インテリスタたちの祝祭の夜/UEFAチャンピオンズリーグ@インテル・ミラノ 2-0 バイエルン・ミュンヘン

世の中にはサッカーとか映画とか音楽とか、色々な娯楽がある。

かつて暇人だった僕は、「人間にはどうして娯楽が必要なんだろう?」なんてことを考えてみたことがある。

結局まともな結論は出ていないんだけれども、要するに「日常」というのが僕たちにとって退屈なものなんだろうな、と僕なりに考えた。
寝て、起きて、ご飯を食べて、仕事をして、お風呂に入ってまた寝る。
このサイクルで人間は生きて行けるけれども、それだけでは人生は謳歌できない。

だから人間は、常に適度な刺激を求めているんではないかなと思った。

要するに娯楽というのは刺激に満ちた「非日常体験」なんだろうと思う。

そしてプロサッカーの世界というのも、僕たちファンからすれば非日常である。
ワールドカップや海外サッカーであれば、その非日常性はいっそう高くなる。

そんな娯楽としてのサッカーの最高峰であり、競技レベルで言えば世界で最もハイレベル、最も非日常的な一試合が先日行われた。

UEFAチャンピオンズリーグの決勝戦である。

磐石の完成度を誇ったインテルのサッカー

ところで今回はひとつ謝罪から。

前回の記事で「今回の決勝は接戦になるだろう。場合によってはPK戦も…」てなことを書いてしまったけれども、結果は 2-0 でインテルの完勝。

やっぱり下手な予想はするもんじゃないな…とか思いつつも、懲りずにワールドカップでも予想をしようと思ってたりする僕なんである。

まあ、なんちゃってブロガーの僕の予想など大した重みもないので、そのへんは気軽に流し読みしてもらえると嬉しいです♪

では再び本題に。

それにしても今回の決勝戦は、インテルの完成度を見せつけられた一戦だった。

とは言っても、インテルに圧倒的な強さを感じたわけではない。
例えばバルセロナのように驚異的なポゼッションから決定的チャンスの山を作るようなサッカーは、この決勝では見られなかった。

しかしとにかくインテルは「抜け目なかった」のである。

インテルがこの試合で作った決定機自体は、決して多くはなかったと思う。
奪った2得点もカウンターからのものだった。

しかしその少ないチャンスを確実にモノにする決定力を、インテルは備えていた。

それは2得点を挙げたエースストライカー、ディエゴ・ミリートの才能に依る部分が大きいのは間違いないけれども、かと言ってインテルはミリートのワンマンチームとは全く違う。

ミリートのゴールが生まれるにはウェズレイ・スナイデルやサミュエル・エトーのサポートがあったし、仮にミリートの位置にエトーが入っていたとしても、同じだけの仕事をしただろう。

それに何と言っても見事だったのは、インテルのディフェンスである。

バルセロナを倒した時もそのディフェンス力は際立っていたけれども、この試合でもその組織は全くブレが無かった。

GKのジュリオ・セザールと4人の最終ラインの素晴らしさは言うに及ばず。
そこにディフェンシブな中盤のハビエル・サネッティとエステバン・カンビアッソ、さらにはゴラン・パンデフ、エトーらも加わって堅固な守備組織を築いた。

その安定感は素晴らしいとしか言いようがない。
僕には彼らがさながら、「ディフェンス・アーティスト」のようにすら思えたほどである。

イタリアには「カテナチオ」という言葉がある。

イタリア語で「鍵をかける」というような意味だけども、サッカーにおいては堅牢な守備戦術を指す言葉として使われる。

イタリア国内では既にこの言葉は「死語」になっているそうだけれども、世界のサッカーファンからすると、クラブでも代表でも守備的な戦術を得意とし、結果にこだわるイタリアサッカーは今でも「カテナチオ」のイメージが強い。

そしてこの日のインテルは、紛れもない「カテナチオ」であった。

これは良い意味でも悪い意味でも使える言葉だけども、今回は良い意味で使いたい。

バルサとの準決勝でも、インテルの守備的サッカーは一部からは批判の声が挙がっていた。
しかし、攻撃もあって守備もあるのがサッカーである。

もちろん僕もバルサのような攻撃サッカーは大好きだけれども、だからと言って守備の価値を低く見るような見方にも抵抗を感じる。
そういう意味でも、この決勝戦でのインテルは素晴らしいサッカーをしたと僕は思う。

そして奇しくもこの「カテナチオ」という言葉の先駆けとなったのが、1960年代に同じくヨーロッパチャンピオンに輝いた、当時のインテルだったのだ。

45年越しの夢を叶えた「お人好しの会長」

名将エレニオ・エレーラがインテルを率い、UEFAチャンピオンズリーグの前身だったチャンピオンズカップを2連覇したのが1964年と65年。
実にそれから45年の時を隔てて、ビッグイヤーは再びインテルの元へと帰還を果たした。

45年と言えば途方もない年月である。

この当時、音楽界ではビートルズ人気が全盛期だったし、映画で言えばサウンド・オブ・ミュージックやマイ・フェア・レディなどの名画が誕生したのがこの年だ。

国内では東京オリンピックの翌年に当たり、Jリーグの前身の日本サッカーリーグが開幕したのもこの年だった。

僕はまだ生まれていなかったけれども、それにしてもなんだか、もの凄く昔の話のように感じる。

それだけの長きに渡って、インテルはヨーロッパチャンピオンのタイトルから見放され続けてきたのである。

その間、ACミランやユベントスらのライバルたちは、何度となくヨーロッパの頂点に立ってきた。
それを横目で見ながらジクジたる思いをしてきたインテリスタたちのこの日の喜びは、想像を超えるほど大きなものだっただろう。

そしてそんなインテリスタの中でも、恐らくこの優勝を最も喜んでいるのが、現インテル会長のマッシモ・モラッティなのではないだろうか。

45年前、モラッティ会長は20歳だった。
そして当時のインテル会長だったのが、実父のアンジェロ・モラッティである。

青年マッシモは、当時ヨーロッパチャンピオンに輝いた父のチームに、当然ながら大きな感動を味わったはずである。
その父の成し遂げた夢をもう一度再現しようと、マッシモ・モラッティが会長に就任したのは1995年。

潤沢な資金を投入し、ロナウドやロベルト・バッジョなどのワールドクラスの選手たちを獲得するものの、チャンピオンズリーグはおろかセリエAでの優勝も手にすることができず、一時は「金を使うだけの無能な会長」とのレッテルを貼られた時期もあった。

しかし2006年、いわゆるカルチョ・スキャンダルでユベントスやミランがセリエB降格・勝ち点減点などの厳罰を受けると、繰り上がりで 05-06シーズンのスクデットが転がり込む。
ここからインテルの第二次黄金時代が始まった。

そしてとうとう今シーズン、悲願のチャンピオンズリーグのタイトルを手にいれたのである。

会長となってからは受難の時期と栄光の時期の両方を体験したマッシモ・モラッティだけれども、それでも就任当初から変わらないことが一つある。

それは選手からの評判だ。

僕はモラッティ会長を非難するような選手の声を、今まで一度も目にしたことがない。

サッカーチームのオーナーというのは、たいがいが傲慢な金持ちと相場が決まっている。
そこまで典型的でなかったとしても、雇用者であるオーナーと選手との間には、様々な軋轢が生まれるのは普通のことだ。

だから移籍でチームを去った後などに、選手が古巣のフロント陣を痛烈に批判する姿は、珍しいものではない。

しかしモラッティ会長に関しては、そういう声がほぼ皆無なのである。
あるのはいつも、会長に対する賞賛と感謝の言葉だけだった。

かつてインテルのエースだったロナウドが、大怪我でおよそ2年に渡りプレーができなかった時も、モラッティ会長は復活までの手厚いサポートをし続けた。

そしてロナウドがようやく復帰を果たし、その直後に日韓ワールドカップで優勝と得点王に輝く活躍を見せ、それからすぐにレアル・マドリードに引き抜かれた際も、モラッティ会長はロナウドに理解を示した。

それどころか数年後にロナウドが宿命のライバル、ミランの選手としてイタリアに戻ってきた時ですら、モラッティはそれを公に非難するようなことは無かったのである。

そんな「お人好し」とも言えるモラッティ会長の寛大さに、インテリスタたちからは不満の声も挙がっていたらしい。

しかしいま、そんなモラッティ会長の下、監督、選手たちまでもが一つとなったチームが、ヨーロッパの頂点に立ったのだ。

勝利の後の素晴らしい “祝祭”

「決勝戦は面白い試合にならない」。

サッカーの世界ではこういう定説がある。

準決勝までは好プレーを見せて勝ち上がってきたチーム同士でも、決勝戦では「負けられない」「勝ちたい」という緊張感が強くなり過ぎてしまって、良いプレーが出にくくなるそうだ。

確かに色々な大会を観ても、決勝がしょっぱい試合になることは多い。

この大会でも、決勝戦は準決勝のインテル x バルセロナ戦や、準々決勝のバイエルン x マンU戦ほどのエキサイティングな試合にはならなかった。

インテルは完璧な試合運びをしたけれども、対するバイエルンはその持ち味を発揮できたとは言い難い。

アリエン・ロッベンが時おり鋭い突破からチャンスを作っていたけれども、本物のビッグチャンスと言えるようなシーンは、後半開始直後の決定機のシーンくらいしか見られなかった。
このシーンでトーマス・ミュラーが同点ゴールを挙げていればその後の試合展開も違ったものになっていたかもしれないけれども、現実はそうはならなかった。

僕が期待していた、バイエルンがマンU戦で見せた「ゲルマン魂」もついに最後まで発揮されず、インテルが危なげない試合運びで完勝した決勝戦だったと言えるだろう。

定説に漏れず、この決勝戦もドラマチックなゲームにはならなかったと言えるかもしれない。

しかしそれでも、僕にとってこの決勝戦は素晴らしいものであった。

その理由は試合の後のシーンにある。

終了のホイッスルが吹かれた瞬間、そこには新たなチャンピオンたちの、歓喜の表情が見られた。

いかつい顔をした猛者たちが相好を崩し、子供のような笑顔を見せる。
感極まって涙を流す選手もいた。

そして僕が一番印象的だったのが、インテルの監督ジョゼ・モウリーニョが試合後に見せた表情だった。

目尻に光るものを見せながら、スタッフや選手たちと力強く抱き合い、自身の息子を肩車してピッチの上を走り回っていたモウリーニョ。

いつも人を食ったような自信満々の態度と、その冷徹な戦術眼から、ともすれば「戦術サイボーグ」のようにも思われがちなモウリーニョだけれども、勝利を手にした後の歓喜の表情はまぎれもない「人間ジョゼ・モウリーニョ」の姿だった。

またこの日、お子さんを連れてきていたのはモウリーニョだけではなかった。

ミリートやトルド、恐らく他の選手たちも家族を連れてきていたと思う。
彼らはピッチの上に家族を招き入れ、ともに歓喜の瞬間を味わっていた。

とてもいいシーンだなと僕は思った。

そして試合後の選手たちのコメントを見ても、口を衝いて出るのは、モラッティ会長とモウリーニョ監督に対する感謝の言葉ばかりだった。
この2人のカリスマが、いかに選手たちのハートを掴んでいたかが理解できたように思う。

インテルは会長から監督、選手、そしてその家族にいたるまで、すべての人々が「ファミリー」だったのである。

その輪の中には、長年不遇の時期を味わいながらも、それでもめげずに応援を続けたファンたちも含まれるだろう。

それはその彼らのすべてが、心からの喜びを爆発させた、まさに待ちに待ち続けた “歓喜の瞬間” だった。

サッカーが僕たちに与えてくれるもの

僕たちが娯楽を必要とするのは、人間が刺激を求める生き物だからだと僕は思っている。

しかし、刺激の裏にはリスクも存在する。

勝者の裏には必ず敗者がいる。

今回はバイエルンがその損な役割を被った。

だからスポーツの試合というのは、楽しいことばかりでは決してない。

しかし僕たちはそれでもサッカーを愛し、サッカーに魅了され続けている。

なぜなのだろうか?

その答えは………

言葉にするのは何か野暮な気がしてしまった。

僕などが語らずとも、このチャンピオンズリーグ決勝後の風景を見れば、そこに全ての答えはあるように思った。

勝負をすれば負けることもある。
自分が応援しているチームが負ければショックも大きい。

それでもこの歓喜の瞬間が、全てを帳消しにしてくれるのではないか。

この日の決勝はインテリスタにとって、苦渋に満ちた45年間が帳消しになった夜だったのだ。

45年間、勝利を信じて待ち続けたインテリスタたち。
その夢は、ついに現実となった。

彼らはいまこの瞬間、間違いなく世界で最も幸せなサッカーファンたちだろう。

いまここに新しいチャンピオンが生まれ、来年にはまた新しいチャンピオンが誕生する。

そこから生まれ続ける歓喜の輪によって、サッカーは僕たちに、これからもずっと喜びを与え続けてくれるのである。

[ 関連エントリー ]

トップページへ戻る