日本代表「サムライブルー」と岡田武史監督について思うこと。

いよいよ明日の金曜日にはワールドカップが開幕である(我ながら最近、この入り方ばっかりでスミマセン…!)。

我らが日本代表は、何かと問題を抱えながらも南アフリカで決戦の時を待っている。
開幕を目前にして、各国のテストマッチも一段落。今はまさに嵐の前の静けさと言ったところだろうか。

そこでこのタイミングを利用して、いまのうちに至極個人的な、日本代表についての思いを書き綴っておきたいと思います。

日本代表応援宣言

今年に入ってから不甲斐ない戦いが続いている日本代表。

そのこともあって、このブログでも「このメンバーでは日本は勝てない」てなことを書かせていただいた。
その考えは今でも変わってはいない。

運がよければ決勝トーナメント進出の可能性も10%くらいはあるかもしれないけども、順当に行けばまず無理だろうと思う。

ただ、いちおう宣言しておきたいのだけれども、それでも僕は、あくまでも日本代表を応援している。

日本が勝てないというのは、客観的な視点から見た場合の「予想」である。
しかしいちファンとしては、そんな予想をいい意味で裏切って、好成績を残してほしいという期待ももちろん持っている。
この2つの思考は矛盾するけれども、たぶん多くのファンが共通して抱えるジレンマなのではないだろうか。

ただ、代表チームに苦言を述べてしまった以上、仮に僕の予想が外れて日本が決勝トーナメント進出を果たすようなことがあれば、きちんとこのブログでも代表関係者の方々に対して謝罪をしようと思ってます(読んでもらってるかどうかは別として)。

しかし僕が謝罪をするような展開になってくれれば、いちファンとしてはそれが一番嬉しいことなのは間違いない。

岡田武史監督について思うこと

ところでもう一つ、岡田武史監督についても触れておきたい。

これまでも僕は、自分が岡田監督を嫌いになれないという旨を書いてきた。
その理由は、単純に僕が岡田監督の人柄を好きだからである。
賛否両論あるだろうけども、僕個人としては、人間としての岡田武史という人は決して嫌いではないのだ。

ただ監督としては、Jリーグの中ではトップクラスの監督だったけれども、残念ながら世界レベルでは二流・三流の監督だろう。
選手選考にも采配にも疑問を感じる部分は多いし、チームマネジメントの能力も不足しているように思う。

中でも一番問題なのは、思考に柔軟性が欠けていることではないだろうか。

信念、と言うと聞こえはいいけれども、監督としての岡田氏は小さい事に意固地になりすぎて、合理的な判断ができなくなってしまっている場面も目立つ。
いろいろな状況に瞬時に対応しなければいけないワールドカップのような短期決戦において、この柔軟性の無さは致命的な弱点だと言えるだろう。
岡田監督の采配は、いったん流れが悪くなるとそれを打開することができないし、正直なところ国際レベルでこの采配力では通用しないとも思う。

結論として、岡田ジャパンは南アフリカで決勝トーナメントに進出できないと僕は考えている。

メディア報道について感じる疑問

というわけで、僕は代表監督としての岡田武史を評価してはいない。

本音を言えば、ワールドカップでは岡田ジャパンよりもオシム・ジャパンを観たかったし、岡田さんがどこかのタイミングで解任されていたとしても、やむを得ないことだったろうと思っている。

ただ、それでも一つ腑に落ちないことがある。

岡田監督の能力に限界が感じられるのは事実である。
しかしここ最近の、日本代表の不振が全て岡田監督の責任であるような報道には、強い違和感を覚えてしまうのだ。

もちろん監督は、出てしまった結果に対して最も責任を負わなければいけない立場なのは世界の常識だ。
そうやって矢面に立つのが監督業というものだし、誰よりも重大な責任を負うのは当然のことだと思う。

しかし、だからといって、日本代表が弱いことの全てが岡田監督のせいであるかのような批判は、筋違いではないかと思ってしまうのだ。

言うまでもなく、実際に試合をするのは選手たちである。
そして日本の選手たちは、まず個人能力で世界の強豪に水を開けられているのではないか。
セルビア戦でも韓国戦でも、イングランド戦でもコートジボワール戦でも、日本は例外なく「個」の能力でこれらのチームに劣っていた。

そもそも現在の日本代表主力メンバーたちの多くは、オリンピック出場時には本大会で決勝トーナメントに進めなかった、アテネ五輪と北京五輪の世代である。

この世代は、彼らが10代の頃から「谷間の世代」と呼ばれ、タレント不足を指摘されてきた選手たちだ。
つまり「個」の能力が、国内の他の世代と比べても、もともと不足しているのがこの世代なのである。

それでもイビチャ・オシムが日本代表監督をしていた時期には、無名選手の育成に定評のあるオシムの手によって、その「個」に磨きがかけられる可能性はあった。

しかしオシムが病に倒れたことによって、その計画も水泡に帰す。

オシムは世界的な名将であるから、無名の選手たちを率いても代表クラスのプレーヤーに成長させられるだけの手腕を持っていた。
しかし岡田監督は、世界的に見れば無名な、ただのローカル監督に過ぎない。
オシムほどの指導力は、岡田監督には望むべくも無いのが現実だろう。

しかし、個の能力で劣る選手たちを率いて好結果が出せなかったとして、それは岡田監督だけの責任なのだろうか?

最近の報道を見ていると、まるでAランクの選手たちを抱える国が、監督がCランクなせいでチーム力もCランクになってしまっているかのような論調である。

しかしこれは全く筋違いだと思う。

実際にはCランクの選手たちの揃った国が、Cランクの監督に率いられ、順当にCランクに落ち着いているだけなのではないか。

それでもメディア、特に活字系の媒体では、相変わらずの岡田バッシングが止む気配を見せない。
中には目を背けたくなるような記事も少なくない。

二言目には「岡田が悪い、岡田が悪い」の大合唱。全ての問題が岡田監督のせいであるとでも言うような極論が非常に目立つ。
それでも監督としての能力を批判するだけならまだ理解できる。しかし時には、これは誹謗中傷や、人格攻撃なのではないか?と思ってしまうほど、目に余るような岡田バッシングの記事も見受けられるようになってきた。

それを書いているのが、どこかのいちファンやアマチュアブロガーであるのなら、それもひとつの意見かなと思えなくもない。
しかしこれで飯を食っているプロのライターたちまでもが、単なる感情論のような駄文を撒き散らし、「とりあえず岡田を叩いとけばOK」のような風潮なのだから、この国のサッカージャーナリズムのレベルの低さを感じざるを得ないのだ(外国も大して変わらないかもしれないけど…)。

もうその可能性は無くなったけれども、ちょと前までは世間の風潮は「岡田ヤメロ」一辺倒であった。
ライターたちは、とりあえずそれに乗っかって岡田叩きをやっておけば、それで数字が稼げるという計算も背景にはあったのかもしれない。
しかし何でもかんでも岡田監督だけのせいにしておけばいいという安直な姿勢は、プロのジャーナリストとして恥ずかしくはないのだろうか?と僕は思ってしまった。

日本代表の成績、その責任の所在とは?

日本代表が弱いのは、監督だけの責任なのか?

僕は違うと思う。日本代表が弱いのは、日本サッカー界全体の責任である。

監督をはじめ選手たち、スタッフ、サッカー協会、クラブの指導者たち、マスメディア、そして僕たちファンやサポーター。
その全員に少しずつ責任はあるはずだ。

報道を見ていると、まるで岡田監督の首さえすげ替えれば、それだけで日本代表が劇的に強くなるかのような論調が目立つけれども、それは幻想に過ぎない。

次回以降のワールドカップで本気で勝ちたいのであれば、日本はあらゆる部分で変革をしていかなければならない。
それは僕たちを含めて、サッカーを愛する全ての日本人に課せられた課題であると思う。

南アフリカで日本が勝とうとも負けようとも、我々がそういう意識を持つことができなければ、日本代表が本当に強くなる日は永久に訪れないのではないだろうか。

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