スコアは 4-1。
時間は後半 30分。
長友佑都はついに、インテル・ミラノの一員としてセリエAのピッチに立つ。
長友の大ファンを公言するマツコ・デラックスは「これで長友ちゃんと付き合う可能性がゼロになったわ」と嘆いたそうだけれども、残念ながら可能性は多分、はじめからゼロだった。
少なくとも長友が堀北真希ちゃんと付き合うほうが、よっぽど期待は持てそうな気がする。
マツコさんには奇跡は起きそうにないけれども、しかし長友佑都は奇跡を実現させた。
いやむしろ、以前の記事でも触れさせてもらったけれども長友のサッカー人生は、奇跡の連続だと言っても過言ではない。
そして今回もまた、奇跡は起こったのである。
長友佑都が再現させた「奇跡」
ワールドカップで活躍してイタリアに渡った長友佑都の代表監督に、イタリア人のアルベルト・ザッケローニが就任したのは、昨年の夏の出来事だった。
インテル、ミラン、ユベントスのイタリア3大クラブで指揮経験のあるザッケローニは、長友のプレーの素晴らしさを昔なじみ達に説いて回った。
その中の一人が、ザックと ACミラン時代に監督・選手の間柄だった、現インテル監督のレオナルドである。
選手として鹿島アントラーズでもプレー経験があり、日本の選手をよく理解しているレオナルドが、ザックの助言を受けて長友佑都の獲得に動くのは自然な成り行きだった。
既に ACチェゼーナで半年間プレーして、イタリアサッカーに順応できることを証明していたことも、長友にとってはプラスに働いたことだろう。
長友の最初の海外移籍先がイタリアのチェゼーナだったことと、日本代表監督にイタリア人のザッケローニが就任したことは、単なる偶然に過ぎない。
それでもその偶然がきっかけとなって、長友佑都はわずか半年後、インテル・ミラノのユニフォームに袖を通すことになる。
さらに、長友に起こった奇跡はこれに留まらなかった。
長友がインテルに加入した直後の試合。
長友と左サイドバックのポジションを争うと見られていたクリスチャン・キブーが、試合中の暴力行為によって4試合の出場停止処分を受ける。
これでいきなり、長友佑都に出場のチャンスが巡ってきた。
ただし、自身もサイドバック経験を持つレオナルド監督はさすがに慎重で、続く ASローマ戦では、チームの一員として出場経験のない新加入選手の先発出場を、ひとまずは見送ることになる。
しかしこの試合で 4-1と大差がついて迎えた終盤、いよいよ長友を試す舞台が整った。
ほんの4年ほど前までは、ほとんど無名の大学生だった長友佑都。
しかし今、あらゆる追い風を受けた “奇跡の男” は、世界チャンピオンの一員としてピッチに立つ。
長友佑都、「世界の頂点」に立った 15分間
「心が震えた」。
交代出場でピッチに出た瞬間の気持ちを、長友佑都はこう表現した。
それも無理もないだろう。
昨シーズン、UEFAチャンピオンズリーグの舞台で本田圭佑がジュゼッペ・メアッツァの舞台に立ったとき、ネラッズーロたちは本田の前に立ちはだかる「壁」だった。
しかし長友佑都はその “壁” の一員として、これから毎試合、このピッチに立つことを期待されているのだ。
そして夢のような 15分間で、長友はきっちりとそのプレーを印象に残してみせた。
守備では僚友エステバン・カンビアッソの指示を受けて的確にスペースを埋めると、攻撃ではその爆発的なスピードが火を噴く。
果敢なオーバーラップで、ASローマのサイドを2回ほどぶっちぎった長友佑都。
中にはあわやゴールか、というような、ドリブル突破からの惜しいクロスを上げた場面もあった。
長友本人も振り返ったように、「あんなプレーを続けていけば、絶対に味方が点を取ってくれる」手応えを掴んだ 15分間だったのではないだろうか。
長友佑都が見据える野望
中田英寿が ASローマに移籍してから、はや 11年。
奇しくもそのローマとのゲームで、インテルの一員としてデビューした長友佑都は、中田を超えるビッグクラブでプレーすることになり、日本人選手としての出世頭になったと言っていい。
もちろん、ローマでスクデットを経験した中田に比べれば、長友はまだ何も勝ち取ってはいない。
しかし長友佑都の実力とコミュニケーション能力、そして強運があれば、現役世界チャンピオンのチームでタイトルを獲得することは時間の問題だろう。
そしてそれを繰り返していけば、その先には中田英寿や奥寺康彦を超える「歴代日本人選手ナンバーワン」の称号、さらにはパク・チソンを超える、歴代アジア人選手の最高位までもが見えてくる。
ただし、長友佑都のシンデレラ・ストーリーはそれに留まらない。
インテルへの移籍が決まった瞬間、長友佑都には、もう一つの「奇跡」が起きていた。
インテル・ミラノの右サイドには、奇遇にも長友がずっと憧れの存在としていた「世界最高の右サイドバック」、マイコンが君臨している。
その偉大な選手と同じチームになったことで、長友佑都は自身の最大の夢の実現を射程圏内に捉えた。
長友の野望は、既に日本人の枠には収まらない。
彼はきっぱりと、こう言い放つ。
「もう(マイコンを)憧れの存在とは言いたくない。」
「彼と切磋琢磨して、世界一のサイドバックになるために。」
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