“入る” という予感がした。
いや、予感と言うよりはむしろ、「願望」に近かったかもしれない。
しかしこのタイミング、この場所で、この男なら、決めてくれるのではないか。
なぜか今回はそんな確信があった。
そしてその直後、左足から放たれたフリーキックはキーパーの手を弾き、ゴール右上に吸い込まれた。
挫折を知る「反骨の男」、本田圭佑
UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦。
セビージャ x CSKAモスクワの 2ndレグ。
1stレグで劣勢に立たされていたCSKAが、アウェーで挙げた大逆転勝利。
この試合で決勝点となる直接フリーキックを決め、主役となったのが本田圭佑だった。
日本人として初の、チャンピオンズリーグベスト8進出。
紛れもない歴史的快挙である。
本田圭佑は挫折を知る男だ。
中学時代はガンバ大阪のジュニアユースに所属するものの、ユースには上がれず高校のサッカー部に進学。
プロ入り後に参加した 05年ワールドユースでは、平山相太や家長昭博が世界に伍するプレーを見せる一方で精細を欠き、最終的には水野晃樹にポジションを奪われる。
初の海外移籍となったオランダのVVVフェンロでは、初年度にいきなり2部リーグ降格を経験。
オランダへのリベンジを期して臨んだ北京オリンピックでも3戦全敗。
監督の采配に意義を唱えた事により戦犯のレッテルまで貼られ、日本中からバッシングを浴びた。
成功の陰に挫折はつきものだけども、これほど挫折まみれのキャリアも珍しい。
しかし本田の凄みは、これらの逆境をことごとく乗り越えてしまう、不屈の反骨精神にある。
失意のまま進学した星稜高校ではエースにのし上がり、高校選手権で石川県勢初のベスト4進出を達成。
その後に入団した名古屋グランパスでは、ルーキーながら開幕戦スタメン出場を果たし、かの天才・藤田俊哉からレギュラーポジションを奪った。
VVVでの2シーズン目には2部リーグで優勝し、1年での1部リーグ復帰に成功。
得点を量産した本田は、オランダ2部のMVPを獲得する。
そして翌シーズンのオランダ1部リーグで、開幕から5試合連続ゴールの強烈なインパクトを残し、オランダ中から注目される大活躍。
本田はいつでも逆境をバネに、自らのキャリアを切り開いてきた。
歴史を塗り替える「宇宙人」の再来
本田は風変わりな人間である。
プロ入り当時から、彼の言動は際立っていた。
その野心を隠そうとせず、自らを「自信家」と言い放ち、歯に衣着せぬ発言を繰り返す本田は、時に「ビッグマウス」と揶揄されることもあった。
しかし僕は、そういう男をもう一人知っている。
同じように日本人離れした言動から「宇宙人」とも呼ばれた男、中田英寿である。
中田も若い頃から、日本の中では極めて異端な存在だった。
高校時代から「サッカーをするのはお金のため」「28歳で引退する」などと発言していた中田のキャラクターは、周囲と比べて明らかに特異だった。
高校時代は、そんな「ちょっと変わり者の有望選手」に過ぎなかった彼だったけれども、プロ入り後3年間で目覚しいほどの進化を見せ、世界レベルの選手へと成長を遂げる。
その後に渡った ACペルージャでの1年目には、当時世界最高峰だったセリエAで、最優秀外国人選手にも選出。
また ASローマ時代には、日本人初のスクデットまで獲得する。
これらはまさに、日本サッカー界にとっての「歴史的偉業」であった。
そして本田も、中田の歩んだ道のりを、少しだけ遅れながらも歩もうとしているように思える。
本田圭佑が与えれくれるもの
本田のこれまでを考えれば、今後の彼のキャリアも逆境と無縁ではないだろう。
しかし彼は、次々とそれを乗り越えてくれるはずである。
今までもそうであったように。
セビージャ戦のフリーキックに、僕は本当に久しぶりに鳥肌が立った。
「うお〜!」という雄叫びをあげた。
体が震えた。
ちょっぴり泣きそうにもなった。
いま、日本人でこれほどの感動を与えてくれる選手を、僕は彼の他に知らない。
だから僕はこれからも、本田圭佑を応援し続けたいと思うのである。
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