サッカーにおいて、「2点差」は難しい点差だと言われる。
1点差ならリードする側も緊張感が保てるけれど、2点差だと「安全圏に入った」という気になって緩みが出てしまう。
そこを突かれて失点すると、動揺してそのまま同点、逆転とされてしまうケースが多いというわけである。
しかしこれが3点差となると、ひっくり返ることは滅多にない。
Jリーグでも3点差を逆転した試合がこれまで何度かはあったと記憶しているけれども、17年の歴史の中でもたぶん数えるほどしかないだろう。
そんな極めて稀な、「3点差を逆転した試合」が起こってしまった。
しかも、かなり物議をかもす形で、である。
ヴァンフォーレ甲府、奇跡の大逆転劇
この試合でまず主導権を握ったのは横浜FCだった。
寺田紳一のゴールで先制すると、その後立て続けに2点を加え、何と前半20分過ぎまでに3点をリードする。
このままなら大量得点もあり得るか、という展開だったけれども追加点は生まれず、逆に前半ロスタイムにPKからヴァンフォーレ甲府が1点を返す。
迎えた後半は、一転してヴァンフォーレが押し込む展開に。
57分にはハーフナー・マイクがゴールを決めて、甲府が1点差に詰め寄った。
しかし横浜FCも、粘り強く守り続けて試合は終盤へ。
時間はロスタイムを残すだけとなり、横浜FCの逃げ切りが濃厚かと思われた89分、ここにドラマが待っていた。
このロスタイムに、再び横浜FCは痛恨のPKを与えてしまう。
これをヴァンフォーレが決め、試合はとうとう 3-3 の振り出しに戻った。
「引き分けか」。
誰もがそう思っただろう。
しかし、試合はまだ終わらなかった。
これで完全に勢いに乗ったヴァンフォーレはさらに怒涛の猛攻を見せ、凌ぎきれなかった横浜FCは、何と4点目を失ってしまう。
そしてそのままタイムアップとなり、ヴァンフォーレ甲府が3点差をひっくり返す大・大逆転劇で、あきらめかけた勝ち点3をゲットしたのである。
試合展開だけを見れば、非常にスリリングな好ゲーム。
しかし、この試合には大きな疑問符が付く。
なぜなら前半・後半のそれぞれロスタイム付近でヴァンフォーレ甲府に与えられた2回のPKは、そのどちらもが、いったいどこがファウルだったかが分からないほどの、微妙すぎる判定だったのだ。
試合を壊した2本のPK
今年からJリーグは「世界基準に合わせるため」に、DFが手を使って相手を押さえ込むようなプレーに対して厳しいジャッジを下すようになった。
この試合でもその基準が適用されたそうなのだけども、どちらのPKもファウルのポイントが、テレビで観ている僕には全く分からなかった。
「え?何がファウルだったの?」てな感じである。
僕だけでなく実況アナや解説者もよく分からなかったようで、彼らも首をかしげるほどだった。
そんな不可解なPKが1試合に2度、しかも前後半のロスタイムという重要な時間帯に与えられれば、まともな試合にならないのは仕方がないところだろう。
4点目を失ったのは確かに横浜FCのミスだったけども、直前のPKが無ければ4点目の逆転弾も生まれていなかったのではないだろうか。
そういう意味では、この2本のPKが完全に試合を壊してしまったとも言えると思う。
確かに、結果自体は実力差に見合ったものだった。
先に3点を奪ったのは横浜FCだったけども、それらはヴァンフォーレGK荻晃太のミスとセットプレーからの失点で、ヴァンフォーレからすれば不運な3失点だった。
その後にゲームを支配したのはヴァンフォーレだったし、彼らの勝利は実力からすれば順当だったと見ることもできる。
しかし、実力差がそのまま結果に繋がるわけではないのがサッカーでもある。
そういう意味では、今日は横浜FCの勝ち試合だったはずだった。
しかし、審判のジャッジがその流れを、大きく狂わせてしまったのである。
真の “世界基準のレフェリング” とは
僕は基本的に審判批判が好きではない。
批判してジャッジが覆るわけでもないし、他競技だけども自分が部活時代に審判をやった経験もあり、”ちゃんとこなして当たり前、ミスをしたらどやされる” 審判という役割のせち辛さを体験していたからでもある。
審判の方々も日々懸命にトレーニングに励み、真面目に良い仕事をしようと頑張っているのだから、少々のミスジャッジには口を出すべきではないとも思っている。
そういう意味で、めったに審判批判をしないバルセロナのグアルディオラ監督や、かつての中田英寿なんかの姿勢はカッコいいなぁという目で見ていたりもした。
しかし、今日の試合はさすがにひど過ぎた。
この日の日高晴樹主審も真面目に一生懸命ジャッジした結果なのだろうけども、非常に偉そうなことを言わせてもらえば、僕は日高主審が、審判の仕事というものの本質を理解できていないようにしか思えなかった。
審判はもちろんルールに沿って試合を裁く役割である。
しかし、どんな時でもお役所仕事的に裁けば良いというものではない。
例えば真夜中の誰も歩いていない、車も全く走っていない、どう考えてもしばらく車が通る可能性は0%だと断言できる道路があったとする。
そこで赤信号で立ち止まっている歩行者がいたとしたら、多くの人は「そこまでして馬鹿正直にルールを守って、意味あるの?」と思うだろう。
審判の仕事もそれと同じことである。
審判は「ルールに沿って試合を裁く」のが仕事だけども、本来ならその前に「必要に応じて」という枕詞が付くはずだ。
つまり審判の仕事とは「必要と思われる時に、必要に応じて試合を裁く」ことであり、もし必要がないのであれば審判があえて顔を出す必要はない。
Jリーグは「世界基準に合わせて」ルールの新基準を導入したそうだけども、世界レベルのレフェリーというのは、まずこの「必要に応じて」の部分の使い分けが非常にうまい。
要するに「空気を読むのが上手い」んだけども、ジャッジを世界基準に合わせるのであれば、まずこの空気を読む部分を覚えさせる事のほうが先なのではないかと思ってしまう。
少なくとも今日の試合の中であの2つのPKを取っていなかったとしても、おそらく誰も問題にはしなかっただろう。
それくらいに微妙すぎる判定だった。
しかも1試合に2回もそれがあり、さらにそのうちの1回は、1点差の場面で迎えた後半ロスタイム間際である。
この判定が試合の結果に大きな影響を与えること、そしてホームのサポーターに大きな落胆を与えることは、冷静に考えれば主審にも分かったことではないだろうか。
なにも終始ホームチームに有利な笛を吹けとか、明らかに存在していたファウルに目をつぶれとか言っているわけではない。
しかし、人によって解釈が分かれるような非常に微妙なPKを、試合の大勢を決するような場面で、しかもホームチームに不利になるような形で吹くのは、あまりにも空気を読めていないと言わざるをえない。
少なくとも世界トップレベルのレフェリーで、こんな笛を吹く人はまずいないだろう。
レフェリーにとっての最高の仕事とは?
試合後は当然、横浜FCの選手たちが審判を囲んで猛抗議を行った。
岸野靖之監督が選手たちを引き戻した後、審判団は逃げるように走ってピッチを後にした。
日高主審がこの日のジャッジをどう自己評価しているのかは分からない。
ただ、せっかく日々苦しいトレーニングを積み重ねて笛を吹いているのに、その結果が走って逃げなければいけないようなことだったとしたら、主審は自分の仕事に誇りを持てるんですか?と僕は聞きたい。
僕だったら絶対に嫌である。
どんな仕事だとしても、僕は自分の仕事には胸を張って取り組みたいからである。
審判の仕事は、選手やファンに嫌われることでは決してない。
むしろ、感謝され賞賛されるべき仕事であるはずだ。
もちろん実際には理解してもらいづらい部分が多いのは分かっている。
だからこそ、僕は審判をリスペクトしているし、良いジャッジがあればそれを理解してあげたいと常々思っている。
日高主審も、次の試合では胸を張って試合会場を後にして欲しいと思う。
それができるような仕事をした時。
その時こそが、レフェリーが自分たちにとっても選手やファンにとっても、全員にとっての最高の仕事をした時だと言えるのではないだろうか。
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