今年のブンデスリーガは熱い。
昨シーズンまでもVfLヴォルフスブルクで活躍してきた長谷部誠に加えて、今シーズンからはさらに内田篤人、香川真司の2人の日本代表選手が参戦。
しかもこの3人ともが、レギュラークラスでの活躍が期待できる位置にいる。
日本のファンにとっては、ブンデスリーガは一躍、見逃せないリーグになってきた。
ブンデスに挑戦した日本人選手、その系譜
海外のリーグと言うと、日本ではどうしてもイングランド、スペイン、そしてイタリア、の3大リーグにばかり注目が集まりがちだ。
しかし個人的には、そのすぐ下に位置する「第4のリーグ」、ドイツ・ブンデスリーガが昔からけっこう好きなのである。
ブンデスリーガは面白い。
肉体のぶつかり合いが多く、非常にパワフル。
それでいて優良外国人選手たちの貢献もあって、テクニックレベルも低くない。
さらに3大リーグではあまり見られないような、東欧やアフリカ諸国などから来た選手たちも多くて、多様性に富んでいる。
その一環として日本人選手たちの活躍まで見られるのだから、ほとんど言うこと無しである。
それでも何となく地味なリーグとして見られてしまう。
それがこれまでのブンデスリーガの位置づけだった。
しかし「観るリーグ」としては3大リーグに遅れをとっているブンデスリーガも、選手の「輸出先」としては、ずっと昔から日本の “お得意様” だった。
その第一号となったのが、伝説の名プレーヤー奥寺康彦である。
1977年、日本代表のドイツ合宿に参加した奥寺は、当時ブンデスリーガの強豪だった1.FCケルンの監督、ヘネス・バイスバイラーからそのスピードを見初められる。
しかし当時は、日本人の海外移籍はほとんど例が無かった時代。
ヴァイスヴァスラーからの熱烈なラブコールを受けた奥寺だったものの、一度はこれを断った。
しかし再度のオファーを受けた際には、移籍を決意。
晴れてブンデスリーガの日本人選手第一号が誕生したのである。
奥寺がプレーした当時のブンデスリーガは、UEFAチャンピオンズカップで83年にハンブルガーSVが優勝、80年と82年に、ハンブルガーSVとバイエルン・ミュンヘンが準優勝に輝くなど、イングランドに次いで世界最高峰のレベルを誇った時代。
今で言うスペインリーグくらいの力は持っていたリーグだったと思われる。
そのブンデスリーガで奥寺は、実に9シーズンをプレー。
その大半をチームのレギュラーとして過ごし、その間にブンデスリーガ優勝1回、準優勝3回、UEFAチャンピオンズカップベスト4を1回、という輝かしい実績を残した。
この実績は、中田英寿や本田圭佑ら後年の選手たちと比べても、おそらくはるかに上である。
その意味で奥寺は、釜本邦茂や杉山隆一などのさらに前の世代のプレーヤーを除けば、日本サッカー史上で最高の選手だと言っていいだろう。
そしてその奥寺の活躍を受けて、80年代には尾崎加寿夫、風間八宏ら数名の日本人選手たちが海を渡り、ドイツに挑戦をすることになる。
その後、イタリアサッカーがトレンドとなった90年代には、目立った日本人選手のドイツへの移籍はなかった。
しかし、2000年代になって再びドイツへの扉を開けた日本人が、高原直泰である。
ハンブルガーSVとアイントラハト・フランクフルトで、延べ6シーズンに渡ってプレーした高原は、フランクフルト時代の 06-07シーズンにはリーグ 11得点を挙げるなど活躍。
「スシボンバー」という、一見馬鹿にされているようだけどれっきとした褒め言葉のニックネームをいただき、ドイツで確固たる地位を築き上げた。
高原の活躍を受けて、以降も稲本潤一、小野伸二、大久保嘉人、相馬崇人らの日本人選手たちがドイツに渡る。
その中でも高原以降、最も成功を収めたのが長谷部誠である。
VfLヴォルフスブルクでレギュラークラスでプレーする長谷部は、08-09シーズンには見事にブンデスリーガ優勝を達成。
日本人選手としては奥寺康彦以来、実に 31年ぶりの快挙として、ドイツの地に金字塔を打ち立てた。
内田の師事する「鬼軍曹」、フェリックス・マガト
そんなブンデスリーガに、内田篤人は新たに挑戦する。
内田の移籍したシャルケ04は、昨シーズンのブンデスリーガで2位となった強豪チーム。
またボルシア・ドルトムントとバイエルン・ミュンヘンに次いで、ドイツでも3本の指に入る超人気クラブでもある。
監督のフェリックス・マガトは、長谷部の所属するヴォルフスブルクが優勝した時に、その監督をしていた人物。
それ以前にもバイエルン・ミュンヘンを率いて、2回のブンデスリーガ優勝の実績を持つ名監督だ。
「鬼軍曹」の異名を持つマガトは、ドイツの中でも際立って過酷なフィジカルトレーニングを課すことでも知られる。
しかしフィジカル面を課題とする内田にとっては、マガトの指導から得られるものも多いだろう。
長谷部がそうであったように、内田もマガト監督のもと、プレーヤーとしてさらに一回り大きく成長していってほしいと思う。
そしてこの週末、いよいよブンデスリーガが開幕した。
内田のシャルケは開幕戦で、強豪のハンブルガーSVと対戦。
この試合は、日本の若きサイドバックが世界でどれくらい通用するのかを図る、うってつけの試金石となった。
内田篤人、いきなり訪れた活躍の時
シャルケがアウェーに乗り込んだこの開幕戦、新加入の内田はベンチスタートだった。
試合は立ち上がりから、ホームのハンブルガーSVが主導権を握る展開となる。
逆に守勢に回ることになったシャルケ。
特に前半の終了間際には、ハンブルガーに立て続けに決定的チャンスを作られた。
しかし前半は、何とか 0-0で終了。
ところが後半の立ち上がり、試合は突然動く。
後半開始からわずか 30秒で、シャルケは内田と同じ右サイドバックに入ったカメルーン人、ジョエル・マティプが、オランダ代表のエリエロ・エリアに突破を許してしまう。
エリアの左足から放たれたクロスは絶妙の軌道を描き、中央に走り込んだオランダのスーパーゴールゲッター、ルート・ファンニステルローイの元へ。
百戦錬磨のストライカーがこれを確実に決めて、ハンブルガーが後半早々に均衡を破った。
これで劣勢に立たされたシャルケ。
しかし先制点で勢いに乗るハンブルガーの前に、前半と同じくシャルケは主導権を握られ続ける。
この状況を打破するには、何か大きなきっかけが必要だった。
そこでマガトは、ついに秘蔵のカードを切る。
失点の原因となったマティプに代えて、内田篤人を投入。
後半の 58分だった。
そしてこの交代は、はじめは見事に功を奏すことになる。
交代直後から、内田は躍動した。
右サイドの高い位置にポジショニングをし、自分に求められている「攻撃」に特化することを試みた。
そして持ち前のスピードとテクニックを活かして、何度もチャンスを作り出す。
時にはドリブル突破、時にはクロス。
90分には、枠をとらえる強烈なミドルシュートも見せた。
内田の投入でシャルケの右サイドは明らかに活性化。
対峙したエリエロ・エリアは、先のワールドカップでも活躍した危険なドリブラーで、この日も1アシストと活躍している。
しかしそのエリアも、内田の投入後はなりを潜めてズルズルとポジションを後退させ、78分には交代に追い込まれた。
そして好リズムに変わったシャルケは 79分、FKからペルー代表のジェファーソン・ファルファンが合わせて、ついに同点に追いつく。
内田は直接得点には絡まなかったものの、そのプレーがシャルケに勢いを与えたことは間違いないと言っていいだろう。
同点に追いついたシャルケ。
次に狙うのは当然、逆転弾だ。
残り時間は10分あまり、シャルケの勢いを考えれば、それは充分に可能なことのように思われた。
しかし、「好事魔多し」とはよく言ったものである。
歓喜の同点ゴールの後に待っていたのは、苦々しい失点のシナリオだった。
そしてその失点シーンに、内田篤人はキャスティングをしてしまう羽目になる。
内田を翻弄した「老兵」、ゼ・ロベルト
それは後半 82分だった。
ハンブルガーは内田の守る、シャルケの右サイドで組み立てを図る。
ここに現れたのがハンブルガーの老練な 36歳、ゼ・ロベルトだった。
現在はボランチでプレーするこの元ブラジル代表は、かつては左サイドを主戦場としていたアタッカーである。
そしてこのゼ・ロベルトが、ハンブルガーのパス回しの後方から猛然とダッシュを仕掛けた。
年齢を全く感じさせないスピード。
そしてそのギアが6速に入ったとき、そこにパスが供給される。
そのゼ・ロベルトの突破に、内田篤人は対応が遅れた。
内田の中途半端なポジショニングの隙を付き、ゼ・ロベルトは完全にシャルケの右サイドをぶっちぎる。
そしてゴールライン際から放たれたグラウンダーのクロスは、再びエースストライカー、ファンニステルローイの元へ。
これをこの驚異の点取り屋が外すわけもなく、ハンブルガーが大きな大きな2点目を挙げたのである。
反撃ムードを払拭する、決定的な勝ち越し点。
以降、シャルケに同点に追いつく力は残っていなかった。
むしろ内田の右サイドを執拗に突かれ、その後も何度もチャンスを作られる。
内田も果敢なオーバーラップでこれに対抗したものの、ゲームの流れは変わらなかった。
そして試合はそのまま 2-1でタイムアップ。
一度は手に入れかけた勝ち点を取りこぼして、シャルケ04は、痛恨の黒星でシーズンのスタートを切ることとなったのである。
内田篤人に浴びせられた「ドイツの洗礼」
内田のこの日の出来は、非常に評価の分かれるところだろう。
攻撃に関しては、期待以上の出来だったと言ってもいい。
内田の投入以降、明らかにシャルケの攻撃リズムは良くなった。
しかし守備に関しては、これまでも再三指摘されてきたような危うさを露呈した。
フィジカルの弱さもあるけれども、この日に目立っていたのはポジショニングの悪さ。
連携が出来上がっていない影響も考えられるけれども、緩慢な守備はチームにとっても、非常にリスキーな「爆弾」になりかねない。
総合的な評価としては難しいところだけども、ディフェンダーとしては失点に絡んでしまったことは、大きなマイナスポイントである。
だからこの日は、「ホロ苦いデビューだった」というのが正解なのかなと、個人的には思った。
あとはマガト監督が、これをどう評価するかである。
守備のリスクが大きすぎると考えたならば、内田の出番は今後もしばらくは限定的なものになるだろう。
それ以上に攻撃面での魅力を感じたならば、また次戦で起用される可能性もあると考えられる。
内田篤人にいきなり突きつけられた大きな課題。
ただ日本のファンとしては、それを何とか克服していってほしいと思う。
それができるようになるために、内田は海を渡ったのだから。
この日のゲームは内田に浴びせられた、熱くて冷たい「ドイツの洗礼」だった。
しかしそれをプラスに変えるのもマイナスに変えるのも、それは全て、これからの本人次第なのである。
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