「理想主義」と「現実主義」のはざまで/ワールドカップ2014@日本代表 1-2 コートジボワール代表

※写真はイメージです photo by Jean-Marc Liotier

「なんかこの感じ、どっかで見たな…。」

試合終了直後、僕はぼんやりとそんなことを考えていました。

4年前のパラグアイ戦?
いや違います、あの試合はPK戦で負けたけれども、残っていたのは「やり切った」という一種の達成感でした。

ああそうか、2006年のオーストラリア戦に似てるんだ、と気がづいた時、脳裏に蘇ったのは、あの8年前の映像。
初戦のショッキングな逆転負けの後、クロアチアにスコアレスドロー、そして3戦目のブラジルにフルボッコにされて、早々に大会を去った忌々しい記憶でした。

残念ながら今回も日本代表は、初戦で逆転負け、という最悪に近い形でワールドカップをスタートさせることになりました。
これを残り2戦で立て直していけるかどうかは、ザック・ジャパンがこの現実を、正面から見据えることができるかどうかにかかっているように思うのです。

日本が完敗していた「個の力」

就任から4年の間、アルベルト・ザッケローニ監督は、フォワード以外の主力メンバーをほぼ固定させたまま、ワールドカップに向けての準備を進めて来ました。
しかしいよいよ迎えたこの初戦で、ザックはレギュラーメンバーをマイナーチェンジした先発を組んできます。
特徴的だったのはワントップに柿谷曜一朗ではなくて大迫勇也、ボランチから遠藤保仁を外して長谷部誠と山口螢、そしてセンターバックは今野泰幸に代わって森重真人を起用したことでしょう。

これは、同じポジションの他の選手と比較して、よりフィジカルの強いメンバーを選択したという狙いが見えます。
これまでの日本の戦い方を継続しながら、ザックがコートジボワールのフィジカルの強さも警戒していることが伺えました。

そして前半16分、エース本田圭佑のゴールで、日本はこの上ないほど理想的なスタートを切ります。
しかし、そこから64分に同点に追いつかれるまでの48分間。
この48分間に、日本の敗因が凝縮されていたように感じました。

日本にとってまず不利に働いたのは、おそらく気候の問題です。
気温26度、湿度77%という蒸し暑いコンディションは、プレッシング戦術をベースにする日本にとってはスタミナ面で難しい条件となりました。
そして試合の序盤から降り注いだ雨でボールの滑る感覚が変化したことも、パスサッカーを軸にする日本にはマイナスに働いたと思われます。
このピッチコンディションの影響で、運動量よりフィジカル、パスワークより「個の力」、がより強調される戦いになってしまったことは、日本にとっては不運だったと言えるでしょう。
そしてその差は、時間が経過してスタミナを消耗するにつれて、より鮮明なものとなっていきました。

ただそういった不利な条件があったとはいえ、日本が「個の力」の部分で、コートジボワールに完敗していたのも事実です。

日本はとにかく、一対一の勝負で負け過ぎました。
コートジボワールのドリブル突破を、一対一のディフェンスではほとんどまともに止めることができませんでした。
そしてドリブルで抜かれて裏を取られることを怖れて、日本のディフェンスラインはどんどん下がっていってしまいます。
それによって前線と最終ラインとの距離が開き、中盤が間延びして、さらにプレスがかからなくなる。
攻撃に移っても選手と選手との間隔が広く、相手ゴールまでの距離も遠いため、なかなか効果的な攻撃に繋がらない。

そんな悪循環に陥ってしまっていたように僕は感じました。

これがもう少し涼しいコンディションであれば、複数の選手でプレッシングをかけることで相手のドリブルをもう少し抑えることができたのかもしれません。
しかし現実には気候の影響もあって、日本の悪いところがモロに出てしまったような試合となってしまいました。

日本に欠けていた「オプション戦術」

それでは、日本の敗戦は避けられないものだったのでしょうか?
僕はそうは思いません。

いろいろとエクスキューズの材料はあるものの、環境や気候が有利・不利に働くのはサッカーでは当たり前のことであって、与えられた条件の中でいかに結果を出すかがサッカーというスポーツだからです。
だから日本がコートジボワールに負けたのは、純粋に現在の日本の総合力が、コートジボワールに比べて劣っていたからなのだと思います。

ただしそれが現実だとしても、そういった状況の中でも勝率を高めるための戦略を探ることはできたはずでした。
そしてそのための準備をしてこなかったことが、この敗戦の大きな原因の一つだったのではないかなと、僕は思うのです。

僕がこの試合を観ていて非常に歯がゆく感じたのは、日本に「カウンターアタック」というオプションが全く無かったことでした。

コートジボワールは「個の力」の強いチームです。
日本が一対一である程度やられてしまうのは、もう仕方がない。
この差を埋めていくのは一朝一夕にできることではないので、現実的にこの大会で日本ができることは、この「個の力」の差をチーム力でカバーしていくしか無かったはずです。

日本はそれをプレッシングとパスワークとで補おうと考えていたわけですが、気候の問題もあって思うように機能しなかった。

しかしブラジルでワールドカップが開催されること、この季節のブラジルが、地域によっては高温多湿で雨が多いことは、ずっと前から分かっていたはずです。
さらに日本は世界的には中堅クラスのチームなので、状況や相手次第では、うまくプレスがかかない展開になることも充分に予想できたのではないでしょうか。

にもかかわらず、ザック・ジャパンは別の形で得点を奪うオプションを、けっきょく最後まで準備することはありませんでした。

1年前のコンフェデレーションズカップで0-3と完敗した時から、僕はオプションとしてのカウンターサッカーの必要性を感じていました。
実際に2010年ワールドカップでの岡田ジャパンはベスト16、ロンドン・オリンピックでの関塚ジャパンはベスト4と、日本サッカーはカウンタースタイルでも結果も残しています。

もちろん、専守速攻のカウンタースタイルでは未来に繋がらない、という指摘も確かにあります。
しかし僕は、まずは結果を残さなくては、その未来も開いてこないのでは、と思うのです。

押し込まれているということは、逆に言えばその分だけ、ボールを奪った後には前方に広大なスペースが広がっているということです。
このコートジボワール戦でも「ここでカウンター攻撃ができれば…」というシーンが何度あったことでしょうか。
仮にロンドン・オリンピックでの永井謙佑のような爆発的なスピードを持つフォワードの選手がいたら、それだけでも展開は大きく変わっていたかもしれません。

しかしザック・ジャパンのこれまでの戦いを思い返すと、おそらくカウンターで得点を奪うことは、ほぼ視野に入れてこなかったのではないでしょうか。
振り返るにザック・ジャパンは、これまであまりにも “ポゼッションサッカー” にこだわり過ぎたように思います。

チームにはまず、一本筋の通った ”スタイル” が必要なのは確かです。
しかし、どんな場面でも自分たちのスタイルを貫くことが、最善の策だとは限りません。
相手に押し込まれた時はカウンターサッカーに切り替えて得点のチャンスを待つ、逆に相手が引いて守ってきたら、強引なミドルシュートやサイドからのドリブル突破で守備網をこじ開ける、といった柔軟性が、試合展開によっては求められてくることも多々あります。

しかしザック・ジャパンは、相手が強い相手でも弱い相手でも、一貫してポゼッションサッカーにこだわり続けました。
そういう信念が重要な場面もありますが、それにこだわりすぎて柔軟性を失ってしまうような場合では、その信念は「諸刃の剣」にもなり得るのではないでしょうか。

ザック・ジャパンがコートジボワールとの「個の力」の差を認め、カウンターサッカーというオプションを準備する柔軟性を持ち得ていたら、この敗戦は避けられたのではないかと、僕は感じてしまったのです。

「理想主義」と「現実主義」のはざまで

本田圭佑や長友佑都など、日本代表の主力選手たちは以前から「やる以上は優勝を目指す」と公言し、高い目標を持ってこのワールドカップへの準備を進めてきました。
しかし大会はまだ終わっていないとはいえ、初戦でこの結果とこの内容では、「ビッグマウス」と批判されるのも仕方がないのかな、と思います。

ちなみに僕は本田圭佑のファンです。現在の代表選手で一番好きな選手と言ってもいい。
しかしそんな僕でも、このチームはまだ「優勝」を口にするべきチームではないと感じました。

僕は当然、日本代表の大ファンでありますが、それと同時に「サッカー」という競技そのものの熱狂的なファンでもあります。
だからワールドカップで優勝するチームは、それにふさわしい「実力」を持ったチームであってほしい。
だから日本がワールドカップで優勝したとしても、それが仮に「まぐれ」で得た結果だったとしたら、あまり嬉しくはありません。
あくまでも個人的な意見ですが、僕は日本のワールドカップ優勝は、日本がそれにふさわしい実力をつけた時にこそ達成してほしいと考えています。

日本のサッカーは、まだまだ発展途上です。
そして成長段階にあるチームに必要なのは、「理想主義」だけでも「現実主義」だけでもダメで、その両方を備えた「バランス感覚」なのではないかと個人的には思います。

本田や長友は、おそらくどちらかと言えば「理想主義」の人なのでしょう。
それでも彼らはその理想主義を現実に落としこんでいくことで、セリエAのビッグクラブに移籍するという快挙を成し遂げました。
だからその理想主義は、彼ら自身にとっては間違いなく「必要不可欠」な要素だったのだと思います。

しかし23人から構成される代表チームでは、その理想主義を、チーム全体として現実とリンクさせるところまで至らなかった。
その結果、現在の日本代表は、理想の姿と実力とが、ややアンバランスなチームとなってしまった。

僕は本田や長友の理想主義を否定しているわけではありません。
むしろ非常に好きな考え方でもあります。

ただ、現実的にワールドカップでの勝利を追求するのであれば、どこかでその理想に折り合いをつける必要があった。
しかしザック・ジャパンは、理想を追求するがあまり、現実でしておくべき準備に対して盲目になってしまっていた。

この敗戦は、僕にはそんな敗戦に感じられたのです。

残り2戦、今の日本にできること

ただ繰り返しになりますが、ワールドカップはまだ終わったわけではありません。
日本にできることは、まずは気持ちを切り替えて、残り2戦に向けて、今できる最高の準備をして臨むことです。

ちなみに次のギリシャ戦はどちらかと言うと楽観視されているように感じるのですが、僕は簡単な試合にはならないのではと思っています。

ユーロ2008、2010ワールドカップ、ユーロ2012と直近のメジャーな大会のギリシャ戦は全て観ましたが、とにかく「しぶといチーム」という印象が強いです。
ワールドクラスの選手が居ないのは事実ですが、チームとしてのまとまりがあり、ディフェンスが強く、おそらく日本があまり相性の良くないタイプのチームです。
「仮想ギリシャ」と位置づけられていた壮行試合のキプロス戦でも日本は苦戦していましたが、戦い方を間違えると同じような展開になる可能性も充分に考えられます。

試合を分けるポイントは先制点を奪えるかどうかで、そのための鍵を握るのはセットプレーとミドルシュートではないか、と個人的には考えています。

そしてグループ最終戦のコロンビアですが、かなりの強敵なのは間違いないでしょう。
エースのファルカオが怪我で不参加となりましたが、ギリシャに3-0という初戦を見ても、攻撃力に決定的な衰えは見られません。
むしろコロンビアは、南米予選をリーグ最少失点で乗り越えたディフェンスと、それも含めた攻守のバランスに特長があるチームだと思われます。

ドログバやヤヤ・トゥーレほどのワールドクラスのスターは居ませんが、チームの完成度という意味ではコートジボワール以上の難敵かもしれません。

このように、どちらの試合も簡単には行かないと思われますが、いま日本に求められていることは、それでもとにかくギリシャとコロンビアに勝つことです。
敗戦から気持ちを切り替えて、次の対戦相手への対策をしっかりと準備して臨めば、残り2試合で2勝を挙げる力が日本にはあると僕は思っています。

代表チームにとっても僕たちサポーターにとっても苦しい船出となってしまいましたが、この敗戦から得た教訓を次に活かしてくれると信じて、最後までザック・ジャパンを応援したいと思います。

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