「不条理」に破られた「ロジック」/UEFAチャンピオンズリーグ@FCバルセロナ 2-2 チェルシーFC

Barcelona

「不条理」という言葉を辞書で引くと、

『筋道が通らないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。』

と出る。

フットボールはロジカルなスポーツだけれども、同時に不条理性をはらんだ存在だ。
たいていは強い者が勝つが、絶対に勝つという保証はない。
そして時にその不条理さこそが、フットボールに予測不可能な「意外性」をもたらす。

UEFAチャンピオンズリーグの準決勝。

1stレグと2ndレグの2戦を通じて、FCバルセロナのボールポゼッション率は70%を超えた。
実に、1試合につき70分間近くバルサがボールを保持している計算になり、これは驚異的な数字である。
さらに凄いのは、バルセロナはリーガ・エスパニョーラでも1シーズンを通して、これに匹敵する数字を残していることだ。

FCバルセロナはフットボールが誕生してから1世紀半ほどの年月を経て、人類がたどり着いたひとつの究極形である。
そうでなければ、チェルシーのような世界有数のチームに対して、ここまで一方的な試合を展開できることの説明がつかない。

しかし、それでもバルサは負けた。

そしてその不条理さこそが、フットボールを刺激的でエキサイティングなものにする、重要なエッセンスでもあるのだろう。

「不条理」に破られた「ロジック」

チェルシーを率いる監督、ロベルト・ディ・マッテオはイタリア人である。
彼の母国に、「守備的」という概念は存在しない。
なぜなら、イタリアではそれが当たり前の戦術であるからだ。

それでもディ・マッテオは試合後、「我々が決勝に進んだのは、公平ではない」と、その結果がロジカルではなかったことを認めた。
ただしその上で、「大事なのは(プレースタイルではなく)、決勝に行くことだ。」との注釈をつけて。

事実、1stレグでも2ndレグでも、バルセロナの戦いぶりは完璧に近いものだった。
2試合を通じて、チェルシーに許した枠内シュートの数はわずかに4本。逆にバルセロナは11本。
ポゼッション率も前述のとおり、バルサがチェルシーを圧倒する数字を残している。

そして 2ndレグ前半にアンドレス・イニエスタのゴールが決まり通算2-1と逆転した時点で、バルセロナの勝利を確信した人は僕だけではなかっただろう。

バルサの驚異的な攻撃をチェルシーがそれ以上ストップできるとは思えず、また 1stレグでディディエ・ドログバが決めたような一発が、もう一度チェルシーにもたらされるとはとても考えられなかったからだ。

しかしその2分後、チェルシーは再びサプライズを起こしてみせる。

カウンターから抜けだしたラミレスのシュートは、これ以上はないほどの正確な孤を描き、ビクトル・バルデスの頭上を越える。
そして勝負のコインはまたしても、チェルシーの側に裏返ったのだ。

そんな予想のつかないゲームに終止符を打ったのは、後半ロスタイムのフェルナンド・トーレスのゴールである。

しかしゲームが事実上の終焉を迎えたのは、やはり後半48分の「あの」出来事だった。
世界ナンバーワンプレイヤー、リオネル・メッシがPKを外したとき、結果的にこの勝負の趨勢は決まった。
アーセン・ヴェンゲルをして「プレイステーションの中の選手」と評されたメッシであっても、やはり生身の人間に違いはなかったということか。

「チームを見て、どこが悪かったのか分からないし、私たちがどうして決勝に行けなかったのか、まだ敗戦の理由が見つからない。」

バルセロナのジョゼップ・グアルディオラ監督がそう語った通り、これは簡単には説明のつかない「不条理な」結末だ。

フットボールの世界で、正確無比なプレーを時に「スイス時計のような」と例えることがあるけれども、グアルディオラ監督が築き上げたパルセロナのプレースタイルは、さながらスイス時計を超えた存在、デジタル・クロックを連想させる。
集積回路を駆け巡るデジタル信号のようなスピードと精度でプレーを刻み続けるバルサは、IT時代を代表するにふさわしい、近代フットボールの理想像だとも言える。

しかし、どんなチームも、決して完璧にはならない。
それはバルサであっても例外ではなかった。

グアルディオラの頭脳を持ってしても、メッシの天才性をもってしても解くことのできなかったロジック。

ただしそれでも、だからこそフットボールは僕たちの関心を、飽くことなく惹きつけ続けるのである。

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