エル・クラシコの光と影 vol.1/リーガ・エスパニョーラ@レアル・マドリード 0-2 バルセロナ

クラシコ。
訳すれば「伝統の一戦」という意味になる。
サッカーの世界でよく使われる言葉だ。
また、世界中にクラシコは存在する。
アルゼンチンのリーベルプレート x ボカ・ジュニアーズの試合は「スーペルクラシコ」と呼ばれるし、日本でもかつてのヴェルディ x 横浜マリノス(読売クラブ x 日産FC)の試合がクラシコと呼ばれた時期もあった。
しかし、単に「クラシコ」と言った場合に、真っ先に想起される試合は1つしかない。
スペインリーグの雌雄を決する2強対決 “エル・クラシコ” 。
レアル・マドリード x バルセロナのスペインダービーである。
シーズンに2回しかない、リーガ・エスパニョーラ最大の注目を集めるゲーム。
今週はこのエル・クラシコの開催されるウィークエンドであった。
ちなみにエル・クラシコが初めて行われたのは1929年。
今から実に80年前である。
これまでの通算対戦成績は、レアル・マドリードが68勝・30分け・61敗とやや勝ち越しているものの、昨シーズンと今シーズンの直近3試合では、バルセロナが3連勝を飾っている。
リーグ最大のライバル同士の対決だけに、クラシコは常にドラマが生まれる雰囲気に満ちている。
僕がこれまで観た中でも、いくつかの印象的なクラシコがあった。
2005年11月のクラシコでは、当時のバルセロナのエース、ロナウジーニョが大爆発。
この年のバロンドールやFIFA年間最優秀選手賞など、個人タイトルを総なめにして絶頂期にあったロナウジーニョが、アウェーのサンティアゴ・ベルナベウでレアルDF陣を蹂躙。
自らの2ゴールを含む 0-3 の完勝劇を演出し、そのプレーの素晴らしさにはレアルサポーターからもスタンディングオベーションが贈られるほどだった。
2007年3月のゲームでは、バルセロナのホーム、カンプ・ノウでレアルの攻撃力が火を噴き、アウェーで3度のリードを奪う。
しかしそんなバルサを救ったのが、当時19歳のリオネル・メッシであった。
2得点を挙げ、2度同点に追いついただけでなく、後半ロスタイムに3度目の同点弾を叩き込みハットトリックを達成。
未来のエース、メッシの活躍で、バルサが土壇場でドローに持ち込んだ。
そして昨年2009年5月のゲームでは、リーグ終盤まで熾烈な優勝争いを繰り広げていた両チームが、レアルのホームで激突。
優勝争いを決める天王山のゲームは接戦が予想されていたものの、蓋を開けてみれば “史上最強チーム” と謳われたバルサが、メッシ、ティエリ・アンリのそれぞれ2ゴールを含む6得点で 6-2 と大勝。
サンティアゴ・ベルナベウでのバルサの6得点は新記録となり、この勝利が決め手となって、バルサはこのシーズンのリーガ優勝を手にした。
このように毎年、名勝負が繰り広げられるエル・クラシコであるけれども、この対戦が注目を集めるのは単に両チームがスペインリーグの2強だからと言うだけではない。
スペインというのはもともと中世に、イベリア半島の複数の中小国家が統一されてできた国である。
ちなみに、その際に統一されずに残った唯一の国家がポルトガルであった。
もともとバラバラの国だったという経緯から、スペインは現代でも地方の独自性が非常に強い国だという特色がある。
しかし1930年代に起こったスペイン内戦でフランシスコ・フランコ将軍が政権を握ると、フランコは一党独裁の中央集権化政策を推し進める。
バルセロナのあるカタルーニャ地方では、スペイン語とは異なる独自の言語、カタルーニャ語が公用語として使用されていたが、フランコ政権はカタルーニャ語の使用を禁止するなどの圧政を敷いた。
もし関西人がある日突然、政権が変わったからと言って「今日から関西弁は使用禁止。ツッコミの際の『なんでやねん!』も禁止。語尾は『〜じゃん』に統一。破った者は禁固刑なり。」などと言われたらどうなるだろうか。当然関西中から大ブーイングが起こるであろう。
しかしフランコ政権は、意義を唱える反政府団体などを弾圧した。
反政府活動家を逮捕し、場合によっては処刑するなどの恐怖政治を実行したのである。
当然、カタルーニャの人々の怒りは増大した。
故郷の伝統文化を剥奪し、同志たちの命を奪ったマドリードの政権に対する憎悪の念は、果てし無く高まっていったのである。
そんなカタルーニャの人々にとって、「王家の」を意味する「レアル」という名前を冠し、政府からの支持を受けていたレアル・マドリードは、憎き中央政権の象徴であり、FCバルセロナの選手はその巨悪に立ち向かう地元の英雄たちであったのだ。
フランコ政権自体は、1975年のフランコ将軍の死去に伴い崩壊する。
その後に民主化がなされ、現在では政治的な弾圧も無くなった。
しかしカタルーニャ人たちは、フランコ政権下での哀しい歴史と憎しみを忘れてはいない。
そういった背景から、現在でもエル・クラシコは単なる「サッカーの2強対決」の枠を超えた、マドリード人とカタルーニャ人の代理戦争の意味合いを帯びているのである。
今回のエル・クラシコも昨年と同様、優勝争いを掛けた大一番となった。
ともに勝ち点77で並ぶ両チームは、3位バレンシアに20ポイント以上の大差をつけていて、優勝は完全にこの2チームに絞られていた。
そして結果は。
アウェーのバルセロナの 2-0 での快勝劇であった。
この勝敗を分けた要因とは、いったい何だったのか。
これについてはまた明日、後編にて考察させていただきたいと思います。

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