Photo by shibuya246
僕がまだ少年だった頃、巷でスポーツと言えば「野球」だった。
Jリーグも発足していなかった 80年代までの日本は、まさに野球王国。
男の子は大なり小なり、必ず野球で遊んだ経験があったし、スポーツ中継は野球の独占状態で、ゴールデンタイムの地上波でしょっちゅうプロ野球が放映されていた。
そして僕が住んでいた横浜には、大洋ホエールズというプロ野球チームがあった。
ただし、僕が子どもの頃の大洋は、ひとことで言うと「弱小球団」。
万年Bクラスが定位置で、正直なところ地元でもそう人気があったとは言えない。
周りに巨人ファン・阪神ファンは多かったけど、大洋ファンというのはあまり見かけなかったくらいだ。
大洋が横浜ベイスターズと名前を変えて、「大魔神」佐々木主浩らの活躍でリーグ優勝を果たすのは、もっとずっと後のことである。
伝説の父を持つ3兄弟、高木ブラザーズ
しかしそんな大洋ホエールズの中でも一目置かれる選手だったのが、屋鋪要、高木豊、加藤博一の俊足3選手である。
「スーパーカートリオ」と呼ばれたこの3人は、80年代半ばの大洋の象徴的存在だった。
中でも常時打率3割を超え、オールスターゲームの常連だった高木豊の名前は、横浜の少年たちにとっては特別な響きを持って迎えられていた部分がある。
その高木豊氏の3人の息子たちの存在を僕が知ったのは、もうずっと前のことだ。
彼らが全員、野球ではなくてサッカーをしていると知って驚いたけれども、非常に才能のある選手たちだと聞いて、僕はいつの日かそのプレーを観ることに想いを馳せていた。
そして昨年、長男の高木俊幸がJリーグにデビューして、さらに次男の高木善朗が U-17ワールドカップに出場。
僕は数年後しの希望を、とうとう叶えることができたのである。
ただし、その時の彼らはまだ「つぼみ」の状態だった。
センスは感じられても、大人の選手や世界の選手たちを相手にした時は、その大器の片鱗をかすかに垣間見せただけ。
そのプレーに、大きなインパクトを感じさせるまでには至っていなかった。
ところがそれからおよそ一年。
高木兄弟は、期待していた以上の成長曲線を描いて、再びその姿を現したのである。
横浜FCの握った主導権
横浜FCと東京ヴェルディが、ニッパツ三ツ沢競技場で対戦したこのゲーム。
ヴェルディの先発のメンバー表には、次男の高木善朗の名前があった。
高木善朗は現在高校3年生の 17歳。
いわゆる “プラチナ世代” の一員だ。
この世代の代表格といえば、真っ先にガンバ大阪の宇佐美貴史の名前が挙がるけれども、この世代の中で「西の宇佐美」に対して「東の善朗」と言われるのが高木善朗である。
今年のユース年代のチームの中で、ズバ抜けて最強と言われているのがヴェルディ・ユースだけれども、そのユースを飛び越してトップチームの試合に出場してしまっているあたり、高木善朗がいかに突出した存在なのかが伺える。
そしてこの日のゲームは、高木善朗がそのポテンシャルを遺憾なく発揮し、自らの価値を知らしめた一戦となった。
現在はともにJ2中位に甘んじている両チーム。
しかし僕が見る限り、そのサッカーの質は、それが2部リーグだということを忘れさせるものだったと言っていい。
伝統のテクニックが健在のヴェルディ。
全体的に若いチームで経験は不足しているけれども、そのテクニックレベルは、J2ではトップクラスではないかと僕には感じられた。
対する横浜FCも、非常に組織だった好チーム。
個人技ではヴェルディに若干劣る印象を受けたけども、組織的なパスワークはひけをとっていない。
そして何より、プレスが異様に速かった。
90分ペースが落ちることなく続けられるそのプレッシングで、横浜FCはヴェルディのテクニックを封じる作戦に出る。
そして結果的に、それは功を奏す。
ヴェルディにポゼッションをさせながらも、肝心なエリアでは激しいプレスで自由にプレーをさせない横浜FC。
逆に、ボールを保持しながらも攻めあぐねる東京ヴェルディ。
そんな拮抗した展開はしかし、早くも 前半13分に大きな局面を迎える。
横浜FCが迎えたコーナーキックのチャンス。
これをカイオが決めて、横浜FCが先制。
セットプレーという形から、理想的な先制点をゲットした。
さらにそれから間もない 19分、横浜FCゴールキーパー、シュナイダー潤之介のロングフィードを、ヴェルディのDFが緩慢な対応で後逸。
これを難波宏明が拾って、キーパーの頭上を超えるループシュートで2点目。
そして後半に入って 55分。
またもヴェルディDFのクリアミスを拾った難波が、中央で待つ寺田紳一にラストパスを送る。
ワントラップでDFを外した寺田がこれを見事に決めて、横浜FCがなんと 3-0とリードした。
この日の横浜FCは、確かに良いプレーを見せていた。
しかし 3-0は意外な展開だったと言えるだろう。
なぜなら試合を通じて押し気味だったのは、むしろヴェルディの側だったからである。
しかしセットプレーと相手のミスという形で、横浜FCが効率よく3点をリードしたという格好だった。
ただし今年のヴェルディは、従来までのチームとはひと味違っていた。
かつて「チャラ男」の代名詞のような存在だったヴェルディは、その伝統の個人技は継承しつつも、いつの間にか「戦う集団」に変貌していたのである。
3点差となったこの場面から、ヴェルディは猛反撃を見せる。
そしてその急先鋒となったのが、「あの兄弟」だった。
脅威の 17歳、高木善朗
僕が1年ぶりに見る高木善朗は、まるで見違えるようだった。
U-17ワールドカップでもそのセンスは垣間見えたけれども、世界レベルのDFたちにはフィジカルで抑えこまれていた印象もあった高木善朗。
しかしこの日の善朗は、プロのJリーガーを相手に、堂々たる活躍を見せる。
トリッキーなドリブルを見せたかと思えば、シュートに、パスに、セットプレーのキッカーにと八面六臂の大活躍。
弱冠 17歳ながら、もうすっかりチームの大黒柱へと成長した姿が、そこにはあった。
その存在感は、この日に限って言えば、ガンバにおける宇佐美貴史をも上回るほどのものだったように思う。
もちろん宇佐美とはチームメイトのレベルも、対戦相手のレベルも全く違うんだけど、それでもこの日の高木善朗のプレーは、同世代のライバルと比較しても全く見劣りしないレベルのものだったと僕は感じた。
そしてその高木善朗に続いて、57分。
兄、高木俊幸が、いよいよピッチに投入される。
ついに揃い踏みした高木ブラザーズ。
そしてこの兄弟が、緑のフィールドの上で、期待されていた通りの絶妙な化学反応を起こす。
兄弟の見せた化学反応
3点をリードされ、時計の針は 76分を指していた。
この場面で兄・高木俊幸からパスを受けた弟・高木善朗は、ドリブルで中央突破を試みる。
そして、その動きを捕まえ切れなかった横浜FCのDFがこれを倒し、フリーキックの判定。
ペナルティエリア付近、絶好の位置でヴェルディがチャンスを得た。
はじめにこのキックを蹴ろうとしたのは、直前にも一本、枠を捉える無回転フリーキックを放っていた兄・高木俊幸だった。
しかし、
「オレが蹴る」。
PKを得た本人である弟の善朗は、頑としてこれを譲らない。
けっきょく善朗が、このフリーキックの権利を得ることになる。
ゴール前やや右の絶好の位置。
ボールをセットする高木善朗。
そしてその右足から放たれた放物線は横浜FCの壁を超え、見事にゴール右隅に突き刺さったのである。
弱冠 17歳が上げた反撃の狼煙。
ただし、殊勲の本人は喜ぶ素振りも見せず、次の1点を狙うことに早ばやと気持ちを切り替えている。
この姿に、実の兄が刺激を受けないわけはなかった。
弟に先発の座を奪われ、目の前で一足先に決められたゴール。
高木俊幸にとって、これが屈辱感を伴うものだったのかどうかは分からない。
弟の活躍を祝う気持ちも、どこかにはあったのだろうとも察する。
しかし「勝負事は勝たなければ何の意味もない」という明確な哲学を、幼い頃から父に叩き込まれてきた 19歳が、ここで悔しい気持ちを持たなかったと言えば嘘になるだろう。
高木俊幸は思ったはずだ。
「自分もやってやる」と。
そしてその思いは、14分後に現実のものとなる。
高木俊幸、スペインで身につけた新たな武器
試合終了間際となった 90分、左サイドでボールを受けたのは高木俊幸。
しかしその直後、彼が向かったのは「前」ではなく「中」だった。
父譲りの俊足を誇るこのスピードスターは、昨年に経験したスペイン留学をきっかけに、走力に次ぐ新たな武器を身につけていた。
それは「シュートへの積極性」。
何よりまず「得点を奪ってこそ評価される」海外の空気を肌で感じ、高木俊幸は強引にでもシュートに持ち込む積極性に磨きをかけた。
そしてその姿勢が、この場面で結実する。
左サイドから中央に切れ込んだ高木俊幸は、20メートルの位置から右足を一閃。
この豪快な一撃は横浜FCゴールキーパーの壁を破り、ゴールネットに突き刺さったのである。
兄の挙げた意地の一発。
これで1点差。
しかし、もう1点のギャップを埋めるには、既に時間が無さ過ぎた。
けっきょく試合はこのままタイムアップ。
ヴェルディは敗れ、横浜FCが貴重な勝ち点3をゲットしたのである。
高木兄弟の飾った2発の錦
高木兄弟は、横浜市は青葉区にある少年サッカーチーム「あざみ野FC」でサッカーを始めた。
つまり父がプレーしていたチームのある、横浜の出身である。
その横浜の三ツ沢競技場で行われたこの試合で、高木兄弟は敗れた。
しかし敗れはしたものの、Jリーグ史上最年少の兄弟アベック弾をマークして、故郷に錦を飾ったことになる。
ヴェルディのトップチームは経営難で、依然として存続が危ぶまれている。
しかし先日、練馬区への移転構想が明らかになり、一縷の希望の光も見えてきた。
そして何より、この高木兄弟と最強ユースチームを抱えるヴェルディは、戦力面でも将来に大きな希望を抱かせる。
この日は横浜FCに上がった勝負の軍配。
しかし、ヴェルディは決してただ勝ち点を失っただけではないはずだ。
そこには確かに、名門復活への光の架け橋がかかっていたように、僕には思えた。
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