ザック・ジャパン、ドラマチック過ぎる「サクセスストーリー」の幕明け/国際親善試合@日本代表 1-0 アルゼンチン代表


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僕がサッカーファンになったのはJリーグの開幕がきっかけだから、1993年のことになる。
それからというもの、日本代表のゲームはほとんど欠かさずにテレビかライブで観戦してきた。

その間に開催された国際Aマッチをざっと調べてみたら、実におよそ 280試合。
改めて見ると結構な数の試合を観てきたんだなあと思うけど、僕と同じようなサッカーファンも、きっとたくさんいることだろう。

そして 280試合もこなしていれば、思い出深い試合もいくつもあった。

ワールドカップなどの公式戦を除けば、中でもやっぱり印象に残っているのが、いわゆる「強豪国」との対戦である。

日本代表、その強豪国との対戦の系譜

僕が初めて観た強豪国との国際Aマッチは、1994年に国立競技場で行われたフランス代表との一戦だった。

バロンドール受賞者のジャン=ピエール・パパン、『赤い悪魔』マンチェスター・ユナイテッドの不動のエースだったエリック・カントナ、ニューキャッスルで PFA年間最優秀選手賞も獲得したダビド・ジノーラ、そして現フランス代表監督のローラン・ブランなどの錚々たるメンツを揃えたフランスを相手に、日本は 1-4と「チンチンに」やられてしまう。

しかしこの日、日本の唯一の得点を挙げた “レフティー・モンスター” 小倉隆史のゴールもあって、個人的には今でも鮮明に覚えている好勝負のひとつだった。

その後も日本は、何度か強豪国と対戦する機会を得る。
Jリーグ誕生、ワールドカップ出場を経て、時代を重ねるごとに日本は、強豪相手にも善戦ができるようになっていった。

そして 2000年にモロッコで行われたハッサン2世杯では、6年前にはボロ負けしたフランスを相手に、2-2で引き分けるという快挙を成し遂げる。
この時のフランスは、同年のヨーロッパ選手権直前というタイミング。
当時世界ナンバーワンの選手だったジネディーヌ・ジダンをはじめ、2年前のワールドカップ優勝メンバーがズラリと揃った、文句なしのベストメンバーという布陣。

日本にとっては強豪国相手に初めて「引き分け」という結果を得た歴史的なゲームだったということもあって、この試合は後年にも語り継がれる名勝負となった。
国内のサッカーメディアでは、この後数年にわたって、たびたび「ハッサン2世」というフレーズが紙面上を踊ることになる。

ちなみにハッサン2世が誰なのかは、僕はいまだに知らない。

とりあえずこのハッサン2世杯以降、日本は強豪国相手にも、更にいい試合ができるようになっていった。

2005年のコンフェデレーションズカップではブラジルに引き分け、親善試合ではイタリアやドイツに引き分けたこともある。
2004年にはチェコを相手に、日本サッカー史上初めて、FIFAランキングトップ 10のチームに勝利した。

しかしこれらの「栄光の歴史」の陰で、もちろん負けた試合も存在する。

僕の中でとりわけ印象深いのが、強豪相手に大敗を喫したゲームだ。

そのうち最もショッキングだったものを3つ挙げろと言われたら、1つ目は 95年に、国立競技場で 1-5で敗れた対ブラジル戦。
もう1つは 01年、サンドニで 0-5で敗れ、ハッサン2世杯のリベンジを完璧にしてやられたフランス戦。

そして最後の1つが、95年にサウジアラビアで行なわれたインターコンチネンタルカップ(コンフェデレーションズカップの前身)で、 1-5で敗れたアルゼンチン戦だった。

この試合で日本はアルゼンチンを相手に、スコア通り何もできないまま完敗を喫する。

この時のアルゼンチンは、ガブリエル・バティストゥータ、アリエル・オルテガ、マルセロ・ガジャルド、ハビエル・サネッティらのスター選手を揃えた、ほぼベストの陣容。

試合内容は「ボロ負け」などという言葉では生ぬるいほど絶望的な差を感じさせるもので、日本は終盤にカズの直接フリーキックで1点を返すのがやっとだった。

アルゼンチンはこの試合以外でも、日本代表の節目となる場面で、たびたびその眼前に立ちはだかっている。

日本サッカー界が一気にプロ化に向かった 90年代、最初に対戦した強豪国が、92年に国立競技場で戦ったアルゼンチン。
ちなみにこの試合で日本は、敗れたものの 0-1と健闘している。

そして前述のインターコンチネンタルカップを経て、1998年のワールドカップフランス大会で、初出場した日本にとっての、大会史上初の対戦相手となったのがアルゼンチンだったのは記憶に新しい。
この試合も日本は善戦を見せたけれども、0-1で南米の強豪の前に屈した。

このあともジーコジャパン時代の 02年〜 04年、日本は毎年アルゼンチン代表と対戦する機会を得る。
しかし結果は全敗。

けっきょく日本はこれまでの6回のアルゼンチン戦で、6戦全敗と大きく負け越していた。

そしてこの金曜日に行われたゲームは、日本にとって7回目となる、アルゼンチンとの対戦だった。

アルゼンチン戦を取り巻く熱狂

この試合は、日本代表の新指揮官、アルベルト・ザッケローニ監督の初采配となるゲームでもあった。

その話題性に加えて、ワールドカップ以降の日本代表人気の復活、そして現在世界ナンバーワンプレイヤーであるリオネル・メッシを生で観られる機会とあって、チケットはわずか 15分で完売になったらしい。

当然、埼玉スタジアムには満員の大観衆が詰め掛けていた。

この試合に先立つ5日間の合宿で、ザッケローニは日本に新たなスタイルを植えつけていた。

まずディフェンス面では、個々のマークを明確にして、責任の所在をハッキリさせること。
そしてオフェンス面では、ゴールに直結する「縦への意識」をより強めること。

それぞれ、これまでの日本の良さをベースにしながらも、それをさらに一歩前進させるための戦術だった。

そして発表されたスターティングメンバー。

そこにワールドカップからの大きな変化はなかったけれども、新たに CBに栗原勇蔵、MFに香川真司という、2人のニューフェイスの名前が追加された。

ボランチに遠藤保仁と長谷部誠を並べる布陣は、ワールドカップ前の岡田ジャパンでも敷かれていたけれども、本大会で岡田武史監督は、中盤の底に阿部勇樹を追加する、より守備的な布陣にシフトしていた。

ザックの新布陣は、それ以前の形に戻したとも考えられる。
評判通りの、攻撃的な印象を与えるスタメン構成だったと言っていいだろう。

対するアルゼンチンもメッシをはじめ、カルロス・テベス、ハビエル・マスチェラーノ、ディエゴ・ミリート、アンドレス・ダレッサンドロ、エステバン・カンビアッソら、ワールドクラスのスター選手たちをズラリと揃えたベスト布陣。

日本にとっては、その力を試すには、この上ないほどの相手だった。

岡崎慎司の挙げた「虎の子の1点」

立ち上がりから両チームは、トップギアでの攻防を展開する。

気合い 120%の日本は、序盤からハイプレッシャーをかけてはアルゼンチンに立ち向かっていった。

しかし、そこは FIFAランキング5位のアルゼンチン。
こちらも巧みなボール回しで、日本のプレスの網をかいくぐりにかかる。

中でもひときわ輝いていのは、やはりリオネル・メッシだった。

足の怪我の影響でバルセロナでは欠場が続いていて、来日も危ぶまれていたメッシ。
しかしこの日、無事にピッチに立ったメッシは、序盤は怪我の影響など全く感じさせないほどの「異次元のプレー」を連発する。

鋭いパスで味方を使ってチャンスを作ったかと思えば、代名詞のドリブル突破でゴール前に侵入。
GK川島永嗣のファインセーブに止められたけれども、ゴールの角を狙う素晴らしいフリーキックも見せた。
以前の日本代表が相手だったら、間違いなくこの日はメッシにやられていたはずだ。

しかしこの日の試合は、「メッシ劇場」にはならなかった。

日本は統制の取れた守備でメッシを抑えこみ、アルゼンチンの攻撃を封じにかかる。
序盤は勢いのあったアルゼンチンも、日本の好守の前に、徐々にそのペースはダウンしていった。

そんな中、日本に「虎の子の1点」が生まれる。

19分、岡崎慎司が右サイドでボールをカット。
これを持ち上がった岡崎が、ゴール前中央で待つ本田圭佑へクロスを上げる。

このクロスはアルゼンチン DFのチェックにあってルーズボールとなったものの、ここに走りこんでいたのが長谷部誠だった。

長谷部はこのこぼれ球を、右足ダイレクトで強烈に叩く。
アウトカーブのかかったパンチの効いた一撃はアルゼンチンのゴールマウスを捉え、GKセルヒオ・ロメロはこれをパンチングで弾くのが精一杯。

そしてそのこぼれた先に走り込んでいたのが、この一連の攻撃の起点となった岡崎だった。

岡崎はアルゼンチン DFのプレッシャーを受けながらもこのボールを押しこんで、日本に驚きの先制点が生まれたのである。

大歓声に湧く場内。

サムライに憧れ、中山雅史を崇拝する岡崎慎司の持ち味が存分に発揮された、まさに岡崎らしい泥臭い一発だった。

アルゼンチンをねじ伏せた日本

この1点で、さらに勢いづいた日本。

逆にアルゼンチンは、試合を追うごとにペースが落ちていく。

この日のアルゼンチンは、完全にコンディション不良だった。

バルセロナの3人が来日したのは試合前日。
しかもメッシは怪我から復帰したばかり。

他の選手たちも似たり寄ったりの状態で、時差の影響もあり、アルゼンチンのガス欠は予想以上に早かった。

それでも天下のアルゼンチン。
時おり鋭い攻撃を見せては日本のゴールに迫るものの、日本の最終ラインも集中した守りでこれを割らせない。

逆に日本は遠藤、長谷部を中心としたパスワークと、本田圭佑、香川真司らの個人技、内田篤人のオーバーラップなどでアルゼンチンを翻弄。

岡田ジャパン時代の組織サッカーの遺産に、ザック流の「ゴールへの意識」が加わって、日本はその2つの歯車が見事に噛み合った、質の高いサッカーを実践してみせる。

後半もそのペースは衰えず、本田圭佑、香川、途中出場の前田遼一らがたびたびチャンスを創っては、アルゼンチンのゴールを脅かした。

アルゼンチンもテベス、メッシらの個人技でチャンスを創るものの、いずれも単発に終わる。
スコアは 1-0のまま、時間だけが刻一刻と過ぎていった。

しかし後半ロスタイム、アルゼンチンに最大のチャンスが訪れる。

ペナルティエリア外、右寄りの位置で長谷部誠がテベスを倒し、アルゼンチンにフリーキックが与えられる。

蹴るのはリオネル・メッシ。

左利きのメッシからすれば、絶好の位置でのフリーキック。
これが決まれば、日本の「大金星」も夢と消える。

しかし、世界ナンバーワンプレイヤーの左足は、まだ黄金の輝きを取り戻してはいなかった。

リオネル・メッシのこのフリーキックが壁に当たったところで、試合終了のホイッスル。

日本代表がアルゼンチン代表を相手に、ついに史上初の「勝利」という快挙を達成したのである。

日本の挙げた歴史的勝利

試合後、日本の新監督ザッケローニは「非常に緊張した」と本音を漏らした。

自身の初采配、しかも相手は強豪アルゼンチン。
下手をすれば大敗もあり得たゲームで、指揮官がナーバスになるのは致し方なかったところだろう。

しかし日本代表『サムライブルー』は最高の結果で、指揮官の杞憂を吹き飛ばしてみせた。

完封勝利の立役者の一人、栗原勇蔵は、「メッシも人間だった。2〜3人で囲んだら何とかなった。」と、世界トップの天才との対決を振り返った。

そして香川真司、長谷部誠らは声を揃えて「今日のアルゼンチンは本気じゃなかった」とも口にした。

先月のパラグアイ戦の記事でも書いたけれども、代表の親善試合というのは、その扱いが難しい部分がある。

代表チームがいつでも圧倒的な注目を集める日本と違って、欧米の国々にとっては、普段は代表よりも大事なのがクラブの試合。

ワールドカップやコパ・アメリカなどの公式戦では、もちろん国の誇りをかけた真剣勝負が行なわれるけれども、親善試合はあくまでも親善試合であって、真剣勝負の対象にはなりにくい。
相手が格下となれば、なおさらである。

ブンデスリーガで「世界の本気」を日常的に体験している香川や長谷部が言うのだから、アルゼンチンが本気でなかったのは事実なのだろう。

しかしそれでも、そのベストメンバーを揃えた陣容や、メッシがフル出場したこと、そして試合後のメッシが無言で会場を後にして悔しさをあらわにしたことなどを考えても、全くやる気がなかったとは言えないはずだ。
それに日本は、これまではその「本気でない」相手にも、まったく歯が立たなかったのである。

そのアルゼンチンを相手に「勝った」という事実を、僕は素直に讃えたいと思う。

「引き分け」や「善戦」であれば、これまでの歴史の中でも何度となく実現はしていた。
しかし、「勝利」の重みは、それらとは全く質の違うものだろう。

栗原が試合後に語った「それでも勝ちは勝ち」という言葉が、この勝利の価値を最もよく言い表していると思う。

世界ランク5位に入る真の強豪に勝利したというこの結果は、日本サッカー史上初の快挙だった。

はじまりを予感させる「蜜月の時」

最高の船出を迎えたザック・ジャパン。

新指揮官が指導してからまだ日は浅いけれども、ザッケローニは彼の持つ采配能力の一端と、その「勝ち運」を僕たちに披露してくれた。

どんなに実績のある監督でも、異国の地で何のゆかりもない監督が認められるのは簡単なことではない。
まして日本代表チームは、日本中から注目を集める存在だ。
少しでも歯車が狂えば、ワールドカップ前の岡田監督のような、激しいバッシングにさらされることも充分にあり得るだろう。

その意味でこの大金星は、ザック監督にとっては単なる一勝を遥かに超えるほど、重みのある一勝だったのかもしれない。

少なくともしばらくの間、この勝利がザッケローニの仕事をやりやすくする「印籠」になることは間違いないだろう。

この勝利を受けてザッケローニは、「日本の選手たちの能力は知っていたけれど、今日はそれが確信に変わった」とコメントした。

そしてこの歴史的一勝と、「日本が私に合わせるのではなく、私が日本に合わせるのだ」と語る謙虚で誠実な人柄によって、ザックは日本のファンたちにも諸手を挙げて受け入れられるのではないだろうか。

はじまりを予感させる、日本とザッケローニの「蜜月の時」。

日本にとってはこの勝利が、これからブラジルワールドカップに至るまでの、まさにドラマチック過ぎる「サクセスストーリーのはじまり」になるのかもしれない。

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