僕は沖縄が好きである。
実際には一回しか行ったことはないんだけれど、その紺碧の海とエキゾチックな街並みには、たった一度の来訪で完璧に魅了されてしまった。
少し前には、沖縄に移住する若者が年間に2万人もいたそうだけども、大いに納得できるエピソードである。
ちなみに沖繩には「ウチナータイム」という言葉があるそうだ。
約束の時間に1時間程度遅刻をしても容認されてしまうという、のんびりとした沖繩ならではの時間感覚である。
何事にもせわしなく、電車が時間通りに来るのが当たり前だと思っている本土の日本人は、沖繩の人達からすれば何とも可哀想な人間たちに映っているのかもしれない。
しかし世界は広い。
海外には、沖繩を遥かに上回る時間感覚を携えた民族が存在するのである。
そう、それはアフリカ人だ。
アフリカには「アフリカ時間」というものが存在するらしい。
そのアフリカ時間の持つ破壊力は、ウチナータイムの比ではないという、もっぱらの噂である。
アフリカ時間においては、飛行機が1時間ていど遅れるのは日常茶飯事。
一般人との約束はさらにタチが悪く、待ち合わせに3時間くらい平気で遅れてきた挙句、「途中で事故にあったんだ」とか「家に泥棒が入って、3キロ追いかけていたらこの時間になったんだ」などと吉本の若手芸人もひれ伏するほどの豪胆な言い訳をかましてくるそうである。
さすがの沖繩の人たちも、アフリカ時間を目の当たりにしたら「ナンクルナイサー」と悠然と構えてはいられないのではないかと、いらぬ想像をしてしまったりもする。
それくらい、アフリカの人たちは皆おおらかなのだそうだ。
ところで今大会の開催国である南アフリカは、世界でも1・2位を争う犯罪大国として名を轟かせていた。
しかし実際に現地に行ったことのある、または住んだことのある人たちによると、南アフリカの人々は、一部の犯罪者を除けばみな親切で優しい人たちだとのことである。
そしてこれは、南アフリカに限らず、アフリカ全体の人々にも言えることらしい。
僕たちは報道から得る情報によって、アフリカと聞けば貧困や犯罪、エイズといったようなネガティブなイメージがどうしても先行してしまう。
しかし実際のアフリカ人たちは総じて明るく、人懐っこい人が多いのだそうだ。
僕は実際にアフリカに行ったことはないけれども、いろいろな記事やニュースを見ると、概ね同じようなことが書いてある。
強く明るくたくましいからこそ、アフリカの人々は様々な困難があってもそれを乗り越えて、元気に生活を送っていられるのかもしれない。
そしてそんな、おおからなアフリカの国民性を体現してくれたチームの一つが、今大会のホスト国、南アフリカの代表チームであった。
手負いの獣だった南アフリカ代表
この試合に臨むにあたって、南アフリカは絶体絶命のピンチに追い込まれていた。
2試合を終えて勝ち点は1。
決勝トーナメントに進むためには、この最終戦で最低でも4点差以上で勝利し、さらにグループAのもう一会場の試合でウルグアイかメキシコが負けてくれる必要があった。
さらに悪いことに、南アフリカの対戦相手は前回準優勝チームの強豪フランスである。
つまり状況はほぼ絶望だったのである。
そして南アフリカが決勝トーナメントに進めなかった場合には、ワールドカップで開催国が初めてグループリーグで敗退するという、世にも不名誉な記録を打ち立てることになってしまう。
南アフリカは、この上ないほどの崖っぷちに立たされていた。
しかしそんな崖っぷち軍団が、この試合の途中までは最高の戦いぶりを見せつけた。
立ち上がりは大方の予想通り、個人能力で勝るフランスに押し込まれる苦しい展開で幕を開ける。
ところが前半 20分、コーナーキックのチャンスを得た南アフリカは、そのセットプレーから DFクマロが頭で押し込み、起死回生の先制ゴールをゲットした。
さらにこの直後、南アフリカに決定的な追い風が吹く。
フランスのゲームメーカー、ヨアン・グルキュフが1発レッドで退場。
これで試合の流れは、大きく南アフリカに傾くことになった。
逆に戦前からチーム内の不協和音が取りざたされていたフランスは、これでチームがバラバラになってしまう。
その間隙を突いて、一気にフランスゴールに襲いかかる南アフリカ。
そして前半 37分には貴重な2点目を叩き込む。
前半を終えて 2-0。
このままのペースで行けば、後半で 4-0とすることも夢ではない。
試合前には絵空事でしかなかった奇跡の逆転劇が、現実的な皮膚感覚を持って感じられるところまで、南アフリカはやってきたのである。
勢いは南アフリカにあった。
後半、持てる力を全て出し切れば、決勝トーナメントも夢ではない。はずだった。
しかしそんな南アフリカの首を締めたのは、我が国と同じような永年の課題、「決定力不足」の5文字だったのである。
傷つけられた、勝利の女神のプライド
後半も全くモチベーションの感じられないフランスに対して、南アフリカは攻守に気持ちの入ったプレーを見せ、ゲームをリードする。
このペースなら、不可能と思われていた3点目4点目も、充分に実現可能なのでは?と思われるほど南アはフランスを押し込んだ。
しかし無数のチャンスを作りながらも、南アはゴール前でのラストパスとシュートの精度を著しく欠いていた。
あまりに多くのチャンスを逃し、彼らはおそらく勝利の女神が猛烈に発散していたであろう、自分たちに向けられたムンムンのフェロモンの誘いに、けっきょく応えることができなかったのである。
そしてプライドを傷つけられた女性が、他の男にその色香を向けるのは世の常である。
数多くのチャンスを外した南アフリカは、逆にフローラン・マルーダの一撃を浴び、万事休す。
ここに開催国は、ワールドカップ史上初めて、グループリーグで姿を消すこととなったのである。
南アフリカに流れる「アフリカ時間」の魂
南アフリカの敗因は、強力なストライカーがいなかったことに概ね集約されるだろう。
この試合での南アフリカは、相手に退場者があったとはいえ、充分にフランスから4点・5点をとれるだけの猛攻を見せていた。
しかし最も肝心となる、ゴールネットを揺らした回数はわずかに2回。
奇跡はついに起きなかった。
初のアフリカ大陸での開催という歴史的な大会は同時に、初の開催国のグループ敗退という黒歴史も生み出してしまったわけである。
この結果に僕は、南アフリカの選手・ファンたちはさぞかし落胆したのだろうと想像していた。
ところがその予想は裏切られる。
スタンドのサポーターたちは健闘を見せた自国の代表チームに大きな拍手を送り、選手たちも笑顔でそれに応えていたのである。
そこにあったのは不名誉な敗退記録を作ったことへの悔恨ではなく、大会初勝利を強豪フランスから挙げたことへの達成感だったようにも見えた。
僕はそこに、「アフリカ時間」で悠々と生きるアフリカンたちの、大平原サバンナにも負けないおおらかな魂を感じたのだ。
南アフリカの敗退に悲壮感はなかった。
あったのは自国開催のワールドカップで全力を出し切った南アフリカ代表の、もしかしたら史上最も楽天的な敗者の姿である。
初の開催国のグループリーグ敗退という、残念な歴史が誕生した今大会。
しかし8年前に、僕たち日本人があれほど恐れていたそのシナリオは、南アフリカの人々の笑顔によって、その恐怖のイメージが単なるまやかしであったことを暴かれたのである。
彼らのワールドカップは、期待よりも少しだけ早くゲームセットを迎えた。
しかしこの経験から得たものは、必ずこの国を強くするだろう。
拡大路線を続けるワールドカップ。
今後も大会はマイナー国でも開催されるだろうし、開催国の早期敗退もこれが最後とはならないだろう。
しかし僕は、それでもこの拡大路線を続けていってほしいと思う。
FIFAにその勇気がなければ、この南アフリカ大会は実現していなかったはずである。
そして同時に僕たちが、この南アフリカの人々たちの最高の笑顔に触れることも、また無かったはずなのだから。
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