世界の頂点に薫る「黒い芳香」/プレミアリーグ@チェルシーFC 1-1 アーセナルFC


Photo by Crystian Cruz

この週末にはチェルシーとアーセナル、ロンドンを拠点にする2チームによる「ロンドン・ダービー」が行なわれた。

しかしひと口にロンドンと言っても、数多くのプロフットボールチームが存在する大都市だ。
その中でもこのチェルシー x アーセナル戦は、特に「ビッグロンドン・ダービー」と呼ばれる。

実力・人気の両面で、ロンドンを代表する両チームの対戦だというわけである。

超ハイレベル、白熱の首位攻防戦

6節終了時点で首位を快走するチェルシーと、3位でこれを追うアーセナル。

このゲームは世界最高峰のプレミアリーグの首位攻防戦にふさわしい、「技と技」、「意地と意地」がぶつかり合う好ゲームとなった。

立ち上がりからアグレッシブな攻撃で、チャンスを作りあう両チーム。

チェルシーがディディエ・ドログバ、ニコラ・アネルカらのフィジカルとテクニックで押しこめば、アーセナルもアンドレイ・アルシャービン、サミー・ナスリらの技巧で対抗する。

そして中盤ではめまぐるしく攻守が入れ替わる中、ジョン・オビ・ミケル、ラミレス、ミカエル・エッシェン、アブ・ディアビ、アレクサンドル・ソングらが、攻撃に守備に奔走してはゲームを引き締め、試合のレベルアップに一役買っていた。

まさに「アタッキング・フットボールの応酬」がそこにはあった。

そんな中、先制点が生まれたのは 39分。

チェルシーの MFラミレスのスルーパスが、左サイドをオーバーラップしたアシュリー・コールに渡る。
アシュリー・コールがゴール前に入れたクロスに、合わせたのはディディエ・ドログバ。

しかしドログバはアーセナルDFの密着マークを受けていて、振り向いてシュートを打つのは困難な体勢だった。

ところがドログバは DFをブロックしながら体を反転させると、その流れでボールを受けながら、ダイレクトのヒールで、これをゴールに流し込む。

このトリッキーなシュートが見事に決まって、チェルシーが1点をリードした。

迎えた後半も、両チームは攻撃の手を緩めない。

その流れの中、マルアン・シャマフ、ニコラ・アネルカら、それぞれのチームのストライカーたちが決定機をつかむ。
しかし、お互いにこれらのチャンスを物にできないまま、時間が過ぎていった。

そして迎えた 85分、チェルシーはゴール真正面でフリーキックのチャンスを得る。
キッカーはかのロベルト・カルロスを超えた、とも言われる強シュートを持つセンターバックのアレックス。

このアレックスの右足から放たれたキャノン砲がアーセナルの壁の間を貫き、それがゴールに突き刺さったところで、試合の大勢は決したのである。

2-0のスコアでチェルシーがこのロンドン・ダービーに快勝し、首位の座をガッチリとキープした。

最高峰のゲームに見られた、ひとつの傾向

ところでこの試合、僕はある事に気がついた。
両チームを通じて、黒人選手の割合が非常に高いような気がしたのだ。

調べてみればこの日のスタメンのうち、僕目線で「黒人」だと言い切れる選手が、アーセナルは4人、チェルシーに至っては7人。

実にピッチ上の 22人のうち、半分が黒人選手だったのである。

ちなみに全くの偶然ながら、僕のブログ仲間である flowers for footballさんのブログでも、チェルシーの黒人選手の多さについて言及されている箇所があった。

僕以外の人も感じているくらいだから、確かに比率が高かったのだろうと思う。

もちろん、肌の色が黒いから良いとか悪いとか言うつもりは毛頭ない。

ただスポーツ的に見たとき、世界最高峰のプレミアリーグをリードするこの両強豪が、多くの黒人選手を抱えているという事実は、決して「たまたま」ではない事のように僕には感じられたのである。

黒人選手といえば、何といってもその身体能力の高さで語られることが多い。

バスケットボールの最高峰、NBAでは黒人選手が7〜8割を占めていると言われているし、陸上競技の短距離走に至っては、世界のトップクラスはほぼ全員が黒人選手だと言ってもいい。

これらは決して偶然ではなく、その競技がそれだけ高い瞬発力・身体能力を求められる競技だということだ。

そして僕は、フットボールという競技も、だんだんとそれに近づいているのではないかと思った。

フットボールシーンにおける黒人選手の台頭

もちろん、フットボールの世界でも、以前から黒人選手は活躍していた。

ほかでもない、マラドーナと並ぶフットボール史上最高の選手である “キング・ペレ” が黒人選手だし、そもそもブラジルが今のような強豪国になったのも、黒人選手を代表チームに受け入れるようになったことがきっかけだという説もある。

そしてペレ以降もエウゼビオ、ジャン・ティガナ、ルート・フリット、フランク・ライカールトといった黒人のスーパースターたちは各時代に存在していた。

しかし 80年代までは、現在と比べればまだ僅かな数でしかなかったと言っていいだろう。

そんな黒人選手たちの立ち位置に革命を起こしたのが、90年ワールドカップでのカメルーン代表の大活躍だったと思われる。

それまでのアフリカ勢というのは、ワールドカップの舞台では完全なアウトサイダー。
欧米からすれば取るに足らない、弱小国の集まりに過ぎなかった。

そんな時代に、カメルーンがワールドカップで快進撃を見せる。

開幕戦でディエゴ・マラドーナ率いるディフェンディングチャンピオン、アルゼンチンに勝利すると、その勢いであれよあれよとベスト8まで進出。
アフリカ勢のワールドカップ最高成績を塗り替えたのである。

このカメルーンの活躍以降、アフリカ勢、特にサハラ砂漠以南の「ブラックアフリカ諸国」の選手たちに対する、世界の見方は大きく変化した。

カメルーンだけでなく、ナイジェリアやガーナといった国々から、才能のある選手たちが次々とヨーロッパのクラブに引き抜かれていくようになる。

ハイレベルな環境で技を磨くことで、アフリカ人選手たちの持っていた潜在能力に、さらに磨きがかけられていった。

そしてその流れは、95年に “リベリアの怪人” ジョージ・ウェアが、アフリカ人選手初のバロンドールに輝いたことで決定的なものとなる。

いまやトップリーグに所属するトップチームの中で、黒人選手がいないチームを探すほうが難しいような時代になった。

ヨーロッパのフットボールシーンでアフリカ系黒人選手たちが増えてきた背景には、それだけフットボール選手に、よりフィジカルの強さが求められる時代になってきたということが言えるのではないだろうか。

もちろんフィジカル以外の要素、たとえば技術なども重要な要素を占めるフットボールの世界では、バスケットほど黒人選手の比率が高くなることは考えにくい。

しかしそれでもこの傾向が、今後さらに加速していく可能性は充分にあるだろう。

この世界最高峰の一戦で、そんなフットボールの未来予想図が、少しだけ垣間見れたような気がした。

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