「アフリカチャンピオン」を沈めた “アフリカの英雄”/クラブワールドカップ@インテル・ミラノ 3-0 TPマゼンベ

Africa, my dream.Africa, my dream. / MagdaMontemor

南アフリカでワールドカップが開催されることが決定したのは、いまから6年前の 2004年のことだった。

その頃から、僕の中では「これからはアフリカの時代だ!!」という何とも曖昧な予感があった。

そしてその南アフリカ大会が実現した今年。

実際に「アフリカの時代」が到来したのかどうかは、実のところよく分からない。
まあ、その定義自体もかなりアバウトなんだけど。。

ただし今この 2010年という年を、例えば 20年前と比べた時、世界のフットボール界におけるアフリカの地位が、著しく向上していることだけは間違いないだろう。

80年代までのフットボール界で、世界的にメジャーな名前を持つアフリカ人プレーヤーは、ほぼ皆無だったと言ってもいい。

数少ない例外は、1960年代から70年代前半にかけてポルトガルのベンフィカで活躍し、リーグ優勝 10回、得点王 7回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回とベンフィカの黄金時代を牽引、1965年にはバロンドールも受賞した、モザンビーク出身(代表では宗主国のポルトガル代表としてプレー)のエウゼビオ。

そして、同じく60年代から70年代にかけてフランスのサンテティエンヌ等で活躍して、サンテティエンヌのリーグ3連覇に貢献、70/71シーズンには 38試合で42得点という驚異的な記録も残したマリ代表のサリフ・ケイタあたりが挙げられるだろう。

しかしその後はしばらくの間、これと言った選手は出現せず、アフリカフットボール界は暗闇の時代を迎えることになる。

そんなアフリカ大陸が再び脚光を浴びたのは、1990年ワールドカップでのカメルーン代表のベスト8進出だった。

大会の開幕戦で、あのディエゴ・マラドーナ率いる前回チャンピオン、アルゼンチンを破るという大金星で世界を驚かせると、グループ1位で決勝トーナメントに進出。
1回戦でも南米の新興国コロンビアに勝利して、準々決勝でイングランドに敗れるまで破竹の快進撃を見せる。

このカメルーンの躍進をきっかけに、アフリカ人選手のヨーロッパへの進出は加速していくことになった。

オリンピック・マルセイユでは、UEFAチャンピオンズリーグ優勝の中心メンバーの1人となったガーナ代表、アベディ・ペレなどの選手が強いインパクトを残し、その流れは ACミランのエースとして 1995年のバロンドールを獲得した “リベリアの怪人” ジョージ・ウェアの活躍で決定的なものとなる。

その後もヌワンコ・カヌー(ナイジェリア)、サミュエル・エトー(カメルーン)、ディディエ・ドログバ(コートジボワール)、マイケル・エッシェン(ガーナ)、エマニュエル・アデバヨール(トーゴ)などのワールドクラスの選手たちが次々とアフリカ大陸から出現。

ワールドカップでも 90年大会のカメルーンに続いて、2002年大会のセネガル、2010年大会のガーナがベスト8に進出を果たす。

今日ではアフリカのフットボールは、すっかり世界のフットボールシーンに無くてはならないものとして定着した。

そしてアフリカ初のワールドカップが開催された 2010年の締めくくりに、クラブレベルでもアフリカのチームの躍進が見られたことは、ある意味では象徴的な出来事だったとも言えるだろう。

コンゴ民主共和国 = DRコンゴのクラブチーム、TPマゼンベが、クラブ世界一を決めるクラブワールドカップで、南米/ヨーロッパ勢以外では初の快挙となる決勝戦進出を達成。

2010年がフットボール界における「アフリカの年」だったことをさらに印象づけたのである。

アフリカの背負う、重い十字架

今年のワールドカップの舞台となった南アフリカでは、大会前からその治安状態の悪さが、連日のように報道されていた。
南アフリカの1日あたりの殺人などの凶悪犯罪の発生率は、実に日本の 100倍と言われている。

ただ、アフリカで治安状態が悪い地域は、何も南アフリカだけというわけではないのだ。

アフリカ、特に「ブラックアフリカ」と呼ばれるサハラ砂漠以南の黒人居住地域は、世界でも最も貧しい地域の一つとして知られている。

そして驚くべきことに、この地域には国民の平均寿命が 40歳程度、場合によっては 30歳台という国も決して珍しくはないのだ。

これは何も、アフリカの人々が 40歳でお爺ちゃんお婆ちゃんになってしまうというわけではない。

貧困による食料不足、それによる乳幼児などの栄養失調による餓死、未発達な医療による伝染病の流行、エイズなどの死に至る病気の蔓延、貧困から来る強盗殺人などの凶悪犯罪の多発化。
そして、不安定な国内情勢に端を発した内戦などなど。

様々なネガティブな要因が、アフリカの人々の生命を脅かしている。

そしてそういった理由から、天寿を全うできないアフリカの人々が数多く存在するというわけである。

僕は以前、アフリカを舞台にした映画をよく観ていた時期がある。

ルワンダの内戦に翻弄される人々の姿を描いた『ホテル・ルワンダ』(ちなみに中田英寿もこの映画を観たそうで、テレビ番組でこの舞台となったホテルを訪れていた)。

タンザニアの市民がヨーロッパの白人たちに搾取される実態を描いたドキュメンタリー『ダーウィンの憂鬱』。

南アフリカのストリートギャングが人間の心を取り戻す様を描く『ツォツィ』などなど。

これらの作品はどれも秀作だったけれども、劇中で描かれるアフリカの姿は、ひとことで言えば「悲惨」そのもの。

もちろんそれは映画の中の話なので、現実は悲惨なことばかりではないだろうけれども、それでも平和な日本と比べると比較にならないほど過酷な状況であることは間違いないだろう。

以前の記事でも紹介したけれども、TPマゼンベが本拠地を置く国、DRコンゴも、アフリカの中でも最も貧しく、最も治安の悪化している国の一つだと言われている。

そんな重い社会背景を背負いながら、マゼンベはこのクラブ世界一を決める大会へと乗り込んできた。

アフリカチャンピオンを沈めた「アフリカの英雄」

今年のクラブワールドカップ、大会前の大きな注目ポイントの一つが、イタリアのインテル・ミラノとブラジルのインテルナシオナル、「Wインテル」の決勝戦は実現するのか?ということだった。

しかし準決勝で、南米代表の夢をアフリカ代表のマゼンベが打ち砕く。

昨年、初めてクラブワールドカップに登場するまでは、おそらくアフリカ以外のほとんどのフットボールファンがその名前を知らなかったチーム。

「ベンゼマ?マゼンベ?どこのチームだコレ」と恐らく世界中で言われたであろう DRコンゴのチームが、南米の強豪を倒したことは、まさに “サプライズ” だった。

そしてそれを上回る「ビッグサプライズ」がこの決勝戦で起こるのかどうか。

準決勝までのマゼンベの戦いぶりを見る限り、それは「絶対にない」とは言い切れない事だったように思えた。

そして迎えた決勝戦。

ジャイアント・キリングの予感は、前半立ち上がりの 10分間までは、確かに漂っていたと言っていい。

マゼンベはヨーロッパチャンピオンのインテル・ミラノに、立ち上がりは互角の戦いぶりを見せる。

彼らの勝利への執念と、一歩も引かない精神力が、技術とネームバリューでは遥かに上を行く欧州王者との差を縮めたように僕には思えた。

しかし冒険物語には、いつか必ず終わりが来る。

マゼンベのサクセスストーリーの幕を降ろす介錯人となったのは、彼らと同じアフリカ大陸が生んだスーパースター、サミュエル・エトーだったのである。

13分、エトーがダイレクトで DFラインの裏に送った芸術的なパスから、ゴラン・パンデフが先制。

その 4分後の 17分、今度は右サイドを抜けだしたハビエル・サネッティのクロスをパンデフがトラップミスしたところを、それを拾ったエトーが後方に下がりながら身体を反転させて、矢のようなシュートを放つ。

これまで数々の決定機でスーパーセーブを見せてきたマゼンベの名ゴールキーパー、ムテバ・キディアバもこのシュートは止められず、これが決まって 2-0。

事実上この2ゴールで、試合は決した。

その後はマゼンベも反撃を試みるも、GKジュリオ・セーザルを中心としたインテルの堅陣を崩せず。

逆に 85分、ジョナタン・ビアビアニーに3点目を奪われて、3-0という大差で、マゼンベの冒険は終わりを告げたのである。

アフリカによる、アフリカのための大会

インテル・ミラノはこのクラブワールドカップを制し、前身のインターコンチネンタルカップを制した 1965年以来、実に 45年ぶりの世界チャンピオンの座についた。

終わってみれば準決勝・決勝の2試合をともに 3-0。

最大の強敵と見られていたインテルナシオナルと対戦しなかったこともあって、危なげなく2試合を勝ち切った大会だったと言えるだろう。

セリエAや UEFAチャンピオンズリーグでは不調を囲っているとは言っても、やはりヨーロッパチャンピオンの力は世界では頭ひとつ抜けている、ということを知らしめた大会だった。

ただ逆の視点から見れば、城南一和にしてもマゼンベにしても、インテルにコテンパンにやられたわけではない。

特にマゼンベはインテル相手にも互角に戦った時間帯もあって、もはやアフリカのクラブは世界の中でも、アウトサイダーではなくなったことを証明した大会だったと言えるのではないだろうか。

そしてそのマゼンベを沈めたのが、アフリカが生んだ英雄、サミュエル・エトーの1アシスト1ゴールだったことも象徴的である。

エトーは自身のゴールの後、両手にビニール袋を持つパフォーマンスでそれを祝った。

一見すると小道具を使ったショートコントのようにも見えた光景も、このパフォーマンスには深い意味が隠されている。

エトーは少年時代、一家全員が一つのベッドで寝なければいけないほど貧しい生活を送っていた。
そして当時、家計を助けるために、氷をビニール袋に入れて売り歩いて日銭を稼いでいたそうだ。

これはエトーがそんな自身の原点を表現した、アフリカ王者マゼンベへのリスペクトの気持ちを示すパフォーマンスだったのだ。

アフリカにゆかりの深い中東で開催され、アフリカチャンピオンが快進撃を見せ、アフリカの英雄が優勝を決める。

今大会はまさに、アフリカによる、アフリカのための大会だったと、僕には感じられたのである。

日本に帰還するクラブワールドカップ

さてそんなクラブワールドカップも、来年は再び日本に戻ってくる。

この大会も回を重ねるごとにその価値を高めていっているように感じられるけれども、来年は身近でそれを体験できる機会だ。

僕もチャンスがあれば、ぜひ生でこの大会を観てみたいなーと思っている(関西でやらないかしら?)。

これまではヨーロッパ代表か南米の代表、またはJリーグ勢しか脚光を浴びることの少なかった大会も、マゼンベの活躍で全ての大陸に日の目をみるチャンスが開けたとも言えるだろう。

来年は開催国ということで、AFCチャンピオンズリーグの結果に関わらず、必ずJリーグ勢が出場することになる。

ただもちろん、願わくばアジアチャンピオンとなってこの大会に出場して来てほしいのは言うまでもない。
そして個人的には、それがガンバかセレッソの大阪勢であれば最高である。

今年も数々のドラマを生み、年を追うごとに成長を続けているクラブワールドカップ。

来年はぜひ、僕たち日本のファンにも夢を見させてもらいたい。

アフリカ勢に続く、Jリーグ勢の活躍。

そして「決勝進出」という、大きな夢の実現を。

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