ザック監督が、鬼のような形相でピッチを睨みつける。
普段は温厚な紳士も、この時ばかりは厳しい勝負師の表情を見せた。
ヨルダンが日本にとっての「鬼門」の相手であることは、今に始まったことではない。
忘れられないのが 2004年のアジアカップだ。
格下と見られていたヨルダンに思わぬ苦戦を強いられた日本は、1点を先行され、試合は 1-1のスコアから PK戦へと突入してしまう。
この PK戦を制して辛くも次のラウンドへ駒を進める機会を得た日本だったものの、まさに薄氷を踏むような勝利だった。
そして今年、2011年のアジアカップで再びヨルダンと相まみえることになった時、その嫌な記憶が蘇った人も少なくはなかっただろう。
それでも戦前には、「今回は違うぞ」という確信が僕にはあった。
アルゼンチン戦と韓国戦で素晴らしい戦いぶりを見せてくれたザック・ジャパンなら、この鬼門のヨルダン戦を一捻りで乗り越えてくれるのではないか。
そんな淡い期待を抱いていたのである。
しかし、皮肉にも歴史は繰り返される。
この日唯一のゴールを挙げた吉田麻也が語ったとおり、結果的に日本は、勝ち点1という「最低限の結果」で、この難しい試合を乗り越えることになったのだ。
日本の前に立ち塞がった「鬼門」
ザック・ジャパンにとって、この試合は色々な意味で初めて体験する種類の試合だった。
それは、これがザッケローニ監督になってからの初めての公式戦だということが一つ。
そして「格下と見られる相手」と、初めて当たる試合だったということが一つ。
さらには中東のチームとの初めての対戦でもあった。
FIFAランキング 104位のヨルダンは、同 29位の日本にとっては明らかな格下の相手。
ヨルダンは案の定、ゴール前をほとんど 10人で固める徹底的な守備的布陣を敷いてきた。
当然のようにボールを支配する日本は、中盤で軽快にパスを回していく。
中澤佑二らのベテランを欠き、7年前の苦戦を知らない日本代表選手たちには、「いつかは点が取れるだろう」という楽観的な考えがどこかにあったように思う。
しかしヨルダンの気迫の守備の前に、ボールを支配しても決定機を創れない日本。
それが「ボールを回している」のではなく、「回させられている」のだということに、徐々に日本は気がつき始めていった。
そしていよいよ、悪夢の前半ロスタイムを迎える。
ヨルダンの右サイドの崩しから放たれたミドルシュートが、吉田麻也の脚に当たってコースが変わり、そのままゴールイン。
まさかの先制点を許し、日本は重苦しいムードのまま後半戦を迎えることとなった。
乗り越えられなかった中東の壁
後半、ザッケローニは手を打ってきた。
まずはワントップの前田遼一に代えて李忠成を投入。
さらに前半は左サイドに入っていた香川真司をトップ下に回し、本田圭佑をサイドへとポジションチェンジ。
58分には松井大輔に代えて、岡崎慎司も投入した。
しかしこの采配は、大きな変化を生むまでには至らない。
刻一刻と過ぎていく時間の中、徐々に日本に焦りの色が見えてくる。
前半は軽快に回せていたパスも、連携が噛み合わない場面が目立つようになり、露骨に時間稼ぎをするヨルダンの戦法に、フラストレーションはさらに募っていった。
僕は正直、負けを覚悟していた。
後半ロスタイムに長谷部誠のクロスから吉田麻也のヘッドが決まった瞬間、ホッとした気分になったのは確かだけれども、だからと言って手放しで喜べるような試合ではない。
結果的に日本は、またもや「鬼門」を越えることができなかったのだ。
ザック・ジャパンに与えられた命題
日本の次戦の相手はシリア。
シリアはこのグループで日本の最大のライバルと見られていたサウジアラビアに、初戦で何と勝利を挙げている。
ヨルダンと同等か、それ以上に曲者の相手だと見ていいだろう。
ザック・ジャパンには図らずもこの大会で、徹底的にディフェンスを固めてくる中東のチームを崩す、という
ミッションが与えられた。
そのためには前線で体を張れるポストプレーヤーを入れるのか、2列目から果敢にミドルシュートを打っていくのか。
それともセットプレーという「飛び道具」に磨きをかけていくのか。
いずれにしても中途半端な対策では、この「中東の壁」は崩せないだろう。
ザック・ジャパンに、早くも試練の時が訪れた。
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