2002年ワールドカップの日本 x トルコ戦を、僕は川崎市内のスポーツバーで観ていた。
同伴者は当時の彼女=いまの嫁さんで、3回目か4回目のデートがこの日だったと思う。
「トルコには勝てるだろう」。
当時、多くの日本人が考えていたのと同じように、僕もそう考えていた。
それは8年後となった先週火曜日の「パラグアイには勝てるだろう」と、ほぼ同じ感覚だったと言ってもいい。
そして日本は負けた。
グループリーグを2勝1分けの快進撃で1位通過し、ベスト8程度はゆうに狙えるんではないかと思われていたトルシエジャパンの、あまりにもあっけない幕切れだった。
幸いそれでデートが台無しになるようなことはなかったけれど、試合後の店内はお通夜のような空気が漂っていた。
試合中ずっと盛り上がっていた隣の席のグループの、青いユニフォーム姿の女の子が、試合後は長い間ハンカチで顔を覆っていたのが印象的だった。
その日の川崎がどんな天気だったのかはよく憶えていない。
ただ、じめっとした憂鬱な気分で、駅までの道のりをトボトボと歩いて帰ったのを覚えている。
「これからどうしようか?」
試合があったのは夕方だった。
帰りの道すがら、嫁さんがそんなようなことを聞いてきた。
その日の夜には、韓国とイタリアの決勝トーナメント1回戦が予定されていた。
「う~ん、韓国はどうせ負けるだろうからリアルタイムで観る必要もないし、どっかでご飯でも食べるか」。
日本の敗戦の瞬間を目の当たりにして、僕の中でそのショックを誰かと分かち合いたいという気持ちもあったのかもしれない。
だいたいそんなような会話が交わされて、僕たちは軽いディナーの後に家路についた。
帰ってみて愕然とした。
100%あり得ないと思っていた結果が生まれ、韓国はイタリアに勝利していたのだ。
当時の僕は、共同開催にいたるまでの日韓の様々な軋轢や、その後も韓国サッカー協会チョン・モンジュン会長がたびたび仕掛けてきた政治的駆け引きの印象から、韓国に対してかなりダーティーなイメージを抱いていた。
だから日本が負けたことによる心の傷も、共同開催の相方である韓国の負けを見届ければ、いくらか癒されるだろうと期待していたのである。
しかし韓国は、イタリア相手に大金星を挙げた。
日本が歴史的な勝利のチャンスを逃し、逆に韓国が歴史的勝利を飾った日。
当時の僕にとっては、まさに最悪な気分にさせられた1日だったのである。
その後の準々決勝で韓国がスペインにも勝ち、まさかのベスト4進出を達成したのは記憶に新しいところだろう。
そのことにも僕は、当初はかなりの違和感を感じていた。
ただ大会が終わってしばらくが経つと、韓国がベスト4まで行ったことに対して、僕は悔しさと同時に、アジア人として多少の誇らしい気持ちも芽生えるようになった。
それまで欧米に「サッカーが下手な民族」としてさんざん見下され続けてきたアジア勢が、ホームの利があったとはいえワールドカップベスト4という結果を残したのである。
韓国に嫉妬する気持ちと、賞賛を覚える気持ち。
このように相反する感情を抱いてしまうのは、それが隣国のライバルだからだろう。
今も昔も、そんな無視できない存在、それが「近くて遠い国」韓国である。
そしてこの試合は、その韓国がグループリーグ突破を賭けて戦った大一番となった。
“スーパーイーグルス” を封じ込めた “アジアの虎”
この試合、先制したのはナイジェリアだった。
右サイドを突破したオディアーのセンタリングを、ウチェが決めて1点目。
しかし韓国も真っ向から攻撃を挑み、FKからイ・ジョンスが頭で押し込んで同点に追いつく。
試合は 1-1のまま、後半へと勝負が持ち越された。
その運命の後半で、まず主導権を握ったのは韓国である。
左サイドのフリーキック。
僕が “韓国の中村俊輔(顔が)” と勝手に呼んでいるエースストライカー、パク・チュヨンが放ったキックは鋭い弾道を描き、ナイジェリアのゴール右隅に突き刺さった。
この見事なゴールで、韓国は勝ち越しに成功する。
欧州の強豪ギリシャを沈めた「アジアの虎」が、アフリカの「スーパーイーグルス」ナイジェリア代表をも、その牙にかける準備が整った瞬間だった。
しかしナイジェリアも、ただで喉元を噛み切られるようなヤワなチームではなかった。
自国の英雄ヌワンコ・カヌに代えて、スピードスターのオバフェミ・マルティンスを投入。ここからナイジェリアは徐々に息を吹き返すことになる。
そして 69分、キム・ナミルにオグブケ・オバシが倒されて得たPKを、ヤクブが決めて同点に。
ここまで勝ち点0ながら、韓国に勝てば決勝トーナメント進出の可能性が残っていたナイジェリア。
勢いに乗った荒鷲たちは、これを機に韓国陣内に怒涛の猛攻をしかける。
カウンターから次々とチャンスを作っていくナイジェリア。
マルティンスがGKと1対1となったシーンをはじめ、何度かの決定的チャンスで韓国ゴールを脅かすナイジェリアと、必死の守りでそれをしのいでいく韓国。
終盤は一方的な展開となったゲームはしかし、ナイジェリアの決定力不足にも助けられ、結果的に韓国が逆転弾を許すことはなかった。
試合はけっきょく 2-2でタイムアップ。
スーパーイーグルスに何度も谷底に突き落とされそうになりながらも、アジアの虎が執念の決勝トーナメント進出を決めたのである。
縮まった心の距離
驚いたのは試合後、韓国の選手たちが涙を流して勝利の味を噛み締めていたことだった。
手を取り合いながら、感謝の祈りを捧げている選手たちもいた。
僕は、8年前の記憶を呼び覚ました。
我が国と違い、既にワールドカップベスト4という金字塔を打ち立てている韓国。
一度それを達成している以上、僕は韓国の目標はそれと同等か、そのさらに上に設定されていると思い込んでいたのである。
しかし実際には韓国は、「ベスト16」を現実的な目標として捉えていたようだった。
その涙からは、決勝トーナメント進出が彼らにとっていかに重要な意味を持つものかが、充分すぎるほどに伝わってきたようだった。
大会前のテストマッチで日本を圧倒し、開幕戦でも元ヨーロッパチャンピオンのギリシャを蹂躙した韓国。
その韓国をもってしても、決勝トーナメント進出は全力を出し尽くした末にやっと達成することのできた、過酷なミッションだった。
8年前の栄光は、もはや過去のものである。
そしてそれを誰よりも一番分かっていたのは、4年前のドイツ大会では一転してグループリーグ敗退の辛酸をなめた、韓国代表自身だったのかもしれない。
再びチャレンジャーとして臨んだ今大会。
見事に決勝トーナメントへの扉をこじ開けることができたのは、ひとえに彼らの「ひたむきさ」の賜物だったように僕は感じた。
韓国は日本よりも一足早く決勝トーナメント進出を決めた。
複雑な歴史的背景もあり、日韓の間には愛憎入り交じる長いライバル関係がある。
そして今後も、それが無くなることはないだろう。
しかしその彼らが奮闘する姿には、僕は隣国人として健闘を讃えたいという感覚を覚えた。
もし韓国が負けていたら、逆に悲しい気分になっていたかもしれない。
そこにあったのは、8年前とは全く逆の感情だった。
この8年間で、僕の中での韓国に対してのイメージが変わるような、何か決定的な出来事があったわけではない。
しかし代表チーム単位で、あるいはクラブチーム単位で何度となく繰り返されたライバルとの対決が、結果的に彼らとの心の距離を縮めたような部分はあったのかもしれない。
そして同時に、その1つ1つの勝負が、日本サッカーの発展に大きな影響を与えた側面もあっただろう。
日本にとっての「永遠のライバル」、韓国。
その存在がなければ、今日の日本の姿もまた違ったものになっていたのではないだろうか。
だから彼らの流した涙は、僕にとっても他人の涙とは映らなかったのである。
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