日本代表に望む最後のピース/カズの代表帯同に向けて

誰にでも人生における「大きな後悔」というものの1つや2つはあると思う。
あの時ああしておけばよかった…とか、もっとこうしていれば、自分の人生は全く違ったものになっていたのに…とかいう出来事がいくつか、あるいは数えきれないほどある人もいるんではないだろうか。
ちなみに僕の場合は後悔の固まりみたいなものである。
受験生の頃にもっと勉強していれば…とか、なぜあの時あの娘に好きだと言えなかったのか…とか、ほろ苦い思い出をほじくり返せば、”単行本全12巻プラス作者書き下ろしオフィシャル解説本” くらいは出せそうなボリュームの後悔話は持っていると自負している。
ただそうは言っても、僕のような小市民の後悔などはたかが知れている。
それほど大きな物をしょって生きてきた人生でもないからこそ、後悔することはあっても引きずらずに、今みたいにノホホンと生きていられるのだ。まあそういう意味では、小市民も悪くないかもなーなんて呑気に思ってしまっていたりもするのである。
しかし、僕らとは比較にならないほどの大きな重圧を背負って生きている人たちもいる。
サッカー選手もそのうちに含まれるだろう。
そして4年に一度のワールドカップの舞台は、彼らにとって大きな歓喜と後悔とが交錯する瞬間なのではないだろうか。

ワールドカップメンバー入りをめぐる影のドラマ

以前にも書かせていただいたけれど、南アフリカワールドカップに参加する日本代表メンバー23人が先日発表された。
しかしこのメンバー発表が、選手にとっては巨大なプレッシャーとなっているらしい事を、僕は今回改めて認識したのである。
メンバー入りを果たしたある選手は、プレッシャーから開放された安堵感を「これでやっとぐっすり眠れる」と率直に表現していたし、選手の立場になって考えてみれば夜も眠れぬ日々が続いたとしても不思議ではないところだろう。
ワールドカップに出るか出れないかで、その選手のサッカー人生は全く違うものになってしまう可能性もあるからである。
ワールドカップは4年に一度の、世界最大のスポーツの祭典である。
4年に一度なので、どれほど優秀な選手であっても、現役生活のうちに限られた回数しか参加することはできない。
選手として最多出場回数記録を持つのは、元ドイツ代表のローター・マテウスの5回。
あのペレやマラドーナですら4回の出場に留まるほどだ。
そして当然のことながら、1回も出れない選手が大半を占めるのがワールドカップである。
それだけ狭き門でありながら、選手たちにとっては少年時代から憧れ続けた “夢の舞台” でもある。
そんなワールドカップに出場が決まった時の喜びと落選した時の失望感は、僕たち一般人にはとうてい味わえないような強烈な感情なのだろうと思う。
そして今回もまた、その悲喜こもごものドラマが繰り返されたのだ。

代表に望む最後のピース

正規メンバー23人の発表から2日後、彼らが負傷した場合などに備えるバックアップメンバー7名も追って発表になった。
23人はあまりにも変わり映えのしないメンバーで、僕は失望を覚えた。そしてその後にいろいろな場所で目にした記事等を見ても、世論も概ね同じような感想を抱いているようである。
ただ、その代わりと言ってはなんだけれども、バックアップメンバーの7名は世論が「この選手を入れてくれ!」と期待していたメンツが、比較的順当に選ばれていたように感じた。小野伸二の名前が無かったくらいで、あとは僕的にも納得のいくチョイスがされていたように思った。
ただ、僕が最も選出を望んでいた1人の選手の名前は、そこには無かった。
そう、カズである。
以前にも書かせていただいたけれど、僕はカズのワールドカップ代表メンバー入りを熱望していた。
ただし、その可能性が限りなくゼロに近いことは分かっていた。だからこれは、僕の単なる願望というか妄想の域の話のつもりだった。
しかしその後の報道で、僕のこの突拍子もない考えと同じ考えを持っている人たちが少なからず存在していることが分かってきた。
そして今回ついに、カズ本人の口から、サポートメンバーとして代表チームに帯同することを希望するコメントが発せられたのである。

カズ、ワールドカップへの挑戦

「(外れるのは)カズ、三浦カズ」。
このフレーズが何度繰り返し放送されていただろうか。
12年前に、悲願のワールドカップ初出場を遂げた日本代表。
しかしその影では、当時の日本代表の最大の功労者とも言うべき男の、ワールドカップメンバー落選という悲劇が綴られていた。
このサプライズに日本中が騒然となり、当時はテレビのニュースやワイドショーでもこの話題で持ち切りだった。
それから 12年経った今でも、この出来事はカズ本人と岡田監督にとっても大きなトラウマとして心に刻まれている。
Jリーグ発足当時、カズは日本サッカーの象徴だった。
Jリーグの初代 MVPに輝き、日本人初のセリエAプレーヤーとなり、日本復帰後はJリーグ得点王にもなった。そしてワールドカップアジア予選で、主力として日本のワールドカップ初出場に貢献。
その間、常に日本代表のエースとして君臨してきたカズ。その「カリスマ」が、ワールドカップ出場という最大の夢の扉を開ける直前で、その希望を断たれたのである。
その時のカズの失望感は、僕たち凡人が生涯経験できないほどの苦しみだっただろうと想像する。
以来、カズは「ワールドカップ出場」の夢を追い続ける一心で、今日まで走り続けてきた。
12年前のフランス大会当時には、31歳だったカズの力は確実に衰えを見せていた。
カズ本人も認めているように、プレーに全盛期ほどのキレは無く、中田英寿や城彰二などの新世代の台頭もあって、代表でそれ以前ほどの存在感を見せられなくなっていたのも事実である。
しかし、カズは諦めなかった。
その後ヴェルディ川崎を離れ、ブラジル、イタリアに続く3度目の海外挑戦の場としてクロアチア・ザグレブに移籍。
そのプロセスの中での必死のトレーニングからコンディションを上げていくと、2000年には京都パープルサンガでリーグ戦 17得点を挙げる活躍を見せて代表に復帰を果たす。
けっきょく2002年大会でもワールドカップ出場の夢は叶わなかったものの、当時の代表を率いたフィリップ・トルシエ監督は、カズのプロフェッショナルな姿勢を高く評価していた。

カズの受難の時代

僕はその翌年の2003年、カズとともにフランスワールドカップ落選の悲劇を味わった北澤豪の引退試合を国立競技場まで観に行ったことがある。
この試合にカズはヴェルディ・オールスターズの一員として参加していた。
当時すでに36歳。並の選手ならとうに引退しているような年齢である。
その頃のカズは、若かりし頃の本人の代名詞でもあった「またぎのフェイント」、いわゆる “カズフェイント” をあまり試合で見せないようになっていた。
しかし盟友の引退試合と言うこともあって、この日の試合のさなか、カズは封印していたカズフェイントを披露する。
しかしそこにかつてのキレはなく、どことなくたどたどしくも見えたそのフェイントに、会場からは笑い声も聞こえていた。
若さを失ってしまった往年のスターの姿は、どこか痛々しさすら感じさせるものだった。
2002年ワールドカップで落選した際、カズは「2010年大会まで視野に入れている」というコメントを残している。
当時のカズはすでに「過去のスター」になりかかっていて、世間的にはこのコメントは半ば笑い話として受け止められていた。
2010年大会時、カズは43歳である。
「いくら何でもそれはあり得ない」。
当時は僕もそう考えていた。
しかしそれから8年が経ち2010年を迎え、カズは今でも現役選手としてピッチに立っている。

最高のカリスマ

数年前までは、ワールドカップの夢を追い続けるカズの姿は、少なからず世間からは嘲笑の目で見られていた節がある。
しかし今、カズを笑う者はほとんどいない。
周りにどんな目で見られようとも、カズは本気でワールドカップ出場の夢を追いかけ続けていたのである。
たとえ笑われようとも、馬鹿にされようとも、自分自身を信じて今日まで走り続けてきたのだ。
いったい同じことが、何人の人にできるだろうか?
僕には絶対にできない。
僕は今、かつてカズの夢を否定的な目で見てしまったことを謝りたいと思っている。
43歳になりながらも、誰よりもストイックな姿勢で練習に励むカズ。
まさにサッカーへの情熱の塊である。
なんというカッコ良さだろうか。
いま日本中で、カズほどカッコいいと思える選手を僕は知らない。
だから僕は、たとえどんな形であったとしても、カズの夢がかなって欲しいと心の底から願っているのだ。

追い続けた17年間の夢

「ずっと代表に入っている選手は責任感が強い。もう少し楽にプレーさせてやりたい」
「代表のユニホームはずっとあこがれ。どんな形でもいいからもう一度着たい」
カズはこういった言葉で、サポートメンバーとしての代表への帯同の熱意を語ったそうだ。
僕はかつて読んだカズのインタビュー記事の中で、今でも忘れられない一文がある。
98年フランス大会での、直前でのメンバーからの落選。その悲劇がその後もずっと取りざたされているけれども、カズ本人が最も悔やんでいる場面は別のところにあったそうだ。
それは、さらに5年を遡った93年。ワールドカップアメリカ大会出場をかけたアジア最終予選。
いわゆる「ドーハの悲劇」と呼ばれた、この予選最終戦の対イラク戦である。
勝てばワールドカップ出場が決まるこの試合で、1点リードで迎えた後半ロスタイムに浴びた「まさか」の同点弾。
この同点弾のアシストとなったセンタリングを挙げたイラクの選手。その時、彼のマークについていたのがカズだった。
「ワールドカップの事を考える時、フランスの事よりもあの時のセンタリングのシーンを今でも思い出す。何であの時もう少し脚を伸ばせなかったんだろう、何でだろうって、そんなことを考えると、今も悔しくてたまらない」
そんな内容のことを、カズは語っていた。
誰にでも人生における「大きな後悔」はあると思う。
しかし、あと1分。
あと1分で生涯の夢が叶うと思った瞬間、それが手からこぼれ落ちていったような経験は、誰しもが体験するものではないだろう。
カズはその後悔の念を、もう17年も抱き続けながらも挑戦を続けているのである。
僕はいつかカズに、その後悔の念を払拭し、ワールドカップの夢を叶えて欲しいと思っている。
本人の言うとおり、それはどんな形でもいい。
そう、どんな形でも良いのである。
たとえ盛り上げ役のサポートメンバーとしてであっても、もう一度代表のユニフォームを着て、ワールドカップで全力を尽くすカズの姿が観れるのであれば、僕にとってはこんなに嬉しいことはない。
代表チームに関する決定権は代表監督にあり、それを決めるのは岡田監督である。
プライドの高い岡田監督だけに、世論が高まったとしてもそれをすんなりと聞き入れてくれる可能性は低いだろう。
しかし岡田監督が、そういったファンの願い、そして何よりカズ自身の願いを受け止めてくれることを、僕は願っている。

誰よりもサッカーを愛する「永遠のサッカー小僧」

いまの日本で、カズより走れる選手は星の数ほどいるだろう。
そしてカズよりうまい若手も、少なからずいるはずである。
しかしカズは今でも、誰にも負けない武器を持っている。
それは「サッカーへの愛情」、そして「代表への誇り」。
カズは間違いなく、日本で一番サッカーを愛している「永遠のサッカー小僧」である。
そのカズが代表に帯同すれば、若い選手たちにとっての大きな心の支えになるはずだ。
決して温情ではなく、勝つためのピースとして僕はカズが必要だと考える。
そしてカズにはその資格があるはずだ。
誰よりもサッカーを愛し、誰よりもファンに愛された男の最後の夢を、どうか叶えてあげて欲しい。
僕がいま岡田監督に望むのはただ一つ、そのことだけである。

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