在日コリアンの人たちの教育機関である朝鮮学校は、全国各地に存在する。
僕の地元の横浜にも、横浜朝鮮学校というのがある。
僕は朝鮮学校とは少し離れた地域に住んでいたので直接ふれあうような機会はほとんど無かったのだけども、中学や高校に通っていたころは、朝鮮学校の生徒たちの噂はちょくちょく耳には入ってきた。
そしてその多くは、ちょっと物騒な内容のものだった。
ほとんど都市伝説のようなものもあったけれども、大半は要するに「あいつらを怒らすとヤバイ」といった感じの話である。
だから僕たちの間には、自然と朝鮮学校の生徒に対しては、ちょっと危険だというイメージが植え付けられていった。
僕が高校を出てから数年が経ち、小泉純一郎が首相に就任すると、今度は北朝鮮による日本人拉致問題が世を騒がすことになる。
この頃の報道によって、日本国内では北朝鮮に対するダーティーなイメージが決定的となった。
窪塚洋介主演の映画『GO』などで、在日コリアンの問題がクローズアップされたのもこの頃である。
僕自身は学生時代はほとんど在日コリアンの人と接する機会が無かったけれども、大人になると仕事やプライベートやらで、ちょくちょく在日の人たちの知り合いができるようになる。
そのほとんどは、「普通にいい人たち」だった。
むしろ、エネルギッシュで明るくてハートのある人たちが多かった印象である。
もちろんそうでない人たちもいるんだろうけど、それは日本人でも同じだろう。
ともかく僕は、学生時代に抱いていたネガティブなイメージと、実際に接した在日の人たちの印象とのギャップに、少なからず驚きを感じたものである。
ワールドカップで躍動した、2人の在日コリアン選手
そんな話を思い出したのは、ワールドカップで北朝鮮の試合を観たことがきっかけだった。
優勝候補のブラジルと、まさかのアジア予選突破の末に本大会に出場してきた北朝鮮。
結果は試合前から大体予想はついていて、はじめは正直あまり関心の湧く試合ではなかった。
そんな印象が一変したのが、試合前の国歌斉唱のシーンである。
そこにはJリーグの川崎フロンターレでプレーする北朝鮮代表のチョン・テセが、顔をクシャクシャにして涙を流す姿が映し出されていた。
今大会の北朝鮮代表には、在日コリアンの選手が2名エントリーしている。
前述のチョン・テセと、大宮アルディージャでプレーするアン・ヨンハ。
2人は、このブラジル戦でも先発に名を連ねていた。
アン・ヨンハは岡山県で生まれ、高校時代を東京朝鮮学校で過ごす。
立正大学を卒業後、アルビレックス新潟へと入団し、ここでプロデビュー。代表にデビューしたのも、この新潟時代だった。
その後名古屋グランパスを経て、2006年からは韓国Kリーグの釜山アイパークへ移籍。
北朝鮮代表の選手が、現在も緊張関係にある隣国・韓国のリーグでプレーするというのは異例の事態であり、韓国内でも注目を集めたそうだ。
それから同じKリーグの水原三星ブルーウィングスに移籍し、今シーズンからJリーグに復帰して大宮アルディージャでプレーしている。
チョン・テセは愛知県出身。
朝鮮大学から川崎フロンターレへ入団し、2年目の2007年シーズンからは3年連続でJリーグ2桁得点を挙げるなど活躍。
それが認められ、同年に北朝鮮代表にデビュー。
現在では代表でも不動のエースストライカーとしての地位を確立している。
この2人のうち、はじめに注目を浴びたのは先輩のアン・ヨンハのほうだった。
前回ワールドカップドイツ大会のアジア最終予選で、北朝鮮は日本代表と同組に入る。
このころ代表の中心選手となっていたアン・ヨンハは、同じ在日コリアンとしてJリーグでプレーするリ・ハンジェとともに、日本のメディアにたびたび取り上げられた。
そして彼らが注目を浴びた背景には、多くの日本人が感じる素朴な疑問があったのだろうと推測する。
つまり、「なぜあえて、北朝鮮代表に?」と。
彼らが選んだ「逆境の道」
周知のとおり、日本国内での北朝鮮に対するイメージは芳しくない。
拉致問題はまだ解決していないし、テポドンによる日本へのミサイル発射の報道がなされた事もある。
またアメリカによって、北朝鮮は「ならず者国家」だとも揶揄された。
そんな日本で生まれ育った彼らが、日本に住みながらあえて北朝鮮代表になることは、いろいろな苦労も存在しただろう。
日本人が日本代表になれば賞賛の嵐を浴びるだろうし、北朝鮮代表も北朝鮮国内では同じような扱いを受けているはずである。
しかし、在日コリアンが日本に住みながら北朝鮮代表の道を選べば、全く逆の反応が待っているのではないだろうか。
しかし彼らは、あえてその道を選んだのである。
彼らが北朝鮮代表になることを選んだ理由は分からない。
ただ、取りたてて理由など無いというのが一番近い答えのかもしれない。
彼らは日本で生まれ育ってはいるけれども、朝鮮学校で教育を受け、自然と「自分は朝鮮人である」という意識を持つようになったのではないだろうか。
祖国を思う感情に理屈など入る余地がないのは、僕らが日本代表を誰に強制されるでもなく自然と応援していることと、同じ事だろうと思う。
チョン・テセは試合後、国歌斉唱の際に涙を流したのは「『祖国の代表としてワールドカップに出る』という幼い頃からの夢がかなって、本当に嬉しかった」からなのだと語っていた。
その涙には、一切の理屈は存在しなかったように僕には思えた。
大国に一矢を報いた「北朝鮮の意地」
試合そのものは予想に反し、北朝鮮の健闘が光ったゲームとなった。
ブラジル出身のラモス瑠偉は、祖国のピリっとしない戦いぶりに「早起きして観る価値のない、酷い試合」と吐き捨てていたけども、ブラジル目線で見ればその通りの内容だったと思う。
エースのカカーは、レアル・マドリードでも今季はケガのために不調のシーズンを送ってしまったけれど、この試合でも本来の出来とはほど遠いプレーに終始した。
チーム全体も低調な出来で、ボールはキープするものの北朝鮮の粘り強いディフェンスの前に、大きなチャンスを作れない。
ブラジルのように優勝を現実的な目標とするチームにとっては、グループリーグは半ば調整の場なのだそうだ。
この試合では、ブラジルの本来の力の6割〜7割程度しか発揮できていなかったのかもしれない。
対する北朝鮮は、5バックを敷く超守備的な布陣でブラジルの攻撃を抑えこみ、そこから速攻を狙う、典型的なカウンタースタイルで挑んだ。
中でも光っていたのは、やはりJリーグ所属の2人のプレーである。
チョン・テセとアン・ヨンハは、それぞれ攻守の起点として活躍。アン・ヨンハは何度となく鋭い読みでブラジルからボールを奪取していたし、チョン・テセは体を張ったポストプレーとドリブル突破で、完全に北朝鮮の攻撃の核となっていた。
その活躍は世界のサッカー関係者にもそれなりに大きなインパクトを与えたんではないだろうか。
2人の活躍もあって、けっきょく前半は 0-0という意外なスコアで折り返す形となった。
しかし、たとえ本調子でなくとも、取るべき場面で点を取ってくるのがブラジルである。
先制点が生まれたのは後半 55分。
マイコンがオーバーラップから右サイドを抜け出し、そこからセンタリングを上げると見せかけて意表をついたシュート。
狭いコースを狙ってきたシュートに北朝鮮GKは完全に裏を突かれ、これが見事に決まってブラジルが均衡を破った。
それまでのブラジルにはほとんど得点の匂いがしていなかったのに、このたったワンプレーでブラジルは局面を打開してしまった。
何も無いところから突如として得点チャンスをつくってしまうあたりが、本物の強豪国の恐さである。
インテルでもヨーロッパチャンピオンに輝いた世界最高の右サイドバック、マイコンのスーパーゴールで、ブラジルが一気に試合の主導権を握った。
リードされ、攻めに回らなければいけない展開になった北朝鮮。
それまでの超守備的戦術を多少崩さざるを得なくなったことで、逆にブラジルはボールが回るようになってくる。
その展開の中から後半 72分、追加点が生まれる。
ロビーニョのスルーパスからDFの裏に抜け出したエラーノが、きっちり決めて2点目。
これでほぼ勝負は決した。
しかし北朝鮮も意地を見せる。
後半 88分、勝利を確信したからか、ルーズになったブラジルDF陣の隙をついて、チョン・テセのヘディングの落としからスルスルと抜け出したチ・ユンナムがシュート。これが決まり、北朝鮮が 44年ぶりのワールドカップでの得点をゲットした。
試合はこのまま終了。
北朝鮮が大国ブラジルに一矢を報いた形で、その初戦は幕を閉じた。
ワールドカップに残した1ページ
この試合はブラジルの初戦とは言っても、世界的にはそれほど大きな注目を集めていた試合ではないと思う。
ワールドカップという大きな物語の中では、ほんの小さな1ページに過ぎなかっただろう。
ただ、在日コリアンの人たちからすれば、大きな価値のある1ページだったのではないだろうか。
日本での逆風というハンデを充分理解しながら、あえて北朝鮮代表の道を選んだ2人の在日選手。
彼らの国を思う気持ちは日本代表選手と同等か、もしかしたらそれ以上だったのかもしれない。
周りから何と思われようとも、彼らは祖国の代表選手となり、ワールドカップで国のために戦った。
愛国心に国境はないのである。
北朝鮮に対する日本国内でのイメージは、相変わらずポジティブなものとは言えない。
彼ら自身も日本に住む中で、偏見や差別意識を感じたことは1度や2度ではなかったかもしれない。
しかし、この日のプレーを見て、彼らに対するイメージが変わった人たちも多かったのではないだろうか。
実際の政治の世界には、拉致問題などのまだまだ解決しなくてはいけない問題が山積みである。
しかしサッカーの世界に限っては、そこに政治や宗教は存在しない。
あるのは良いプレーを賞賛し、健闘を称えるファンの、温かい眼差しだけである。
そんなのは綺麗事だ、と言われるかもしれない。
確かにそうかも知れない。
ただ少なくとも僕は、サッカーを通じてそんな世の中になってくれる日が、いつの日か実現することを願っている。
言葉の違いも肌の色の違いも、国籍の違いも乗り越えて、サッカーを愛する全ての人たちが一つになれるもの。
それがサッカーというものだと、僕は信じているからである。
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