僕はいわゆる「ファミコン世代」である。
スーパーマリオやドラゴンクエストの第1作を、小学生の頃にリアルタイムで体験した世代だ。
当時、クラスの男子はこぞってテレビゲームを買いに走った。
子供が外で遊ばなくなって、家でゲームばかりしていると問題になり始めたのもこの頃である。
でも僕にはその当時、自分がファミコン世代だという自覚が無かった。
子供はその他に比較する対象となる世代を知らないのだから当然なのだけど、何で大人はそんなにキーキー言って、ゲームを否定するのかが理解できなかった。
しかし数年後、僕は自分がやっぱりファミコン世代だったのだと、痛感する出来事に遭遇することになる。
ワールドカップ予選の熱狂
1993年のJリーグ開幕当時、サッカーブームに湧いた日本では、もう一つの熱風が吹きあれていた。
ワールドカップアメリカ大会、アジア最終予選。
当時、まだ一度もワールドカップに出場したことの無かった日本にとって、ワールドカップ出場は夢のまた夢だった。
しかし前年の 92年、日本代表は初の外国人監督ハンス・オフトを招聘。
リーグのプロ化の追い風もあって、その年のアジアカップで初めてアジアの頂点に立つ。
今度こそは、行けるはずだ ー 。
アジアチャンピオンの日本は、それまでの歴史上最もハッキリと、ワールドカップ出場を視界に捉えていた。
アジア最終予選に臨んだ日本代表
この年の5月にJリーグが開幕。
日本中がサッカーブームに包まれ、その熱気を引きずったまま臨んだ、10月のワールドカップアジア最終予選。
6チーム中2位に入れば、夢のワールドカップ初出場が決まる。
初戦、日本は強豪サウジアラビアを相手にスコアレスドロー。
悪くはないスタートだった。
しかし、続くイラン戦。
試合巧者・イランのカウンターの術中にはまり、日本は 1-2とまさかの敗北を喫してしまう。
2戦を終えて1敗1分けと、早くも崖っぷちに追い込まれた日本。
再び敗れるようなことがあれば、ワールドカップの夢は、遥か彼方に遠のく。
しかしこの敗戦で、日本は逆に、夢見心地から完全に目を覚ますことに成功した。
背水の陣に立たされた日本は、ここから怒涛の猛反撃を見せていったのである。
続く、第3戦の北朝鮮戦。
ここで日本は、3-0の完勝劇を見せる。
この快勝で息を吹き返した日本は、その勢いで続く宿敵・韓国戦に臨んだ。
ただ宿敵と言っても、当時の日本は韓国との通算対戦成績で大きく負け越していた。
むしろ日本にとっては「天敵」に近い存在である。
ワールドカップ2大会連続出場中だった ”アジアの虎” 韓国。
しかし日本も、この歴史をかけた一戦で負けるわけにはいかなかった。
最強のライバルに対して、全身全霊をかけて立ち向かっていった日本。
そして後半、三浦知良の伝説のゴールが決まり、この1点を守りきった日本が歴史的勝利を収めるのである。
試合後のヒーローインタビューでは、感極まって涙を流すカズの姿があった。
この一勝は、普通の一勝ではない。
それほど重みのある、歴史的な一勝だったのだ。
この勝利で、崖っぷちからの驚異的な巻き返しに成功した日本。
消えかけていたワールドカップの火は、再び煌々とした光を灯し始めたのである。
ついにあと一勝。
最終戦のイラク戦で勝利を挙げれば、悲願のワールドカップ出場が決まる ー 。
ロスタイムの悪夢
そうして迎えた、この激闘の最終予選の集大成となったイラク戦。
結果は、皆さんご存知の通りである。
日本は前半、カズのゴールで先制しながらも追いつかれてしまう。
しかし、中山雅史のゴールで再び突き放すことに成功した日本。
そのまま1点のリードを守りながら、試合は後半ロスタイムを迎えていた。
残りはあと1分。
勝てる。ワールドカップだ。
誰もがそう思っていた。
イラクの選手たちを除いては。
そして試合終了間際の、イラクのコーナーキック。
「まさか」のショートコーナー。
そこから上がったクロスはゆるやかなアーチを描き、中央で待つイラクの選手の頭に、まるで意志を持っているかのように吸い寄せられていく。
日本の選手たちは一歩も動けず、ただヘッドから放たれたその放物線が、ゴールに吸い込まれて行く様を見送るだけだった。
消すことのできない “現実の重み”
当時の僕は高校生だった。
Jリーグ開幕がきっかけでサッカーにハマっていった僕は、当然ながら日本代表を熱狂的に応援していた。
そしてこのロスタイムの失点。
僕はこの時に、自分がとった行動を今でもよく覚えている。
僕は無意識に、テレビの前のリセットボタンを探していた。
そう、これがテレビゲームであれば、都合の悪い結果が出ればリセットすればいい。
しかし哀しいかな、これはバーチャル空間のゲームではなく、現実に行われた「試合」であったのだ。
「これがサッカーだ」。
世界中で言い尽くされた、手垢にまみれた言葉である。
しかし、当時サッカー観戦歴1年目だった僕にとって、この後半ロスタイムはまさしくその最高のレッスンとなった。
「これがサッカーなのだ」、と。
ドーハの悲劇と呼ばれたこの一戦は、選手たちや関係者だけでなく、日本で見守る我々サッカーファンに対しても、現実の重みを嫌というほど突きつけた。
サッカーは現実であり、ゲームではない。
僕はこの時、それまでの自分がリアルな世界をしっかりと生きていない、ゲーム脳の青二才だったということに気がついた。
起こった現実はリセットできない。
しかしその現実を受け入れながらも、人生は続いていく。
大げさでなく僕はこの試合から、ワールドカップの重みと同時に、大人になることの重みを学んだのである。
■マイ・ベストゲーム Vol.2
『アメリカワールドカップ アジア最終予選 日本代表 2-2 イラク代表』 1993.10.28 カタール・ドーハ・アルアハリスタジアム
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