「神」というのは存在するのだろうか。
僕は無神論者だけれども、そんな僕でも時々、神のようなものの存在を感じる場面がある。
もしくは、奇跡と言い換えてもいいだろうか。
そしてサッカーの世界には、しばしば神に見出されたような奇跡的な選手が誕生する。
フットボールの神の寵愛を受けたプレイヤーたち。
それはディエゴ・マラドーナであり、リオネル・メッシであり、ヨハン・クライフであるのかもしれない。
そして日本で言えばそれは、小野伸二になるのではないだろうか。
日本サッカー界の生んだ真の天才、小野伸二
小野伸二の才能は少年時代から際立っていた。
U-17、U-20、U-23、フル代表と全ての年代の世界大会に出場し、ワールドカップは3大会連続出場。
「黄金世代」の不動のエースとして臨んだ 99年のワールドユースでは、世界大会準優勝という、日本サッカー史上に残る金字塔を打ち立てた。
ちなみに僕の学生時代の友人が静岡県の沼津市出身で、小野伸二の隣の中学だったらしい。
地元での小野は当然有名人で、サッカー部の連中は口々に「あれは化け物」と小野を評していたそうだ。
柔らかな羽毛のようなボールタッチと、創造性あふれるパスセンス。
「天才」という言葉がこれほど似合う選手もいないだろう。
そんな小野伸二も、30歳になった。
中田英寿よりも中村俊輔よりも、誰よりも将来を嘱望された、何10年かに1人の本物の天才児。
しかし、度重なるケガとフィジカル面での問題から、彼が期待されたほどのキャリアを過ごしたとは言い難い。
そして小野は今年、ドイツからJリーグに戻ってきた。
天に与えられた2つの才能
帰還した2人の天才、中村俊輔と小野伸二の対決として注目されたこの試合。
結果は、小野の完勝だった。
俊輔が怪我のため前半早々に交代したのに対して、小野はチームの絶対の司令塔として、試合を通じてタクトを振り続ける。
その姿は、常に余裕にあふれていた。
相変わらずのしなやかなボールタッチ、ディフェンスのプレスを軽々と受け流すようなボディバランス、そして難しいプレーもいとも簡単かのように見せてしまうそのセンスは、まさに天才のそれである。
小野の才覚に触発されたかのように、清水エスパルスも快勝して、リーグでも快進撃を続けている。
2ヵ月後に迫ったワールドカップ。
現時点で代表の構想に入っていない小野の、4大会連続出場は厳しい部分もあるだろう。
しかし彼自身も、今は代表でのプレーに、あまりこだわっていないようである。
僕が小野伸二を「神の寵愛を受けたフットボーラー」だと思うのは、単にサッカーの天才だからだというだけではない。
小野を知る誰もが語る、彼の人間性。
浦和レッズの元チームメイトで、元代表の岡野雅行は「誰にでも愛されるあの笑顔はズルい」と語り、黄金世代の播戸竜二は「俺らの世代の絶対のキャプテンやな」と評した。
プレーでもカリスマ性でも、おそらく凡人がいくら努力しても手にできない才覚を持って生まれた男。
だからこそ僕は、小野伸二は神に選ばれた選手だと感じるのである。
彼のプレーはサッカーへの愛情にあふれている。
小野のプレーを見ることで、人はサッカーの楽しさを感じる事ができる。
仮に彼が代表に復帰できなくとも、それは大きな問題ではないだろう。
彼だけが持つ類まれなるその才能で、これからも僕たちに、サッカーの喜びを感じさせてほしいと願う。
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