。

それでもワールドカップ決勝は、内容ではアメリカに圧倒された上でのPK戦での勝利である。

自分たちが未だに「チャレンジャー」なのだということは、他でもない なでしこジャパンの選手たち自身が、一番よく分かっているはずだった。

エースを欠いたなでしこジャパン

快晴に恵まれた、ポルトガル南部のエスタディオ・アルガルヴェ。

あのワールドカップ決勝の再現となるカード、日本 VS アメリカが、この地で開かれているアルガルヴェ・カップで実現したのだ。

ところがそこに、ワールドカップ決勝でヒロインとなった日本のエース、澤穂希の姿はなかった。

その本人は試合の数日前、目の前の強大な敵への不安感を口にしている。

「大差で負けなければいいかな」との発言は、日本女子サッカー暗黒時代を知る澤だからこその、現実を見据えた “本音” だったのだろうか。

しかし、実際の試合は、澤の予想を見事に裏切った。

序盤に主導権を握ったのは、澤も川澄もいないはずの、日本代表のほうだったのである。

日本の見せた「成長の跡」

立ち上がりの20分間、日本は自分たちのやりたいサッカーが出来ていたはずだ。

高い位置からのプレスでボールを奪い、そこから宮間あや・阪口夢穂らの中盤を軸にしたパスワークでアメリカ守備陣の足を止めていく。

ワールドチャンピオンだとは言っても、ワールドカップ決勝の前半にアメリカの猛攻に晒されたことを考えれば、信じられないくらい完璧な形で、この日の日本は試合をスタートさせていた。

しかしこれは、単純に「日本が良かったから」というだけが理由ではないだろう。

序盤のアメリカは、まだ “吹っ切れて” いなかった。
自分たちのスタイルを貫けていなかったのである。

立ち上がりのアメリカからは、どこか日本のような、綺麗なパスサッカーをやろうという意図が見え隠れしていたように思う。

しつこいけれど日本は、現役の世界チャンピオンである。
そしてアメリカやドイツなどの「フィジカル重視」のサッカーが支配し続けてきた女子サッカーの歴史の中では、初めて誕生した「技巧派のチャンピオン」でもあった。

なでしこジャパンが世界に与えたインパクトは、たぶん僕たちが想像している以上に大きい。

アメリカのような強豪国が、多少なりとも日本サッカーのエッセンスを取り入れようと考えたとしても、あながち不思議なことではないだろう。

ただし、付け焼刃のスタイルが簡単に機能するほどサッカーは単純ではない。

結果的に序盤のアメリカは、ワールドカップの決勝と比べると全く「怖さ」を感じないチームだったのである。

そして逆に日本は、この時間帯に最も自分たちらしいサッカーを実践している。

しかし、そこは世界ランキングナンバーワンのアメリカ。
修正までの動きは早かった。

序盤のサッカーが機能しないと見るや、アメリカは即座に、日本が最も苦手とするスタイルへと舵を切り直す。

後方から前線にロングボールを放り込むシンプルな攻撃で、前半途中からはフィジカル勝負を仕掛けてきたのである。

このロングボール戦法で、アビー・ワンバックの高さ、アレックス・モーガンのスピードがより際立つことになり、日本のディフェンス陣は脅威にさらされた。

そしてこれは、アメリカにとってはディフェンス面でも効果を発揮する。
日本は攻撃に転じても深い位置からの組み立てを余儀なくされ、効果的なアタックになかなか繋がっていかない。

さらにアメリカは日本のパスの「出し手」ではなく「受け手」をマークすることによって、日本の得意とする中盤での攻防を避け、最終ラインで日本の攻撃を封じ込める作戦に出た。

こうして気がつけば試合の主導権は、完全にアメリカに握り返されていたのだ。

しかし、日本には半年前の対戦時から大きく進歩している部分があった。

それは「ディフェンス」である。

ワールドカップではアメリカに一方的に押し込まれ、前半だけで4点・5点獲られていてもおかしくはなかったディフェンス陣が、この日は押し込まれながらも落ち着いてアメリカの攻撃に対処できるようになっていた。

その粘りのディフェンスで、結果的に日本はこの日、アメリカを完封することに成功する。

そして引き分けも視野に入りつつあった83分、劣勢の試合をひっくり返したのは、日本が誇るあの “飛び道具”。

ワールドカップに続いて火を噴いた、宮間あやのセットプレー。

そのコーナーキックから高瀬愛実が頭で決めて、25年間負け続けた日本はついに、対アメリカ戦の黒星の歴史に終止符を打ったのである。

“なでしこジャパン”を変えたもの。

試合後、アメリカのエース、アビー・ワンバックは「日本はこの5年間で最も成長したチームだ」と、新しいライバルを讃えた。

確かに4年前の北京オリンピックの頃と比べても、今のなでしこジャパンはまるで別のチームのように見える。

彼女たちをここまで劇的に変えたものは、いったい何だったのか?

僕はその答えを、今ならば確信を持って言える。

それは「自信」だ。

「アメリカに勝ちたい。」

「でも、きっと勝てないだろう。」

4年前はファンも選手たちも、心のどこかにそんな気持ちを抱えていたように思う。

しかしそんなネガティブな自己評価が、「ワールドカップ優勝」を境に、大きく変化したのだ。

代わりに手に入れたのは、歴代の勝利者にしか持つことを許されない『勝者のメンタリティー』である。

なでしこたちも、この数年で急にサッカーが上手くなったわけではないだろう。

しかし「自分たちは勝てるんだ」という自信が、彼女たちのメンタリティーに劇的な変化をもたらした。

いま、勝利の味を覚えたなでしこたちを撃破することは、世界中のどのチームにとっても容易ではないはずだ。

おそらく今のなでしこジャパンは、日本のサッカーファンが考えている以上に、世界のライバルたちにとっての脅威となっている。

彼女たちに死角があるとすれば、その自信が「慢心」に変わった時だろう。

しかし今のなでしこたちならば、そんな心配も杞憂に終わるだろうと僕は思う。

その視線は来たる決勝・ドイツ戦を飛び越え、ハッキリと、ロンドン・オリンピックの頂点をとらえている。

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