大儀見優季、「世界」へのリベンジへ。/国際親善試合@日本女子代表 3-0 オーストラリア女子代表

なでしこのおしえ

“大儀見優季(おおぎみ・ゆうき)”

聞き慣れない名前の先発メンバーに、国立競技場が「もしやノリオ、秘密兵器の投入か!?」
と色めき立った…かどうかは不明である。

しかしベールを脱いだ「大儀見」選手の正体は、頼れる日本のエースストライカーだった。

彼女の以前の名前は永里優季。
めでたく去年に結婚されて、登録名もこのタイミングで新しい姓へと切り替えたのだ。

ちなみにうちの奥さんは「オオギリって、なんか面白そうな名前だね」と感想を漏らしていたけれど、『笑点』の人気コーナーと日本代表のエースを混同してはいけない。

しかも彼女は、今やなでしこジャパンに不可欠な存在なのである。

日本の生んだ「早熟のストライカー」、大儀見優季

この日のオーストラリア戦でもゴールを決めた大儀見優季は、これで代表Aマッチ4試合連続ゴール。
しかもその中にはアメリカやスウェーデン、ブラジルなど世界トップクラスの強豪とのゲームも含まれる。
まさに今が「キャリアハイ」とも言ってもいいくらいの絶頂期を迎えているのだ。

ただし大儀見優季が女子サッカー界で注目され始めたのは、もっとずっと前のことだった。

中学入学と同時に名門、日テレ・ベレーザの門を叩くと、早くも中学3年生時にはトップリーグでデビューを飾った大儀見優季。
そして2006年には19歳の若さで、なでしこリーグの得点王を獲得。
なでしこジャパンでも16歳で初キャップを刻み、その早熟の天才っぷりは “レジェンド” 澤穂希にも引けをとらないほどだった。

ちなみに大儀見の妹・永里亜紗乃も昨年はA代表にも選ばれたサッカー選手だけれども、兄の永里源気もヴァンフォーレ甲府でプレーする現役Jリーガーである。
兄妹3人が全員トップリーグでプレーした経験を持つというマンガのような一家で生まれた大儀見優季は、幼い頃から「日本代表になりたい」という目標を持ち、それを実現するために実父の厳しい教育を受けながら育ったそうだ。

それでもその後の大儀見優季のキャリアが、必ずしも順風満帆だったというわけではない。
代表デビューは早かった大儀見だけども、20歳で出場した初めてのワールドカップではわずか1ゴールという結果に終わる。
翌年の北京オリンピックでも、期待されながらもゴールの数は1つに留まった。

ベレーザ育ちの大儀見優季だけれども、テクニシャン揃いの日本代表の中では、足技はそれほど器用なほうだとは言えない。
大儀見の武器は、国内では突出した “身体能力” ということになる。
ただしそのフィジカルも、屈強な選手たちと相対する国際舞台では、必ずしもストロングポイントにはならなかったのだ。

そんな大儀見に転機が訪れたのは2010年。
きっかけは「海外移籍」である。

大学卒業を控えた冬、大儀見優季は女子サッカーの本場・ドイツへと移籍を果たした。
そしてここでの経験が、伸び悩みを見せていた大儀見優季を「脱皮」させることになったのだ。

それまで大儀見がプレーしてきた日本のサッカーは、「個」の弱さをコンビネーションでカバーする「組織のサッカー」だった。
しかしドイツではあらゆる局面で、「ツヴァイカンプフ(1対1)」という言葉が重視される。

そのどちらにも良さはあるのだけれど、大儀見はそんなドイツのサッカーの中で揉まれることで、それまで以上に「個」の強さに磨きをかけていく。
そして、日本で培った技術にドイツの「強さ」を融合させた、独自のスタイルを身につけていった。

大儀見優季はドイツの強豪、トゥルビネ・ポツダムでの2シーズン半で、リーグ戦50試合出場29得点とゴールを量産。
移籍初年度にはポツダムのUEFA女子チャンピオンズリーグ優勝にも貢献するなど、輝かしい実績を残す。
そしてドイツ移籍後に参戦した代表のアジアカップでもレベルアップしたプレーを見せつけ、なでしこジャパンでの存在感も高めていった。

そうして満を持して臨んだ2011年のドイツ・ワールドカップ。
ここで大儀見も、世界チャンピオンの一員に名を連ねることになる。

しかし、大儀見個人としてこのワールドカップは、必ずしも満足のいく大会にはならなかったのだ。

栄光の影で経験した「挫折」

昨年のワールドカップではエースストライカーとしてピッチに立った大儀見優季。

しかしそこで刻んだゴールの数は、前回大会と変わらない「1」だった。

初戦のニュージーランド戦こそ、開始6分にゴールして幸先の良いスタートを切った大儀見。
それでもその後、大儀見優季のシュートがゴールマウスを割ることはなかった。

低調だったグループリーグを終えて、活躍を期して臨んだ準々決勝のドイツ戦。
しかし、ここでもその気合いが空回り。
ハーフタイムで屈辱の交代を言い渡されると、続く準決勝、決勝ではとうとう、新鋭の川澄奈穂美にレギュラーの座を奪われる。

決勝のアメリカ戦でも途中出場でチャンスを得たけれども、目立った活躍はできず。
さらに優勝のかかったPK戦ではキックをミスして、一歩間違えれば戦犯になっていたかもしれないほどのピンチも経験した。

大儀見がワールドカップで活躍できなかった背景には、なでしこジャパンとドイツとの「スタイルの違い」が挙げられる。

前述のとおり、大儀見がプレーするドイツでは1対1が重視され、フォワードに求められるのはまず「得点」ということになる。
しかしなでしこジャパンでは、守備でも攻撃でも「チームへの献身性」が優先される。
そんな180度違うサッカー観の間で、代表でも「ドイツ流」を貫こうとした大儀見は、なでしこの組織的な戦術にフィットできなかったのだ。

この大会で唯一の敗戦を喫したグループリーグのイングランド戦の後には、なでしこのプレーに順応しようとしない大儀見を、宮間あやが叱責したとも伝えられていた。

そんな悔しさだけが残ったワールドカップの後、大儀見優季が取り組んだのは「なでしこジャパンへの適応」だった。
ドイツで学んだプレーの良さを残しつつ、日本的な組織サッカーをプレースタイルに取り入れていったのである。

ワールドカップの一ヶ月半後に開催されたロンドン五輪・アジア最終予選ではノーゴールに終わった大儀見だったけれども、その半年後、3月のアルガルヴェ・カップでは、いよいよブレイクを果たす。

最前線の起点として体を張り続け、4試合で2ゴール。
さらにその数字以上に、前線でのポスト役として大きく貢献をしてみせた。

そして続く親善試合で、大儀見は4試合連続ゴールをマーク。

今ではなでしこジャパンの最大の得点源に成長したと言ってもいいだろう。

特筆すべきは、ゲームメーカーの宮間あやとのコンビネーションである。
1-4で大敗した先日のアメリカ戦でも、日本の唯一のゴールは、宮間のクロスを大儀見がダイビングヘッドで合わせたファインゴールだった。
そしてこの日のオーストラリア戦も含めて、最近のゲームでは、宮間がまず大儀見にボールを当てるシーンが目立つ。

ワールドカップではぶつかり合ったこともある大儀見と宮間だけれども、今では日本の新しい「ホットライン」と呼んでもいいくらいに、そのコンビは成熟しつつあるのだ。

「日本のエース」から「世界のストライカー」へ

女子だけでなく男子の世界でも、日本代表は「中盤には素晴らしいタレントが揃っているけれど、前線のストライカーがなかなか育たない」というジレンマを抱えていた。
なでしこジャパンにもこれまでは、「個」の力で世界と渡り合えるストライカーはほとんど存在しなかった。

しかし大儀見優季は、そんな歴史を塗り替えようとしている。

大儀見の身体能力、接触プレーを厭わない強さ、潰れ役をこなしながらも起点となる泥臭さ、そして得点感覚は、充分に「世界」に通用するものだ。
このまま成長を続ければ、世界でも屈指のストライカーになることも夢ではないだろう。

そして現在のなでしこジャパンの中で、大儀見優季は澤穂希や宮間あやと並んで、「替えの効かないピース」の一人になっている。
オリンピックで金メダルを目指す上で、大儀見の活躍は日本の生命線になってくるだろう。

インタビューでは強い言葉で発言することも多く、ややもすれば反感を買いがちな大儀見優季だけれども、僕はこれを本田圭佑と同じように「自分にプレッシャーをかける」行為の副産物ではないかと考えている。

男子サッカーが3戦全敗で終わった4年前の北京オリンピックでは、本田圭佑は「ビッグマウス」と揶揄され、戦犯としてネット上などでそれはそれは叩かれまくった。
しかしその後のワールドカップでの活躍を経て、本田は今では代表のエースとしてカリスマ的存在になっている。

大儀見優季もそのプレーと同様、性格も決して器用なタイプではないらしい。

しかしフォワードというポジションは、ゴールという「結果」を残し続けることで、周囲を黙らすことができるポジションでもある。

アメリカからも、ドイツからも、ブラジルからも得点をマークした大儀見優季に、いまゴールできない相手は存在しない。

ロンドンでなでしこジャパンが再び世界の頂点に立つために、日本の誇るこのストライカーの大爆発に、僕はやっぱり期待してしまうのである。

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